えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

死ねない男は棺桶で二度寝する→

死ぬことは希望なんじゃないか。
素直に言えば、最初に思った感想はそんなことだった。

PMC野郎さんの魂の二本立て。
死なない男は棺桶で二度寝する、から、オハヨウ夢見モグラと二本立て続けで観劇。
これ、たぶん、順番によって受ける印象変わるよね。

それぞれのあらすじはこちら
「死なない男は棺桶で二度寝する」
悠久の時を、ただ一人孤独に生きていく不死身の男。聖徳太子とイントロクイズに興じ、織田信長に王様ゲームを教えた彼の孤独を、誰も知る事は無い。何故なら、彼の正体を知ってしまった者は、誰一人として彼の事を覚えていられないからだ・・・。
一方、現代。恋人の六郎と別れようかと悩む記者の信子は、取材先の精神病院で、不死身の男の存在を聞く。
やがてそれは六郎や自身の家族、果ては時の総理大臣まで巻き込んで、遥かなる人類の歴史に、小さなうねりをもたらしていく。
自分自身の境遇を呪い、その悩みを誰とも共有できない孤独な男。
終わりなきパレードの果てに死なない男が行き着く先は、限りなく孤独な生か、限りある幸福な死か?


記憶、人間という種の集合体、死。
いくつかの共通したテーマと、設定で別々の物語でありながら、
二本観れば点と点が繋がる。
とりあえず、まずはひとつひとつ感想を書いて行きたい。

「死ねない男は棺桶で二度寝する」
前半の怒涛の不謹慎な笑いと、そして、後半明かされる事実。吹原さんワールドを堪能!みたいな気持ち。
死ねない、という言葉通り、六郎にとってはそれはマイナスだ。
パンフを開いたページのどこかを見つめる六郎の目が寂しい。死ねないことを知られればその相手の記憶から、彼は消えてしまう。だから、一緒に過ごす時間は束の間だ。ただでさえ、ひとり生き続けなければいけないのに。
吹原さん脚本の好きなところは物語の本筋以外のキャラクターたちがともかくぶっ飛んでて愛おしいことだ。あまりに愛おしくてどこか本筋か分からなくなるくらい。総理に愛人、秘書に息子、横綱。さらに、ノンちゃんのお姉ちゃん。
これでもか!というくらいキャラクターが濃い。
ノンちゃんとお姉ちゃん、とその手のやり取りには思い切り笑ったり和んだりしたし、総理をはじめとする友人たちとのシーンはもう、本当に最高だった。切れ味ありすぎだ。そして案外あっさり人が死ぬ。主人公は死ねないというのに!

死ぬ、といえば、今回PMC野郎さんの作品で初めて刀を使っての殺陣を見た。
ゲキオシ!さんのインタビュー記事にもあったけど、その泥臭さ、血生臭は凄まじかった。
吹原さんの描くキャラクターが愛おしいのは、同時に描かれる作中にとんでもない痛みや憎悪があるせいかもしれない。
それが今回は殺陣というある意味分かりやすい痛みとして描かれていたけど、それは今まで観てきた作中でも、感じてた痛さだったように思う。

一郎が、人魚の肉を食べるシーン。
あのグロテスクさ。
彼はそうまでしてでも、妹や村を傷付けた男たちを斬りたかったのか。
あのシーン、明確な言葉で一郎の気持ちが語られないことに、グッとくる。
ただただグロテスクな呻き声と照明とか、描き出す。
それらが、その後一郎が背負う地獄を思わせるようだ、と思う。

六郎が不老不死であることを、知った人間は忘れてしまうということの苦さは、下下さんの熱演が伝えてくれた。
忘れられること。忘れてしまうこと。
その苦しさに優劣はつけられないけど、下下さんの、そうだ、あいつにあったらあなたが彼を殺してあげてください!の台詞の熱量が忘れられない。
身体中に傷で名前を掘るほど、 彼は彼女は、六郎のことを想っていた。
そのことに、愛情と、そして彼の記憶を失うことの哀しみを想う。
そう考えると、総理と六郎のシーンの穏やかさはまた違った感慨がある。
総理、すごいな、と思う。
あのお別れのシーンも、本当に美しい。

統合失調で生み出した妹と友人との会話は胸を締め付けられた。
本当に存在してるように思わせてよ、という六郎の言葉に困ったように笑う妹と友人は、ある意味では、彼がまだ狂いきれないというか、まともであり続けてしまう、つまり、自分はひとり生き続けなきゃいけない事実を真っ直ぐに見つめ続けているということではないだろうか。

ひたすらに苦しい、死ねない男は棺桶で二度寝する、は、ラストシーンで優しく美しい光に包まれる。
死んでしまう、という希望を彼は選べない。生き続けなきゃいけない。それは、重く孤独な生だ。
だけどきっと。
傷付いてでも彼を覚えていようとしたノンちゃんや、愉快な友人たちの存在が、そんな生の中、ぽきりと折れてしまわないように支えてくれるんじゃないか。
だからこそ、彼は歩き続けなきゃいけないが、決してそれは、哀しいだけのことではないと思う。


ちょっとあまりに長くなったので、いったんここで止める。
オハヨウ夢見モグラの感想と、全体の感想はまた次回。
魂の二本立て、さすがすぎる!

