えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

祝 メロンパン号キャラバン完走

最初に、意外に小さいのだ、ということに驚いた。
その後からいや普通に大きいし、と思い直したけれど、頭の中でいつのまにか大きくなった存在のままサイズ感を想像していたらしく、思わずまじまじと見つめてしまった。


メロンパン号に会ってきた。
MIU404で志摩と伊吹が乗っている車、愛車、メロンパン号。
2020年の放映終了後から、全国を回っていたその車とようやく会うことができた。




ちょうどこの2年引越しをたびたびしたせいで、絶妙にすれ違い続け、いつかまた近くにきた時に、と念じていた私に届いたのはキャラバン終了のお知らせだった。しかも絶妙に近くない。物凄く遠くはないが、当日の朝思い立って、にはちょっとハードルが高かった。
でもどうしても行きたかった。


たびたびこのブログでも話をしてきた通り、私にとってMIU404は、大きく私を変えた作品だ。それは、具体的な何かの変化をもたらしたわけじゃない。仕事もその時は辞めなかったし人間関係が大きく変わったわけでも新たに始めた趣味もない。かろうじて言うならラジオを聴き出したきっかけと言えなくもないし、星野源を好きになるきっかけであるといえばそうなんだけど。
ともかく、そういう目に見える変化というよりかはもっと深いところ核みたいなものに影響した。そしてそれが無ければ、今の私は全然違う形だったと心の底から思ってる。


だからどうしてもメロンパン号に会いたくて、そしてたまたま今年の私は何度か愛知に行く必要があり、ああそうだ、じゃあこの予定とくっ付ければいいのだ!と思い立ってお願いし、なんとか予定の前、メロンパン号に会った。






どんな気持ちになるんだろうと思っていた。私にとって、メロンパン号は、MIU404はとても大きくて、大切で、だからもしかしたら泣くかもしれないし、でも周りに普通に観に来てる方が多い中で泣くのはやばい。さすがに泣くとしても静かにさめざめと泣くつもりではあるけど、まあしかし感極まった!という人間がひとりいることは空間的にうるさいし、誰かにとっても大切な存在であろうメロンパン号との逢瀬の時間を邪魔するのは嫌だな、え、もう、観に行くのやめようかな。
そんな面倒なもの思いを4.5周して、とうとう、メロンパン号に会った。



思ったより小さくて、思ったより私は静かだった。



頭の中、勝手にヒーローとして大きくなった存在はただただ静かに停まっていた。近くには、これまた大好きな志摩の自転車もある。



頭の中で、メロンパン号の色んなシーンが浮かんだ。
2話の会話、ベローンってなってますよ、と差し出した万国旗、押したメロンパンの歌が流れるボタン、メロンパンは売り切れなんです、と答えた窓、メロンパンください、という坂本さん、高校生を追い久住!と叫びながら走らせたマウンテンバイク、行ってこい!と叫んだ後ろのドア。





全部実在していた。メロンパン号も、MIU404も、伊吹や志摩たちも、たぶん、全部全部、みんな、そこにいた。




2020年冬、手元に届いたMIU404のシナリオブックあとがきで、野木さんが書き残してくれた。


(中略)私たちは同じ地獄を生きています。共に苦しみ、共に抗い、戻れない時を刻んでいくしかない。だからどうか死なないでください。あなたが死んだら悲しい。少しでも先延ばしにして、伊吹と志摩が間に合うように、生きていてください。


私は、何度も何度も、その文を読んだ。読んで、そんなことがあればいいな、と思った。でもどこか、そんなことはないと思いながらの「そんなことがあればいいな」だった。
せいぜい、二期だとかそういう現実的な「間に合う」を想像していた。



だけど、あの日、メロンパン号を見てああ、間に合ってくれたのか、と思った。思って、そうして、でも感極まって泣いたりせずにただただ「なんとかメロンパン齧りながらここまでやってきたよ」と静かに思えた自分が嬉しかった。




私にとって、やっぱり、MIU404は実在する物語なのだ。




一旦、メロンパン号はその長い長い旅路を終えてゆっくり休むらしい。日本全国、私のようにあの日からメロンパンに齧り続けて毎日を続けてきた人たちに笑顔を届けてくれたことに心からお礼を言いたい。
それから。
いつかまた、会えますようにと願わせて欲しい。私はその日まで、また頑張るので。また会えたその時、あれからも頑張ってたよ、と胸を張れるように、明日からもまた自分の0地点に何度戻っても、ここからやっていこうと思う。