明け方、目が覚めた。夜中だと思ったけど全然朝だった。私は大体こうで、憧れている深夜ラジオのパーソナリティみたいな夜型に全然なれず、かと言って昼の街もなんとなく苦手だ。
そうこうしてると落ち込んでくる。
最近、いつもこうだ。穴の空いた貯金箱みたいに楽しいや嬉しいをどれだけ詰め込んでも気を抜くとこうなる。
誰かの役に立ちたいと思う、喜ばれる自分でいたいとも思う。だけどジクジクとした痛みが「でも」と騒ぐからじっと立ち止まる。
そういえば、20代の頃、同じようにどうにも立ちいかなくなった時に友だちから「余裕がない時に誰かを助けようとするな」と怒られたことがある。
余裕があるならともかく、ないなら人を助けたりできない。言われてみればそれはそうで、分かっているのに30代になっても同じようなことが頭を過ぎる自分の身勝手さと成長のしてなさに呆れる。
このままだと地の底まで落ちれそうだったので、着込んで散歩に行くことにした。幸い、まだ外は暗い。
楽しいことや嬉しいことに貪欲になりすぎて、なんかずっとお腹が空いてるみたいだ。強烈な飢餓感。足りないわけじゃない、十分過ぎるくらいに恵まれてる。なのにもっともっとと思うこの感覚が苦手だ。
それよりも一つ一つを本当は大切にしたいのに。そんなことを思うし、引っ張られるような空腹を気合いを入れて無視したい。
私の手の中にある嬉しいや楽しいは、軽んじて良いものなわけがないのだ。
耳元で賑やかなお喋りが聞こえる。夜と朝の真ん中、若干朝寄りの街は特に人通りもないから遠慮なくくすくす笑いながら歩く。普段なら行かない道をいく。
川沿いを歩くのも、整った道を歩いてビルを眺めるのも好きだけど妙に商店街を歩きたかった。ほんのすこし、さみしかったのかもしれない。
古びた店や居酒屋、チェーン店。その一軒一軒をちょっとだけ丁寧に覗いた。普通の時間なら気を遣って見れないかも。そう思うと、表に出されたメニューすらひとつひとつ丁寧に見たくなる。想像以上に好みのお店が多くてくすぐったかった。
コーヒーとだけ書かれたカフェは朝活というにも早すぎる時間なのに、もう開いてるみたいだった。人影が窓の向こうで揺れる。いっそ何かの縁だし入ろうかとも思ったけど何もかもがボサボサな状態だったのでほんの少しだけ覗いてやめた。
お喋りは相変わらず盛り上がっていて、楽しそうでばかばかしくてたぶん、しばらくしたら楽しかったということ以外、忘れてしまう気がした。だけど、そんな会話があることが無性に嬉しかった。
朝は来るし、ラジオも終わりそうだし家に帰ろう。缶コーヒー片手にぶらぶら歩こう。何にもならないこの時間が、わりと好きだと気付けただけで、上出来だと思う。