ソウサイノチチル

誰もが一度は関わることになる「葬儀」
そして人ひとりが亡くなったからこそそこには浮き彫りになる色んなものがあるんだな、と思ったソウサイノチチル。

あらすじ
「俺は死んだ。お前が死んだら、どうする? さあ、おかしな葬祭をはじめろ。」
駄目人間を絵に描いたような父が死んだ。舞台は葬儀場。
招かれざる弔問客。見習いの僧侶。
果たして、無事に葬儀は終わるのか?
父が遺したもの、伝えたかったこと。

 

ようやく観ることができたえのもとぐりむさんの作品。
葬儀、というテーマとは裏腹に前半はともかく笑いが散りばめられていた。
いやむしろ、葬儀、という本当は笑うに笑えない状態だからこそ、それがズレた時あんなに笑えたのかも。コントのようなテンポでお芝居は進み、気が付けばそこにあるエグミや人が亡くなる、ということの重みに行き当たる。
死んだはずのダメ親父。死んで良かった、とまで家族に言われる彼が生き返るところから物語は始まる。
なんとか保険金で彼が遺した借金を返したい妻はそのまま死んでくれ、と懇願する。
このあたりのやりとりが松田さん・憲俊さん共にコミカルで楽しい。内容酷いこと言ってるのに笑
更には葬儀に参列したくない奥さんの弟や、招かれざる客である旦那さんの不倫相手や元カノ、更にはその娘まで現れる。もうこれだけでかなり賑やかで、普通の葬式になるはずがなく、まさしく「おかしな葬祭」だ。
その上、葬儀を執り行う葬儀屋の面々もかなり個性的。ドラマチックにしか司会をしない立石さん(黒組の前田さんの流れるような司会からの切り替えにも、白組の國立さんのバラエティ豊かなまさしくオンステージな司会にもそれぞれ沢山笑った)や、確信犯なのかただのそそっかしい人なのか微妙な田中さん。派遣のバイトで、いまいち葬儀が分かってない山口(山口さんの白黒のそれぞれのネタもズルいし、どちらも確実に笑わせてくる宮下さんすごい)
ギックリ腰になった僧侶の代わりにやってきたSHOGOさん演じる高橋や、同じく2代目植木屋として頑張る桜木夫婦と、武宮のやり取りも軽快で楽しい。
というか、彼らがかなりこの話が葬儀の話だ、ということを忘れさせるくらい貪欲に笑わせてくる。

全体的にともかく賑やかな舞台なのだ。お葬式の話なのに。

途中、何度かお葬式とは生前のその人を表すという台詞が出てくる。届いた弔電がその人価値、お葬式の雰囲気が、その人の生き方。
そう考えると、この宗一郎さんはどんな気持ちでこの葬儀を見たんだろう、と思う。
通夜を終え、告別式が始まり、死んで良かった!と言われ、
かと思えば、この人は天才だったという人も現れ。
万人に愛される人もそういないけど、こんなにも強烈に憎まれ愛される菊池宗一郎という人の人生は、一言で表すことができない気がする。ダメ親父、ではある。息子は、そんな親父が好きだった、というがその奥さんや娘が死んで良かったね、と笑いながら話すくらいだ。それまでどれくらい泣かしてきたのか。
そう考えると、ダメ親父なんて表現じゃあまりに軽い気もするのだ。
さらに、義理の弟である恵蔵夫婦のかけられた迷惑は、家族なんだから、じゃチャラにできない気がするし(というか、そもそも義理の、だし)子どもが出来なかった、の下りは前半のシーンだったが、息が詰まった。
でも、そんな人を愛した父親がいて、想い人がいて。宗一郎を慕うバンドマンは彼が遺した音楽がいかに何かを遺したか、ということだと思う。
そういう人たちからすれば、妻や娘、恵蔵の言った言葉は、どれだけ無神経で酷い言葉だろう。
死んで良かったのかもしれない、と父が息子に対して言う苦さはどれだけだろう。怒るアユや、水樹さんの表情に苦しくなる。本当に本当に、傷付いた顔をしてて、そしてお別れを言う時の顔は美しくて、それが尚更、宗一郎への想いを思わせた。

ただ!ね!
同時に奥さんや恵ちゃん、恵蔵さんがどれだけ生前の宗一郎によって傷付けられたか、とも思うんですよ。
愛情があればそれくらい、とか、もうそういう度合いを超えてると思うし、宗一郎さんがしてきたことは。
それに、奥さんに関して言えば、それくらい手に入れたかった相手を、結婚が決まって弟がいくら言っても聞き入れないくらい結婚したかった相手を「死んで良かった」と言いたくなるくらい傷付いてきたことだって、辛かったんじゃないか。愛し続けられなかった彼女より、そうなってしまったことの方が苦しいと、私は思ってしまった。

でも、それもこれも、たぶん、誰も間違ってないんだと思う。
宗一郎さんを喪って悲しいと思う気持ちも、故人だからと飲み込むことが出来ないくらい憎いと思う気持ちも。
そして、そういうものが剥き出しになってしまう「葬祭」というものについて考える。
人生は一度しか選べないし、傷付けた事実は許されることはあっても変わることはない。償う、ということはできるけど、償いたいと思った時に間に合うとも限らない。
そんなことを考えて、後半はただただ苦しかった。生きることってあまりにしんどい、と思ってしまった。前半あんなに笑ってたのに!


