えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Re:call

既に、観た直後に感想もどきを書いてるけど、千秋楽も終わり台本もゲットしたので、ネタバレ含めて、感想を書きたいと思う。
舞台としても、物語としても沁みた今回のお話。書きたいことがたくさんある。

あらすじはこちら

あらすじ

色とりどりのイルミネーションに彩られたクリスマスの東京
そこで過ごす一組の親子に暴走した車が迫る
男は捨て身で娘を守る その次の瞬間
気がつくと男は一面白に包まれた雪原にいた
そしてそこに現れたのは 20年以上前に死んだはずの母親だった

時の流れを遡って「呼び戻された」男

気がつくと雪原にいた。そこは1992年の山形県だった。
その時その雪山では色んなことがあった。
想いを寄せる女の子との会話。好きなのに幼い頃につけたあだ名は「モンスター」
反抗し続けた母。その母の死に関わる可能性がある実の父。

「もしも自分が誰かに呼び戻されてそこにいるとしたら」

第一回公演「レプリカ」で全席満席の大好評を頂いたディー・コンテンツが満を持してお送りする第二回公演は、演劇界に於いて変わらぬ快進撃を続ける企画演劇集団ボクラ団義の幻の第一回公演を久保田唱が全編リライト!

現在は劇団でも販売されていない

「時の流れを遡り呼び戻された幻の作品」

を現在の久保田唱、そして豪華キャスト達がじっくりと創り上げます!


観終わった後、とても興奮していた。
もうそれは一つ前のおおよそまとまってないブログを衝動的に書いてしまうくらい、興奮していた。
2017年最初の作品が、Re:callで良かった、と心底思った。しんしんと降り積もったお芝居に頭がぐるぐるしていた。

好きな理由は挙げるとキリがないけどあえて絞って挙げるとすれば、
・笑いと苦しさと哀しさのバランス
・舞台に立ってるひとがみんな生きて見えたこと
だと思う。


前半は笑いがふんだんに散りばめられ、バタバタと小さな違和感を残しながらも進んでいく。
桜と祐一の会話はもちろん、サークルメンバーや大人組の飲み会など、笑いどころも多い。大学生たちの淡い(多少暴走気味の)恋模様も、観てて楽しい。
後半で明かされる真実が苦しいだけに、その前半に物凄く救われた。

終演後、全てを知って思い出すと心がじくじくするオープニング。
雪がいいものみたいにはしゃぐ祐一。
あのシーン、本当にかけがえのないシーンだったんだ、と思う。そして物語に引き込まれる独白があがって、やがて、緊迫のシーンが始まる。
緊張して、そのあと、お母さんとのやり取りや森宮さん、桜、とのやり取りに肩の力が抜けて。
さっきも書いたけど、ほんと、この絶妙さ!どっちかだけじゃ絶対にしんどいもん、この時間。
久保田さんは緊迫したシーンでも笑いを取り入れるけど、そういうところなのかも。魅力。

どたばたと楽しく進む中、落ちる影。確実に起きた1992年の何か。
それを暗示させるのが津川さんたち、そして幸太郎さんだ。
どれだけ博多弁コンビが和ませても、恋する組にきゅんきゅんしても、
はっとした瞬間、空気が歪む。
誤魔化しきれない深い津川さんの哀しさや、幸太郎さんの歪み。
その空気に何度ゾッとしたか。
特に、幸太郎さんの違和感は凄かった。
基本的には陽気な人なのに、時々怒鳴ったり歪んだ笑顔を浮かべたり。アンバランス。

やがて、1992年の事故に物語は進んでいく。

陽子さん、幸太郎さんの会話が印象的だった。
どうしようもない人間でもうこれしか方法はない、と言う幸太郎さんに、陽子さんは言う。
死んでも、綺麗になんてならないよ。
この、言葉の重さ。
陽子さん自身、あの亡き夫との思い出から逃げて、東京にいき新しい家族を作った。死んでしまって、亡くしてしまったからリセットしたんじゃなくて、むしろより深く残ってしまったからこそ。
幸太郎さんの、罪が死んだところでなかったことにはならないのと同じように。
本当に悲しくて息苦しい台詞なんだけど、同時に優しい、と思うのは水さんと一緒にいる陽子さんの表情を思い出すからだ。
水さんは気にする。ここに来たかったのは、本当は俺とじゃないんじゃないか、って。その水さんに陽子さんはいっぱい色んなところにいって色んなことをしようと言う。
死んでも綺麗になんてならないけど、残ってしまうけど。
その続きは描ける。
なかったことではなく、続き。それを踏まえての、新しい出来事。
そうして生きてきた彼女だからこそ、あの台詞は刺さった。

