えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ソウサイノチチル

誰もが一度は関わることになる「葬儀」
そして人ひとりが亡くなったからこそそこには浮き彫りになる色んなものがあるんだな、と思ったソウサイノチチル。

あらすじ
「俺は死んだ。お前が死んだら、どうする? さあ、おかしな葬祭をはじめろ。」
駄目人間を絵に描いたような父が死んだ。舞台は葬儀場。
招かれざる弔問客。見習いの僧侶。
果たして、無事に葬儀は終わるのか?
父が遺したもの、伝えたかったこと。

 

ようやく観ることができたえのもとぐりむさんの作品。
葬儀、というテーマとは裏腹に前半はともかく笑いが散りばめられていた。
いやむしろ、葬儀、という本当は笑うに笑えない状態だからこそ、それがズレた時あんなに笑えたのかも。コントのようなテンポでお芝居は進み、気が付けばそこにあるエグミや人が亡くなる、ということの重みに行き当たる。
死んだはずのダメ親父。死んで良かった、とまで家族に言われる彼が生き返るところから物語は始まる。
なんとか保険金で彼が遺した借金を返したい妻はそのまま死んでくれ、と懇願する。
このあたりのやりとりが松田さん・憲俊さん共にコミカルで楽しい。内容酷いこと言ってるのに笑
更には葬儀に参列したくない奥さんの弟や、招かれざる客である旦那さんの不倫相手や元カノ、更にはその娘まで現れる。もうこれだけでかなり賑やかで、普通の葬式になるはずがなく、まさしく「おかしな葬祭」だ。
その上、葬儀を執り行う葬儀屋の面々もかなり個性的。ドラマチックにしか司会をしない立石さん(黒組の前田さんの流れるような司会からの切り替えにも、白組の國立さんのバラエティ豊かなまさしくオンステージな司会にもそれぞれ沢山笑った)や、確信犯なのかただのそそっかしい人なのか微妙な田中さん。派遣のバイトで、いまいち葬儀が分かってない山口(山口さんの白黒のそれぞれのネタもズルいし、どちらも確実に笑わせてくる宮下さんすごい)
ギックリ腰になった僧侶の代わりにやってきたSHOGOさん演じる高橋や、同じく2代目植木屋として頑張る桜木夫婦と、武宮のやり取りも軽快で楽しい。
というか、彼らがかなりこの話が葬儀の話だ、ということを忘れさせるくらい貪欲に笑わせてくる。

全体的にともかく賑やかな舞台なのだ。お葬式の話なのに。

途中、何度かお葬式とは生前のその人を表すという台詞が出てくる。届いた弔電がその人価値、お葬式の雰囲気が、その人の生き方。
そう考えると、この宗一郎さんはどんな気持ちでこの葬儀を見たんだろう、と思う。
通夜を終え、告別式が始まり、死んで良かった!と言われ、
かと思えば、この人は天才だったという人も現れ。
万人に愛される人もそういないけど、こんなにも強烈に憎まれ愛される菊池宗一郎という人の人生は、一言で表すことができない気がする。ダメ親父、ではある。息子は、そんな親父が好きだった、というがその奥さんや娘が死んで良かったね、と笑いながら話すくらいだ。それまでどれくらい泣かしてきたのか。
そう考えると、ダメ親父なんて表現じゃあまりに軽い気もするのだ。
さらに、義理の弟である恵蔵夫婦のかけられた迷惑は、家族なんだから、じゃチャラにできない気がするし(というか、そもそも義理の、だし)子どもが出来なかった、の下りは前半のシーンだったが、息が詰まった。
でも、そんな人を愛した父親がいて、想い人がいて。宗一郎を慕うバンドマンは彼が遺した音楽がいかに何かを遺したか、ということだと思う。
そういう人たちからすれば、妻や娘、恵蔵の言った言葉は、どれだけ無神経で酷い言葉だろう。
死んで良かったのかもしれない、と父が息子に対して言う苦さはどれだけだろう。怒るアユや、水樹さんの表情に苦しくなる。本当に本当に、傷付いた顔をしてて、そしてお別れを言う時の顔は美しくて、それが尚更、宗一郎への想いを思わせた。

ただ!ね!
同時に奥さんや恵ちゃん、恵蔵さんがどれだけ生前の宗一郎によって傷付けられたか、とも思うんですよ。
愛情があればそれくらい、とか、もうそういう度合いを超えてると思うし、宗一郎さんがしてきたことは。
それに、奥さんに関して言えば、それくらい手に入れたかった相手を、結婚が決まって弟がいくら言っても聞き入れないくらい結婚したかった相手を「死んで良かった」と言いたくなるくらい傷付いてきたことだって、辛かったんじゃないか。愛し続けられなかった彼女より、そうなってしまったことの方が苦しいと、私は思ってしまった。

でも、それもこれも、たぶん、誰も間違ってないんだと思う。
宗一郎さんを喪って悲しいと思う気持ちも、故人だからと飲み込むことが出来ないくらい憎いと思う気持ちも。
そして、そういうものが剥き出しになってしまう「葬祭」というものについて考える。
人生は一度しか選べないし、傷付けた事実は許されることはあっても変わることはない。償う、ということはできるけど、償いたいと思った時に間に合うとも限らない。
そんなことを考えて、後半はただただ苦しかった。生きることってあまりにしんどい、と思ってしまった。前半あんなに笑ってたのに!


ずるいなあ、と思うことがふたつあって。
一つは、ラストシーン。火葬が終わってから葬儀場の桜の舞い散る舞台があまりに綺麗だったこと。それを見つめる彼らの顔が優しかったこと。
もう一つは、多恵さんの宗一郎さんへの想いだ。
生き返ってたの、というあどけない表情や、夜二人話しながら背中をかいてあげたり、足の紐を直してあげる姿が。
あまりに、優しかったことだ。
なんだ、好きだったんじゃないか、というと軽すぎると思う。
死んで良かった、という言葉にも嘘はないだろう。
ただ、好き嫌いだけで、割り切れるほど、人と人は単純じゃないんだ。そんな、ありきたりだけど、忘れがちなことをふと思った。だからこそ苦しいし、でも、愛おしいんだと思う。
万人に好かれることはないだろう。でも、ただ憎まれるだけの生き方というのも、難しいのかもしれない。
だから、あの、どうしたら良かったの、に無性に泣けたのだ。それは多分、見てる人も分からないから。


その上で、思い出すのは綺麗な桜だ。
どんな日でも吹く気持ち良い風だ。
そう思うと、そうさ、命散るとはすごく希望に満ちた優しい言葉に思えてくる。