ずるいなあ、と思うことがふたつあって。
一つは、ラストシーン。火葬が終わってから葬儀場の桜の舞い散る舞台があまりに綺麗だったこと。それを見つめる彼らの顔が優しかったこと。
もう一つは、多恵さんの宗一郎さんへの想いだ。
生き返ってたの、というあどけない表情や、夜二人話しながら背中をかいてあげたり、足の紐を直してあげる姿が。
あまりに、優しかったことだ。
なんだ、好きだったんじゃないか、というと軽すぎると思う。
死んで良かった、という言葉にも嘘はないだろう。
ただ、好き嫌いだけで、割り切れるほど、人と人は単純じゃないんだ。そんな、ありきたりだけど、忘れがちなことをふと思った。だからこそ苦しいし、でも、愛おしいんだと思う。
万人に好かれることはないだろう。でも、ただ憎まれるだけの生き方というのも、難しいのかもしれない。
だから、あの、どうしたら良かったの、に無性に泣けたのだ。それは多分、見てる人も分からないから。


その上で、思い出すのは綺麗な桜だ。
どんな日でも吹く気持ち良い風だ。
そう思うと、そうさ、命散るとはすごく希望に満ちた優しい言葉に思えてくる。

光のお父さん 第1話

実話を基にした、とかファイナルファンタジーの、とか、そして大好きな吹原さんの脚本、とか楽しみが沢山あって見た光のお父さん

もーーーーー、さいっこうにいいドラマ!

もともと、あんまり長いものを見るのが実は得意じゃないので、深夜ドラマが大好き。だいたい30分だし。でも、内容は濃かったりするし。
そんなわけで、毎週の楽しみができました。
地域によって放映日が違うので感想書くのどうしようかな、と迷ってたんですが、
そういえばブログがあるじゃないか!と気付いたので、ブログで感想を。
2話放送前に、改めて振り返って1話目感想を書いてみます。


主人公と比較的年齢が近いせいか物凄く共感しながら、見た第1話。
何があった、というわけではないけどなんとなく距離が遠くなった父親の突然の退職。オンラインゲームを通しての親孝行。
私自身は親とはわりと仲良くはあるけど、でも、こう、なんとなく小さな頃の距離感とは変わったな、と思う。
仲が悪いわけでも嫌いなわけでもなく、ただ関わり方が分からなくなった、みたいなあの距離感は誰しも覚えがあるんじゃないだろうか。

勿論、ただただしんみりさせるドラマでもない。
ゲームキャラにつける名前で、井上、と言うお父さんのちょっとトボけたシーンは微笑ましくも笑ってしまう。そんな程よい笑いが散りばめられてるのも魅力だと思う。

そしてまた、台詞のひとつひとつが沁みる。
親子の会話も、上司との会話も、オンラインゲーム仲間との会話も。
(そういえばTwitterで見かけた感想で、オンラインゲーム仲間とまた明日、と声をかけるシーンへの共感を見かけた。ほんと、あの台詞、すごく、素敵)
ドラマの表現的にも、実際のゲーム映像が流れたり、と楽しい。すごくゲーム音痴なので、最近じゃめっきりゲームをしなくなった私も思わずプレイしたくなる。

その中でも一際、このドラマが好きだ!と思った瞬間は、終盤、父が主人公に「あのゲームなかなか楽しい」というシーンだ。
もう、心臓がギュッとくるくらい、キた。
そもそもこの親子の溝は、主人公曰く、ふたりで楽しくプレイしていたゲームを、「ゲームばかりやるんじゃない」と父に言われたことに発端がある。
そこから何年も経ち、父のことが知りたい、と思って動き始めた主人公に彼が愛してやまない世界を、楽しい、というお父さん。
もう、この、構図が愛おしいし、その後入る明るいナレーションがいい。

優しくて沁みるこのドラマのこれからがほんとに楽しみだ!
ひとまず、今夜もしも寝落ちてしまった時のために録画予約!

今 だけが戻らない

観れた!観れたよー!!
台本を既に見て、展開は知っていたけどやっぱり舞台は舞台として観た方が更に楽しいなあ、と思った。しあわせ!


