えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

一過性疲労の対処療法

師匠から勧められた本を読んでない。勧められたのはたぶん去年末?今年の頭?で、もう既に6月も半分が過ぎようとしてるから少なくとも半年は過ぎている。


いつもこうだ。



何かを人から勧めてもらうのが下手くそすぎる。あと、その本についてはわりと仕事に関わる本なので、仕事を頑張りたい、というなら即読み終わればいいのに文体が読みにくいだの、ハードカーバー買ったら重いだの言い訳をして読んだいない。
そういうところだよな、と自分にうんざりしたりもする。



何かを努力する、ということが下手くそで、頑張ってフリばかりが一丁前で我ながらうんざりするな、と思うことが、最近、よくある。



20代前半はその絶望的な気持ちに飲まれまくっていた。素直にぶっ倒れ、無理やりお酒を飲んだりして周りに大層迷惑をかけた。
今でも、迷惑はかけているけど、飲まれなくなった。いや正確にはたぶん、飲まれることができなくなった。
だって寝不足だとか疲労だとか寒暖差だとかこないだの仕事のアレからくる絶望感だと理由付けできてしまって、それからそれがいかに一過性のものか知ってるのだ。



そしてそれは、つまり、一過性だからこそずっと失くならないとも知ってる。とんでもなく大きな絶望はもしかしたら癒えたり別の形になって大切なものになるのかもしれない。
だけど、一過性の、生活の中のがっかりはいつまでもずっと残る。風邪だとか慢性疲労だとかと一緒なんだと思う。致命傷にはならないけどじわじわ削ってはくるし、特効薬もない。
ただただ都度の対処療法でなんとかやっていったり、たまにヤケを起こすしかないのだ。
つーか、たまのヤケくらい許して欲しい。




今週のCreepy Nutsのラジオが最高だった。スペシャルウィークのゲストはAwichさん、と聞いた時から楽しみにしていた、そのわくわくが満たされるような2時間だった。
私は、Awichさんを姐さん、と呼んでいる。しかし、完全に今年に入ってから知った、にわかもにわかのファンだ。ファンと名乗るかも迷うけど、慕ってるか、という問いには大きく頷く。
ツーマンの生業、札幌公演。鬱屈を詰め込むだけ詰め込んで向かったそのライブで、中指を立て、自分の好きなことをすること、その責任を取ることの格好良さ、楽しさをきらきら輝くステージに立ってぶちかました姐さんの姿が、目に焼き付いてる。
格好良くて、どぎつくて、でもどこか優しい。
そういえば、彼女のラップの原点は2パックだという。私は、ハイローにハマり、HIPHOPに興味を持ち出した頃、2パックのことが何故か強烈に気になり、レイトショーで彼の映画を見たことがある。そして、それが今も心の奥底、じわじわ、残ってる。


それから数年、まさかのところで繋がって、ああなるほど、と大きく、頷いた。
言葉を使うひと、表現をするひと。それを貫いてくれるひと。私は、そんな人にいつも、元気をもらう。良かった、と思う。


ちょうど札幌公演の時に、もうなんか何かを言葉にしたらぎゃあぎゃあ言われるならもうやーめぴ、くらいのテンションだったので、余計に真っ直ぐストレートに姐さんの音楽が、言葉が刺さった。



そんな姐さんとCreepy Nutsのふたりが楽しそうに音楽の話やギャルの話をしてる。こんなに贅沢な時間があるか?


そして、ステージというものに焦がれてやまない私にとって「パフォーマンス」としての表現、の話は本当に嬉しくて楽しくて気が付けば何回も聴いてる。大事にしたい。


それから、同じくしおしおしながら聴いたOver the sun。私はこのラジオ(Podcast)を不意打ちで聴くのが好きだ。ルーティンに入れ込む期間もあるけど、どちらかといえば不定期不意打ち、いきなり、あ、今だと思い立って聴くのが好きだ。そんなわけで聴いた週末。テーマは、寂しい。
もうね、これについては聴いて欲しい。私の言葉を挟むのが野暮。野暮天すぎるから、本当に聞いて。いや別に興味なかったら聴かないで。
でもなんというか、ああだから好きなんだよな、と思った。私はこのPodcastをご近所さん、くらいに思ってる。めちゃくちゃ仲がいいわけでもない。古き良き時代みたいにお裾分けに行くわけでもない。でも、なんかよく見かける人たちですれ違い様、がんばれ、とお疲れ、を心の中で言えるようなそんな存在で、好きなのだ。




からの、SONGSだ。大泉さんに源さんと好きな人詰め合わせな16日の放送回。
多忙過ぎるふたりがじんわりトークしてる。それだけでなんというか回復力が高過ぎて逆に私にとっては攻撃になりかねないんじゃないか、とすら思ったその放送はとんでもなくやっぱり、最高だった。

面白いことをやる。

それは、ここ最近のトレンドなような気がする。だけど、その中にも色々あって「トレンドだから」「ウケるから」やる、だとか、やったほうがいいから、だとかと、「ウケるかは分からないけど自分にとって猛烈に面白いからやる」だ。
後者は、たまに刺さったり刺さらなかったりする。でも、私は、それがたまらなく好きだ。別に自分にとって面白い!とならなくてもいい。でも、なんか、ああこの人が面白いと思うんだな、良いと思うんだな、と思うとニコニコする。


この間のブログもそうなんだけど



なんか、疲れたなもうやだな、を、積み重ねて積み重ねて、落ち込むだけ落ち込んだら最近は好きなもの、面白いものの話をしたくなる。でも疲れてもいるから、疲れたって言いながら、「でもこんなに面白いものがあるんだよ!」とクダを巻いてる。




大きな絶望感ではない、一過性だから対処療法でやっていくのだ、と言いながらもこんな文を書いてる。結局大袈裟な何かにしたいんじゃないか、と自分に思うけど、自分の痛いや辛い、嬉しい、を自分くらい特別なものに思ってやりたくなる。出てくるものは平凡な凡庸なものかもしれない、よくあること、もっとすごいものはいくらでもあるのかもしれない。だけど、たったひとり、自分だけは認めてもいいはずじゃないか。しんどい中、せっかく頑張ってるご褒美に。



Creepy Nutsオールナイトニッポン | ニッポン放送 http://radiko.jp/share/?t=20220614010000&sid=LFR #radiko #cnann #Creepy Nuts #Rー指定 #DJ松永 #オールナイトニッポン