根本的な、解決にはならない。
結局陽子さんは死んでしまうし、幸太郎さんは生き残る。
罪をいくら償っても、津川さんは帰ってこない。奥さんや妹が望む形での幸せはもう、たぶん、どこにもない。

 

「奇跡を体験したことがあるか」

祐一の台詞の中でも特に好きな台詞だ。
奇跡。
根本的解決も、本当に彼らが欲しかった幸せも手に入らないかもしれないけど、
それをだから無意味だ、というには、あまりに寂しい。そう、ラストシーンを思い出して思う。

 

Re:call、はやり直すという意味があるらしい。
なんだかその意味をしみじみと終演後、噛み締めていた。なんだか役者さんたちがみんな、その役として舞台上で生きてたような気がしたからだ。
よく言う、表現ではあるんだけど。その役として生きる。でも、今回は特にそれを肌として感じた気がする。
例えば、子どものため自分にとって1番愛おしい人や自分を投げ捨てでも動いた水さんや、祐一。

「理屈だったんですか」
「あなたは」
「息子を助けようと走った時、あなたの頭の中は」

事故直後の大人祐一と水さんの会話の中でも特に印象的だったやりとりだ。
家族ものを、観るたび思うんだけど。
理屈で家族を説明できるならもっと傷付く人は減るし、逆に息苦しくなる人もいると思う。
ここで祐一を助けずに陽子さんを助けたら陽子さんは悲しむ、とか
千枝里を助けたら自分が死ぬかもしれない、とか
そんなの、たぶん、理屈として存在しないというか。
起承転結で綺麗に家族の関係を説明できたりはしないんだろうなあ、とおもう。
でも、お芝居って、前提として、作られたお話なことが多いわけじゃないですか。
でも、その理屈じゃないこと、を表現する。それが伝わる。
のが、たまんないなあ。と見て思って。
役者さんからしてみれば、とても失礼な感想なのかもしれないんだけど。
でも、水さんや陽子さんや祐一の子どもを見る目が、千枝里や子ども祐一の親を見る目が、本当に家族を見る目に思えて、だから台詞ひとつひとつがあんなに沁みたんだなあと改めて思ったりして。
当たり前、と言われてしまうかもしれないけど、当たり前、は当たり前じゃないから。
お芝居を作る上で作った筋が見えなくて、そこにはRe:callのそれぞれのひとがただただ真摯に立ってた。それがともかく、心地よかった。

役者さんが、もし色んな人生を何度も生きてるとして。
そもそも同じ役を稽古、本番含め何度も生きてるということになるわけで。
でも、観てる私はその瞬間の一度きりがその役の人生だ。それきり、だから台詞ではなくて、空気が焼き付いて、いつまでもあの雪山のことを考えてるんだとおもう。
誰かを好きだということ、それが時々コメディになるほど暴走すること、家族のこと、誰かたいせつな人のこと。
それらが何度も繰り返したマンネリじゃなくて、その瞬間だった。


なんて、もはやこれは感想から少し離れてる気もするんだけど(笑)
ただ、Re:call、とはそういうことだったんじゃないか。
時巡りは基本的に、根本的な解決にはならない。後悔の場に行ったり果たせなかった場に立ち会うことはできても干渉できない。
だけど、登場人物も観客も、あの時巡りには意味があったと思う。
それは、その瞬間、そこにいて、感じて考えたことで変わったこと残ったものがあることを知ってるからじゃないだろうか。

 

ところで、話は少し変わるけど。

今回の公演を幸せだと思ったもうひとつの要因が関係者、観客どちらからも熱い愛情を感じたことだった。自分の好きなものが大切に愛されてるのは、うれしいし幸せなことだ。
twitterやそもそもの終演後の空気感。ほんとに、思い出すだけで頰が緩む。
そして、それはたぶん、感傷的な思い入れだけじゃなくてそれを成立させるだけの技量や準備やなんだかそういうものが土台にあって初めて出来上がるものなのかもなあ、とパンフレットなどを見返すたびに思う。
見知った役者さん、スタッフさんも多く出てて、
そうした人たちの好きな作品はたくさんあるけど、Re:callはとりわけ、特別ないつもとは違う、を感じた気がする。こんな素敵なお芝居に出逢わせてくれて、ありがとうございます。と思う。
もちろん、それは優劣の話じゃなくて、もっと、絶妙な何かの違いだ。
そして、それは空気感や肌触りといううまく言葉にはできないけど、確かなものとして私の中に残ってる。そのことが、うれしい。

そしてその、いつもと違う特別、はこれからも更新され続けるんだと思う。
あんなにすごい舞台を作る人たちはこれからも瞬間瞬間を、生きていくのだから。それが、本当に楽しみだ。