あらすじ
取り戻したのは、二度と戻らない筈の「過去」だった。

そこで見たのは、やたらと遠い「今」だった。


タイムトラベルを「行って帰ってきた男」が語る 過去の未解決事件の真相
未解決事件の捜査を専門に扱う【警視庁特命捜査対策室】で捜査を続ける刑事たちに男が語ったのはまさかの「自供」!?
「過去」を取り戻せたはずの男が語る「今」とは?
「置かれ続けた【一輪の菊】」が全てを物語る ボクラ団義が送る!タイムトラベラー自供型サスペンス舞台劇!?

 

これは、男の執念の話だと思う。
この男、は渡部浩一であり、倉下保であり、瀬戸沼陽であり、岡本仁で、司冬雪で、そして、真壁啓のことだ。

話の雰囲気的にはボクラ団義さんの「鏡に映らない女 記憶に残らない男」に近い気がする。
他人には理解できない執念で、人々を不幸にする人間と、それに翻弄される人々。

久保田さんの描く「狂った」ひとの憎めなさはなんなんだろう。
やってることは狂気に満ち溢れていて、そこに理解できる要素はないはずなのに。

(この辺り、久保田さんのパンフ挨拶とかを見ながら読むと心が苦しくなる)

5年前、10年前、20年前とそれぞれ事件が起こり、それを捜査する警察がいて、その警察に技術を提供する科学捜査研究所がある。
今戻は出演者数的にもわりと、構造が複雑だ。
久保田さんの作品の中でシリアスな設定との比較としてのほのぼのパート(コメディパート)を担ってるのは、科学捜査研究所のふたりだ。ふたりじゃれてる姿はすごく可愛い。が、実際に今回ふたりが背負ってるのは、この作品の中心である「戻せない後悔」であり、また皇・志熊の同一人物が描くのは、執念によった行き過ぎた行動だ。
そう考えると、特命捜査対策室の伊丹さんはこの作品ないで一番自由かつ、明るい役だった。もうほんと癒し。特命捜査対策室の3人のトリオもすてき。もっとも、瀬戸沼にしろ、久遠にしろ重たいものを背負っているので・・・癒されれば癒されるほど後半辛いんだけど。
捜査一課組に関しては、司さんは例外(ポジション的にも、捜査側の人というより被害者の遺族の意味合いが強いし)として、比較的冷静に、だからこそ的確に事件を追っていく。ある意味、複雑に絡む話だからこその必要なポジションだったのかも。

で、起こった3つの事件と、その犯人だ。


真壁啓が、犯罪を起こさないこと、を諦めた20年前の事件。
怜美の言葉を聞いた辻堂(真壁)の表情が悲しい。本当に、友人としての親愛の情を理解できていない表情で、かつ、裏切られたとむしろ傷付いていたように見えた。
これは10年前、5年前の事件にも共通して言えることだけど。
被害者たちは全て普通のひとだ。
事件など、起こる必要もなく殺される理由もない。所謂、殺されそうオーラ(鏡に映らない女 記憶に残らない男より)なんてものはない。
普通に生きて、笑い、近くにいる人を大切に思ってる。し、当たり前に幸せになりたいしたい、と思っている。からこそ、起こるすれ違いや諍いも描かれてはいるんだけど。

それらをたぶん、真壁啓は理解できない。
それはスライドやラストに語られた彼の半生の影響だろうし、誰も彼に与えたりしなかったからなんだろうな。なんてことを、辻堂の台詞や行動に思う。
(誤解のないように言いたいのは複雑な出生とか、両親の関係とかましてや施設育ちだ、ということは関係ないというか、あくまで要素でしかなかったと思う。現象でしかないというか。それを受けて、どう変わったかどう与えたのか、みたいなことで)(うまくまとまらないけど)

決して真壁啓は許されないし、ほんとに独善的かつ彼の価値観でしか物を見ていない。
なんだけど、じゃあただ彼が悪なのか、と思う。悪なんだけど。
ただそれは、物語の中の空想の悪役ではなく、彼自身がたくさん傷付き、限界を超えたからこその今の姿なんじゃないか、とも、思う。まあだからと言って、何をしてもいいというわけじゃないけど。辻堂、の頃に怜美を「こいつも生かしちゃいけないのか」って言ったのがなんか印象的だった。生かさない、と自分で判断したというより、もっと主観とかを除いて客観的に判断した、みたいな言い方のように感じた。いやまあ、主観だし、悪なんだけど。
ある意味、この辺りは結論がでることはないんじゃないだろうか。

 

そして、この作品のラストシーン。
なんたらマシーンの、正しい使い方。過去の友人たちと会えるということ。
結局、今、しか戻らない。今を後悔しない、と最後に渡部は言うけど、後悔しないように過ごすことができるのは「今」だけなのかもしれない。
ただ、それを演劇サークルの彼らは失ってしまった。もうあのなんたらマシーンで再現された今、がくることはない。


正直、私はこのお話をどちらかといえばバッドエンドと捉えてしまったというか後味はあんまり良くないなあ、と(それは舞台として観たらだいぶ払拭されたけど)思った。思ったけど、気が付けば何度もDVDを再生してるのは、出てくる登場人物たちが、真壁も含めて必死に生きてたからだろうか。

飛ばぬ鳥なら 落ちもせぬ

先週、12日マチネに観劇。
久しぶりのボクラ団義さん!そして時代劇!
うきうきとドキドキで、初めましての吉祥寺シアター(お洒落でとても素敵な劇場でした)へ

あらすじ

聞いたまま書くのがそなたの仕事
そのまま書くか決めるのもそなたの仕事

 

ボクラ団義10年目公演第一弾

『忍ぶ阿呆に死ぬ阿呆』『耳があるなら蒼に聞け』以来、約3年振り3作目の“新作時代劇”!!

