えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ええじゃないか音頭

大人って、もっとしっかりした生き物だと思ってた。
人間関係にいちいち凹まなくなると思っていたし、苦手な事務作業とかもちゃんとこなせるようになると思ってた。そういうのは無理でも、納得した方法で自分の食い扶持を稼げるようにはなるだろうし、家族だとか友達とかを自分の気分で傷付けたりしなくなると思っていた。



ところがむしろ私は年々人間関係に無理が効かなくなってきてる。
周りを見回しても不調となんとか折り合いつけて過ごしてるひとが多い。
子どもの頃の方が良かったとはそれでも思わないけど、でも子どもより大人がしっかりした生き物だとはこれっぽっちも思えない。
自分の子ども時代なんて情緒ぶれぶれでみんなが当たり前に出来ることができなくて人付き合いが下手くそだったくせに、それでも大人の自分の方があの頃の自分よりしっかりしているとは思えない。
変わりがないどころか体力が落ちた分、落ちぶれた気がする。
歳ばかり重ねて小理屈だけ捏ねられる分可愛げも減ったし、今まで散々言われてきた自分への批判の声が溜まりに溜まって定期的に吹き出すそれに真正面から食らって落ち込む。そのくせ反論も思い浮かばないので「ああそうだよ」としか返せない。
人と会っても落ち込む、会わなくても自己嫌悪で落ち込む、その上落ち込んでいることに対しても腹が立ってもうにっちもさっちもいかない。


でも落ち込んでも仕方ない、落ち込むようなことでもないし、落ち込んだところで解決策がないどころか迷惑だからやめたほうがいい。



考えて考えて、吐きそうになったらブログを書いて寝れないままYouTubeを見てある程度周回が終わったらやっぱりブログを書いてしていたらアホみたいな更新頻度になった。
そういうどうしようもなくのたうち回る姿が他からはひどく滑稽に見えてるんだろうと思ったし、滑稽だと笑わない人には無用な心配ばかりかけて良い迷惑だろうな、と思った。




みたいなことを、ずっと考えていた。



中で、今朝、というかここ二日。久しぶりに寝れているんですよ。
いつからか思い出せないくらい入眠がスムーズだったことも夜通し寝れたことも悪夢を見なかったこともなくて最早これは寝ない方がマシなのではと真剣に検討し始めていた私が。めちゃ、しっかり、寝た。二日。
そしたらなんだか説明のつかないようなスッキリがきた。あ、大丈夫だ、と思った。毎晩毎朝やってきていたこのまま続けて何になるのかという嫌悪も虚しさも周りに落ちてなかった。



その現金さに笑って、こうやってたかが寝れただけで、もっと言うなら大した睡眠不足でもなかったくせに大袈裟なといつもの自己批判をしようとしたところで、でもそうだよな、と思った。自己批判にも静かに「本当にねえ」と相槌を打つけど、でも本当に、しんどくてそれはそもそも自分のものだから誰に何を言われる必要も誰かに何かを言う必要もないものなわけだ。



これくらいで復活するならいちいち泣き言を言うなと先週の私なら言うだろう。
そうやって誰かに構ってほしいだけの悲しさだとかしんどさを振りまくな、もっとしんどい人はいくらでもいるんだと正論とかも吐いてくるかもしれない。
ずるずる生きてることに腹が立って、でも生きてるから仕方ないだろと喚き返して、その一連のやりとりに羞恥心が沸き上がって、夜中延々と考え込んでいた。



先週これを書いた時は実はもう少し悲観的な気持ちだった。でもそういう悲観的な感覚が自分のものだけじゃなくて誰かが寄り添ってくれたことが嬉しいと思った文章だった。



ヤケクソ感満載に乗り越えようとしたその感覚を、ぐっすり寝た私が、ひょいと飛び越える。



確かに、こうしてしょっちゅうギシギシ言うのは情けない。更に言えばたぶんと付けるまでもなく確実に数日後、また疲れが溜まったり夜寝れなくなったら私はまたメソメソとするのだろう。大人になろうが何しようが、きっとそれは変わらないのだ。



でもそれでも良いじゃないか。人よりも落ち込みやすいならその分人よりこう思えた時大はしゃぎして帳尻を合わせにいく。自分の好きなものを見て嬉しいと思った時も声を大にして言う。
こちとら人生のたうち回り部所属なのだ。人生のたうち回り部のモットーとして、のたうち回った分、嬉しい時は大袈裟に見えてでも喜ぶってスタンスでやっていきたい。




歳を取ったから何が変わるんだよ、と大好きなハチミツとクローバーの中で修ちゃんが言っていた。せいぜい階段がきつくなって、息切れしやすくなっただけ。


全く、その通りだ。


生きることはちっともうまくならないし、相変わらずのたうち回って人に迷惑をかけてばかりだし、そういうことが時々無性に情けなく申し訳なくなってバックれたくなる。
それでもこういう一つ一つ、手の中に落ちてきた感覚が大事なものだと知ることはできた。大袈裟な物語にもなりはしない一つ一つが私は好きなんだということだって知っている。



一個一個に丁寧に躓くさまはダサくて格好悪くてみっともないだろうけど、しっかり寝れた朝、泣き出したいくらい喜べるのは、差し引きしてお釣りがくるくらい最高だと思う。

なんてふうに、自分をよいしょしまくって、今日を良い日だったとラベリングして、明日もやっていこ。