えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

穴に繋がる明るい一日

ひとりぼっちの時に聴き続けた音楽は、ひとりぼっちにさせてくれるんだな。


ピースフルで不思議で同窓会のようでだけど今で、みんな同じで、ばらばらだった。共感できることもできないこともあって、でもその全部が「これで良いんだ」だった。



ELLEGARDENの大阪ライブに行ってきた。



※セトリにはほぼ触れてないですが若干触れてますので気になる方はお気をつけください。レポではなくほぼ日記です。





縁がある、と思う。縁があるという表現以外が浮かばないんだけどなんでだか、エルレには縁があるのだ。
4年前、あの千葉のライブに行った時からなんでか、縁があると信じている。




私にとってエルレは上のブログに書いた通り「ウォークマンの中のヒーロー」だった。
相変わらず、曲はシャッフルで聴いていたからタイトルに自信があるのが数曲で、なんだけど、なんでか、無性に好きなのだ。
何があったら好きかなんてことを今更もう考える気がないくらい、好きだ。





言葉先行で曲を聴いているタイプなのに、なんでか、エルレはずっとただ、音楽として聴いてる。言葉に励まされた、だけではなく、むしろ言葉だ励まされたことはほんの数曲で、だけどずっと好きなんだ。
エルレを私は浪人時代に繰り返し聴いていた。ひとりだ、と思いながらずっとこれから先どうしようという思いに負けそうになりながら繰り返し繰り返し、自習室で聞き続けていた。



細美さんのMCを覚えてる。
あそこは確かに外の世界とは関係ない宇宙船だった。お前らもどこにも馴染めないタイプだろ、と言われて、そうだなあ、と思いながら、でも「お前ら」ではあったけど、たったひとりだった。エルレのみんなとも対話していたような気もするけど、対話なんてせずに、ただただ、そこにお互いがいるんだということを確認しただけの時間だった気もする。

それでも、それで良かったしそれが良かった。
毎日他人や外野を無駄に気にしてしまう私にとって、そんなそのままのひとりぼっちはたまらなく居心地がいい空間だった。
それでもそこにちゃんと他人がいて、その人たちが楽しそうだったことはとんでもない多幸感に満ち溢れた奇跡だったように思う。




どこまでも好きだけど全部一緒じゃないということ、本当に嬉しかった。




生きているだけで目が眩むような怖いことばかりの毎日だけど、なんとかなる気がした。
いつか、生身の人間であることにびっくりしたウォークマンの中の私のヒーローなバンドは相変わらず生きていて格好良くて、人間だった。それは、それだけで人間もこのクソみたいな毎日も清算してお釣りがくるような気がした。



どれだけ色んなものに満ちても、空いてる穴がある。
そう言っていた細美さんに「ああそうだよな」と頷いた。なんだかそれに逆に安心していた。
それでもその中で「ああ生きてて良かった」と思えることはある。この人生、悪くなかったと思う、その瞬間が増えたら良いし、そんな瞬間はたぶん、今日のこの風景だ。




音楽や物語は救ってはくれない。
だけど膿んで化膿したぐちゅぐちゅになった傷だとかもう見るのはやめることにした痛いも分かんなくなった傷だとかに不意打ちで寄り添ってあったかいものをくれる。
これはこういう形だと、絆創膏を貼って優しい"在る"に変える。
傷が完全に癒えたとて、跡は残るかもしれないけど、それはそれで、まあいいか。




虹を聴きながらいつか、私は失くしてしまうんじゃないかと怖くて泣いていた頃があったことを思い出した。失くして開いた穴をどうするか迷っていてだから余計に泣いていた。
だけど、あの頃失くしたと思ってたひとたちは変わらずなんだかんだまだ居てくれるし、たぶん、一生居てくれるんだど思う。居なくならないよ、と思う。
積み重ねた思い出とか音を立てて崩れたって、と言い聞かせるように聴いてたフレーズを今日はそうだよ、と頷きながら聴いていた。




それは、言い聞かせるように口ずさんだ学生時代ともそうだよ!と叫ぶように拳を振り上げた4年前とも違う感覚だった。ただただ、その事実をうん、と頷き、思う。
大丈夫、大丈夫だ。