乱世の梟雄と呼ばれた【松永久秀

その「梟」が空に散る日そこにあったのは

久秀の言葉を綴り続けた【右筆】とその【手紙を運び続けた男】の物語だった

戦国の世と時の流れを飛び回る!ボクラ団義流、戦国スペクタクル舞台劇!!

 

 

ボクラ団義さんの歴史ものといえばifの物語の見せ方がともかく魅力的。もしかしたらこうだったのでは?と思わせる展開は毎回わくわくさせられる。

そして、個人的に、あー!ボクラ団義さんの歴史もの!と思う特徴は、大きな時代のうねりの描き方だ。

 

忍ぶ、耳蒼、そして他団体の上演ではあるんだけど、新撰組オブザ・デッドの舞台版。

どれも、歴史の大きなうねりの中で懸命に生き、そして飲み込まれた人たちの物語だと思う。

今回の飛ば鳥も、そのうねりは健在だった。

 

舞台セットや音響照明が作り出した空間と、色とりどりの衣装、そして、嘘のない全ての役者陣。
それらが、歴史のうねりを劇場に生み出すのは、いつ観ても、そして何度観ても壮観だ。
今回久保田さんが選んだ時代は戦国時代。それも、再び日本が戦乱の世へと進んで行く、そんな時代だ。
人気のある戦国時代の中でもちょっぴりマイナーと言われる時代なんだけど、そこは、ストーリーテラーがすごくうまい。
松永久秀、の真相について語る楠正虎の戦国パート
そして、タイムスリップしたゲーム会社HOMAREIの社員たち。
戦国パートは激しく渋く進んで行く中、
HOMAREIの社員たちが笑いを生み出してくれて、そのバランスが魅力的。

今回、対比がすごく好きで面白かった。
HOMAREIチームと戦国時代組、正室と側室、忍びを抜けて生き様死に様を決めることにした飛脚たちと気が付けば歴史に飲まれた松永や三好たち。生きるひと、死ぬひと。
そしてそれらが、全部揃っての飛ば鳥だった。

2時間40分という時間やテーマも相まって大河を1年見切った後のような気持ちになった。
そして、それは全体としての舞台(物語)の美しさだったと思う。

飛ば鳥の感想書くのを個人的に難しいなあ、と思ってて。
どんな話だった?どうだった?と聞かれると面白かった!しか出てこない。
そこから何を思ったとか、そういうのがうまく言葉にならない。ともかく何か大きなものに触れた気がする。
ただ、じゃあたとえば役者さんやシーンに絞って話すと、ここがこうで、と語り出せてしまう。
それがまた、面白い。
大きなうねりを出すために死力を尽くして、それぞれが必死に歴史の中で生き抜いたから、こんな感想になるんじゃないだろうか。

そして、それって歴史っぽいなあ、と思う。
例えば坂本龍馬とか、それこそ今回の松永久秀に絞って話せばいくらでも話したいことはある。
んだけど、大きく見た時はただただ連続して続いた時間の流れだ。
でも、そこには大きく名を残した人たちもいたんだな。

前説での久保田さんの知らない歴史上の人物がいても大丈夫です、はそういうことかな、と思ったり。世界観の話であって、個人はある程度、その瞬間の感じ方で理解すればいいというか。

そんな、感じだと思った。
そんな気持ちに、今回の飛ば鳥はなった。


ただあれだなー!もっと細かく観たいからDVDを大人しく待とうと思う!

 

人生の大事な部分はガムテで止まっている 現代編

現代編だけしか見れないのが悔しい!

