えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

わたしは食べたものでできている

生活が苦手だ。

私はそのことにようやくここ数年気付いた。



思えば数年前、姉と同居するとなった時「こんな生活能力のない妹と暮らしたら姉の負担が大きすぎる」と口々に両親が反対した。

あの時は失礼な!と怒ったけど今ならわかる。たしかに私は生活が下手だ。

3食バランスのいい食事だとか規則正しい睡眠だとか、最低限の清潔感だとか、身嗜みだとか、そういう一切合切が苦手だ。



結局姉と暮らしていた頃はむしろ他人という目線が身近にあるからか、自分のためだけじゃなく「誰かと食べること」が楽しいからか、まあというか、その両方で、家事の大半を私が担当していた。姉が仕事で忙しかったこともあり、私は家事をすることで「ちゃんとやってる自分」という安心感を得れて、WIN-WINだった。




ところが、仕事の都合で一人暮らしが始まると瞬く間に自分の生活が下手な特性を思い出した。

中でも顕著なのは食事だ。



美味しいものが好きで、何かを美味しく食べる才能はあると思ってるけど、ひとりで食事を楽しむ才能がない。



いや、名誉のために言うけれども、ひとりでの食事が嫌なんじゃない。ひとりでふらっと外食は好きだ。ひとりで入れない飲食店はないとなんなら豪語できる。

それでもそうじゃなくて、日々、生きていくための食事がどうも下手だ。



空腹に合わせて食べてるとどうしても食べ損ねるので仕事のルーティンの合間に食事を入れて、生活リズムの維持に努める。

それがなんとかここ数年試行錯誤の末、見つけた方法だけど、やっぱりそうなると「栄養の偏り」が生まれる。限りなく作業になった食事は味気ない。




ただ言うまでもなく、私たちは食事で摂り入れたもので出来ている。そこそこいい歳なのでいつまでも生活が下手だ、と言い張るのも通用しない。かと言ってばりばり仕事してる中、やれ栄養だ美味しさだなんて気を配れば負荷でそのままより憂鬱になって終わる。見た目が、なんて言い出したら尚更だ。





でもたまに、ちゃんとご飯を食べようと思い立って、バランスを考えながらお惣菜でもカゴに入れられた時。

逆にバランスなんてものは配慮できてなくても自分が食べて元気になれる味付けや、身体のことを考えたぞ、と言えるような自炊を作った時。



元々のハードルが低過ぎるというお叱りにはもう、そりゃ、そうです…と身を縮こまらせるしかないけど、でも、私にはそういう「今日はちょっと頑張れた」が必要だったりする。

頑張ってるつもりだけど、頑張れば頑張るほど生活を疎かにしている自分にうんざりしたりそれを怒られたり、怒られないためにネタのように喋る自分の露悪的な振る舞いに嫌気がさしたり。そういう負のループを断ち切る、数少ない方法。

結局それは、自分の手の届く範囲で生活を大事にしようとすることだったりするんだ、たぶん。

自分が食べたもので出来てるとすれば、それをきちんと出来たということはそのまま自分を大事にしてると胸を張る根拠になるんじゃないか。



わりと色んなことに打たれ弱いからこそ、とりあえず、まずはそんなところから毎日じゃなくても今日はできた、を積み重ねていきたい。



それでできたら、美味しかったりしたら嬉しいし、それに美味しいものを食べたら誰か、大事な人に会いたくなる。これ美味しかったよ、と次会ったときに話す光景を想像してむにゅむにゅと笑ってしまう。

うんやっぱり、楽しい明日は美味しいもので出来ている。



そんなわけで、手軽に生活が下手くそな私でも健康的な「自分を大切にできてる」と思えるOisix、真剣に導入を検討したい。

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