長いタイトルの、気持ちのいいドタバタコメディを観てきました。
松本さんの作品ならではの気持ちのいい台詞回し。観てスッキリのお話。

あらすじはこちら
古びた洋館に再現ドラマの撮影でやってきた撮影クルー。まもなく解体する物件と聞き、好き勝手に改造を始める。そこに現れたのはこの建物の資産を受け継ぎ、管理人となっていた若夫婦。その若夫婦はこの建物を存続すると言い始め撮影現場は紛糾。そんな中、主人公である助監督は、この建物を建造したであろう若夫婦の曽祖父の遺言を発見する。そこには「ガムテープを忘れるな」と書かれていた。そして助監督は大事な撮影備品であるガムテープを忘れていた…。


90分のランタイムに対して、作中の時間もリアルに90分進んでいく。
一昨年(もう一昨年!)上演されたミキシング・レディオと同じタイプ。
もー、ともかくテンポも台詞回しも展開も気持ちがいい。リアルに作り込まれたセットと、自然な役者さんの佇まいが、より90分の進行を楽しませてくれる。
ほんとに、楽しい90分。
ともかく聞いててまず楽しい。
で、あの楽しさって覚えがあるなあって考えてたんだけど、
気心の知れた友人とただただ話してる時に似てる。
その人たちにしか生み出せないテンポで、聞いてるだけで幸せなやつ。

それはたぶん、出演者さんたちの息ぴったりなお芝居があればこそというか。
夢麻呂さんがブログに書いていた「全員がいて成立する、あのシーンがよかった、ではダメ」の言葉に深く深く納得。

そんでもって、その上で「劇」的な登場人物たちばかりなのが楽しい。
撮影クルーたち。出演者。そしてそれに協力したり邪魔したりする色んな人たち。
90分の割に人数も多いんだけど、そのひとりひとりがしっかり印象に残ってる、し、どの人も見終わった後、愛おしいと思った。さすが!
そして、「劇」的なやりとり。
千尋と茜の笑いを誘う会話はもちろん、時にハッとさせられる会話をはじめ、ぐっと笑いから緊迫感のある空気への切り替え!痺れるー!!!
そして、台詞が、やっぱり共感できる。
千尋の「たかが再現V」と言わせない仕事への誇りというか、半ば意地、みたいなのって、覚えがあるもので。
胸はって誰から見ても褒められる仕事ばかりじゃないけど、そこで意地はって拗ねず腐らず、自分にとっての精一杯と、仕事の最善を探し続けながら仕事する、って、やっぱりある。
し、それを清々しく肯定しつつ迎えるあのラストシーンは、本当に好き。

あと、瞬さん演じる夢田さんが、ガムテで次々と止めていくシーンもすごく良かった。
すごくあっさりなんでもないように止めていくのが本当にいい。
だってそれにめちゃくちゃ翻弄されたのに!みたいな。
そんなあっさり!みたいな。
でも、すごく、希望に溢れたワンシーンというか、思わず笑っちゃうような、でもなんか元気になるような最高のシーンだった。

松本さん作品の、なんとなく当たり前の、でも特別で刺激的な時間の切り取り方と、
それってなんかいいよね、みたいなストーリーがたまらなく好きだし、
それを最高の形で具現化できることが劇団6番シードさんが好きな理由かもなあ、と改めて感じた人生の大事な部分はガムテで止まっている、現代編でした。

バックトゥザ舞台袖

お芝居を好きでいて良かったな、と思った。それがまず、このお芝居への一番の気持ちだと思う。
コメディ、なのに色々と台詞がビシビシきて、もう泣いたり笑ったり忙しかった!

ので!
あえて!
役者さんひとりひとりについて書いてみたい。もう上演されてからだいぶ経つし!あえてブログで!

まずは、2049年組
鈴木べべさん役の中野裕理さん。
安心感がすごい。し、なにゆえにー!があんなに面白いのは裕理さんだからこそ。久しぶりにシャオロン姿が見れるのも嬉しい。
べべさんは基本的にずっと面白いんだけど、稽古シーンや2020年で舞台に立つ瞬間、確かに格好いい。それがまたたまらない。全体的に面白いべべさんの人柄を感じる。面白いのも、格好いいのも、べべさん。
アンダーキャスト、妹の千秋役、鈴木聖奈さん。
なんせ初めて観たのがRe:callなので、かなりギャップが!
ズレてるパワーはやっぱりいいなあとにこにこ。真っ直ぐさもやっぱり好き。
お兄ちゃんと私は、安らかに観てたよ、のあの可愛い言い方がなんともツボです。
あと、その中でも、千秋なりの役者、への思いはグッときた。
べべさんも千秋もギャグパートを担ってはいるんだけど、この作品を通して描かれるお芝居への姿勢は一貫してて、とても素敵。
演出助手晴さん役の水崎綾さん。
作品ごとに受ける印象が変わって、それが凄いなあと思う。作品に溶け込む空気感。ナチュラルさー!
ドタバタと進んで行く中での向谷さんや新子安(息子)さんのストーリーの根っこを握って走り過ぎないようにしてたような印象だった。
演出部由喜恵さん役、大友歩さん。
なんだか私的に珍しいタイプの大友さんを見たような気持ち( ´ ▽ ` )
2020年のスタッフ陣とはまた少し違ったタイプの職人肌。
周りとわいわい話すわけではなく我が道を行くような印象を受けるけど、作品や座組への愛をきちんと感じさせるのは大友さんならではだなあ。通訳シーンのテンポの良さ好き。
2049年THRee'Sのヒロイン、井上さん役の木本夕貴さん。
きーぼーさんの、語りかける演技の、たまらなさ!
もうこれ、レプリカの時も言ったけど、ほんとに、きーぼーさんの語りかける演技が好きで好きで。
優しくて力強い。力押しとかではなく、目線を合わせるような台詞だからこそなおのこと沁みるんだろうなあ。
劉備役の新子安隆元を演じる竹石悟朗さん。
基本的にはやっぱりギャグパートを担っていた気がするけど、あの、お芝居で認めてもらうシーンは痺れた!
「演じて」すっと空気感を変えるのをああいう形で見ることができるのもファンとしてはなんだかお得感がある。
ドタバタしてても耳が痛くならずに楽しく見れるのも嬉しい。のと、個人的に明るい役をしてる竹石さんを久しぶりに拝見したので、とても楽しかった。

向谷さんは最後に書くとして、続いて2020年!

衣装のマキティーこと鴨井さん役、齋藤未来さん。
タイムスリップについての解説を気持ちのいいテンポとテンションで入れてくれる。見てて安心感。
キャラの濃ゆさも一発でマキティー!!!と思わせてくれてとても好きです。
頼れる舞台監督土子さん役、平山空さん。
もーーー好き。ほんとに好き。ビジュアルから大好きでしたがもう、台詞ひとつひとつがもう。
私たちスタッフにとってはそんな軽いもんじゃありません、とか、公演中止で、の台詞とか。
力強さもあって、かつ、真摯。こんな人と一緒に何かを作りたいと思った。し、この人が座組にいる舞台を観たいと思った。
大道具新子安(父)役のCR岡本物語さん。
ずるい。CRさんはずるい。面白さと格好良さを同時にぶつけてくる。本当にずるい。
職人!な言動に笑わされて、泣かされた。
ラスト、劉備として立つ舞台のシーンでは、あれを聞いた向谷さんがそう台詞を変えるのも納得の真摯な演技。
あと、個人的には冒頭の泣きたいのはこっちだ!の言い方がとても好きです。ああ本当にそうなんだろうな、みたいな。でもちゃんとこの人仕事を全うするんだろうな、と思う。あの台詞もギャグっぽいのに、その人の格好良さも詰まってて、凄い台詞だなあと思う。
プロデューサーの木嶋さん役、福地慎太郎さん。
頼り甲斐のなさがすごい!そらこの座組もしっちゃかめっちゃかなっちゃうわ!と思わされる。んだけど、それでも役者さんやスタッフさんが初日を迎えるまでついてきたのは、APの功績やそもそも仕事だからってのもあるんだけど、木嶋さんの愛情が伝わったからかなあと思ったり。ともかく、キャスティングについて話すシーンが大好きでした。
APの田岡さん役、松木わかはさん。
見事な嫌な役その1!
なんだけど、彼女も彼女なりの「仕事の成功」の価値観があるんだろうな、と思わせてくれるのがこのお芝居の嫌味のなさだと思う。徹底した悪役も好きだけど、特に今回はお芝居が関わるから、徹底した悪役ではなくて、彼女には彼女なりの正義が、っていう描き方でちょっとホッとした。
木嶋さんに怒るシーンでは、彼女が稽古期間、どれくらい走り回ってたのかを思わされた。嫌な台詞も、真摯な台詞も、芯がしっかりある、ある意味とても魅力的な役でした。
井上のマネージャー坂本さんを演じた立原ありささんは、井上や仕事への気持ちが覗いた時、ホッとした。
出番的にもそんなに多いわけではないんだけど、それでもワンシーンワンシーン、彼女が出てくるとテンポが変わる。
少ない出番の中でも違和感を覚えさせず、シーンを繋いでいたと思う。

舞台袖、の話なので色んな人が顔を覗かせる。
メインは当然、向谷さんたちがいかにして、二つの舞台の幕を、物語の本当の終幕で降ろすか、という話だ。
舞台を最後まで走らせる。
だから、そのためのシーンの繋ぎや説得や工夫のため、彼らは舞台袖を過ごす。
だけど当然それだけで成立するわけじゃなくて、実際の2020年の舞台に立つひと、2049年の舞台に立つひと。
それは実際「バックトゥザ・舞台袖」では演じられることはほとんどない。だけど、例えばマネージャーの坂本さんが出た瞬間に、舞台上で演じられることのない物語を見た気がする。

バク袖の舞台上では演じられないが、必死に演じ続けたのは2020年の面々だ。
図師さん役の図師さんは、最早反則技だと思う笑
ファンサービス的というか、図師さんそういうの得意じゃないですかぁ、に彼の舞台を見たことがある人は笑っちゃっただろうな、と。そんな中、APについての台詞にハッとさせられたり。図師さんが、図師さん役で出てるから尚更あの台詞が怖かったのは私だけだろうか。

反則といえば、本当の劉備が出てきた時は笑った。黒坂カズシさんがえんじてた。

タイムスリップコメディらしいといえばらしいけど!

あの短いシーンで、大暴れだった。し、活躍するのか!と思いきや、あっさり負けてしまうのがなんというからしいというか。中国語が凄かった。
中井貴一役の眞田規史さんは某大物俳優さんへのオマージュの役、ということかな。
作中でも、大物俳優さん。多くの役者が私情を挟む中淡々と自分の仕事をこなしつつ、適度な距離で座組を見守ってるのが印象的。そして、所謂大物俳優、さんでも「ここからは戦争なので」と静かに言う姿はとても格好良かった。あの横顔、もっと近くで見たかったなあ。
ジェンさん役の上田雄太郎さんはお芝居が明るくて楽しくて、この人を処刑人にキャスティングした木嶋さん素敵、とにこにこした。木嶋さんのキャスティングすごく好き。
この人がいたら、たぶん、座組明るくて楽しいだろうなあ。少し鬱陶しいところもあるかもだけど。そう思うと、わりと明るい人多いし、なんだかんだ稽古中は賑やかだったのかな。
加答児さん役の山岡竜弘さんはまさしく張飛!と思った。三国志というより、THRee'Sの印象で、だけど。三男だけど、兄たちを慕ってるところとか。役者さん的にも若手の設定だったのかなあ、振る舞い的に。
桃園の誓いのシーン、名前を呼ぶ言い方がとても好きでした。
そして、関羽を演じる牛込さん役の竹内さん。
全体的にやっぱりコメディなんだけど、時折覗かせる真剣さに痺れた。そして、「役者じゃなかったんだろ」の台詞にぞわっとした。
怒りを顕にするわけでもなく、詰るわけでもなく淡々と言ってるように聞こえてそれがなおのこと、彼の中で相手がいなくなったように思わされて。
竹石さんとの掛け合いが全体的に楽しくて好きです。
紺野さん役の安達優菜さんは、静かながら舞台への思い入れをストレートに届けてくれるとても素敵なお芝居だった。
お芝居に取り組む姿勢、にたぶん正解はなくて、だから、彼女の私は稽古で作ってきたものを舞台に乗せることを誇りに思ってます、という台詞がたまらなく良かった。ただ幕を開ければいいってわけじゃないもんな。
その上で、意固地になるんじゃなくて、認めたら舞台へと向かうその表情もとても素敵だった。
董卓を演じた春原さん。
春原さんー!!!!もう、春原さんが演じる董卓普通に見たい。あのシーンやこのシーンの董卓が見たい。そう思わされた舞台袖での入り方だった。普段のラジオやテレビでの春原さんを思わせる日和さんの素の部分もとても可愛い。だけど、きちんと舞台へ役として向かうのはやっぱり彼女にも、役者としての誇りがあるからだろう。
2020年のヒロインを演じた町田さん役の久保亜沙香さんは、繊細な女性だった。
ここから出てけ!と言われてそのまま出てっちゃったりするところとか、おいおい、と思うんだけど、でも、ほんと、あーヒロイン!って思った。悪い人じゃないんだろうなあ。繊細すぎるんだよなあ。周りに諭された後の彼女はとても素敵だったので、2020年の2日目以降は、見事に立ち続けてくれると思う。
2020年の憎まれ役といえば、もう1人、さらら役の七海とろろさん。
今まで見てきたのが基本的に可愛らしい役だったので、驚いた。あまりに嫌なやつで!
あのぺたり、とくっつくような嫌味な言い方とか!いるー!こういう女子いるー!!
ただ、その上で、舞台から逃げた彼女がタイムスリップして戻ってくるのはとても優しい展開だったと思う。し、あまりにその表情が綺麗で、彼女が歩いてきた29年を思った。あの展開、好きだなあ。

向谷さんと同じくらい好きなのが演劇雑誌記者の御子柴さんだ。石部雄一さんが演じていた。
石部さんはオーラを自在に作れると思う。見るたびに纏ってるものが違う。ビックリする。
観客に一番近い役の御子柴さん。でも、面白いですよ。の台詞に何度涙腺が緩んだことか!
作り手の色んな事情って、観客はだいたい知らないし、知らなくていいことだと思う。どんな想いで作っていても、好きだ面白い、と思うんだと思う。
でも、御子柴さんの言う通り、それがあんな舞台袖だと知ったら、たぶん、かなしい。
寄り添うような台詞が心地よかった。

そして、向谷さん!
もう!加藤凛太郎さんの魅力爆発だ。熱量のある芝居、テンポのいい台詞。
もうともかく、熱い人だ。
好きな台詞はたくさんある。
たくさんあるんだけど、それ以上にモニターを見つめる目線や、ふとした瞬間の目線が印象的だった。
舞台を、真摯に愛して最後まで諦めない。
最高の演出家さんだった。

 

夢みたいな舞台だと思った。ずっと楽しくて、飽きがこない。
たくさん笑って、泣ける。
そして何より、自分の好きな演劇はこんな風に愛されて生まれてくるんだ、と思えた。
バク袖は、上演当時、作中の台詞のように話題を呼び、たくさんの人が観に行っていた。なんだか、それ含めて、とても幸せな舞台だと思う。