えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

恋せぬふたり

恋せぬふたりの感想では、いや感想というより前評判では「とか言いつつ、結局ふたりは結ばれるという終わりが来るんじゃないか」と言われていた。
多くの「恋愛を目的としない」男女の共同生活の物語が「そして二人は結ばれましためでたしめでたし」で終わることが多くて、だからこその心配というか、予想の声だったんだろう。


実際、観終わってなるほどなあと思っている。
どうやって終わらせるか、という期待と不安にこの恋せぬふたりはわりと誠実に向き合ってくれたように思うのだ。


第7話で高橋さんの過去の恋愛、仕事の変化や本当にやりたいこと、が描かれた。
若干この辺りの描写については広がり過ぎたような印象もあり、8話で描くには広いテーマだったのかもな、と思う。
しかし、実際結婚と仕事(キャリア)は深く繋がっていたりするし、誰かと暮らすこと=家族(仮)を描いてきたこの作品がこうした展開になるのはある意味そうだよね、と納得もするのだ。


いつの間にか、生き方の話になったな、とも思ったけどそもそもずっとそうだったのかもしれない。恋愛を絡めなくても人生は色々あって大変で楽しくて豊かだ。



恋せぬふたりの中で高橋さん・咲子が出した結論について私の中で言語化するのが難しい。分かったような、納得したような、いやでもやっぱりどこか(言葉を選ばずに言えば)肩透かしだったような気もする。
一方でそう考えれば考えるほど、咲子の台詞が効いてくるとも思うのだ。

「なんにも決めつけなくて良くないですか?」


物語なのである程度の結論、オチは必要なのかもしれないが、この恋せぬふたりの登場人物たちが「これからも生きていくんだろうな」と思えたことが嬉しかった私にとってスッパリと綺麗な結論、メッセージよりも「とりあえずは今はこれで」の方がなんだか良いなと思えた。



咲子さんが高橋さんの家に住み続けることは帰ってくる場所が高橋さんに出来たということかもしれない。そんな風に観ながら考えていたけれど、物語中、明確な台詞ではそんなことは描かれなかった。だからこれはもしかしたら、私の勝手な感傷かもしれない。



恋せぬふたりは元々「恋愛がなければ(成就されなければ)幸せになれないのか?」という問い掛けが核にあった。
あるいは「そういうものだから」と理由もなく当たり前になっているものを問い直すような物語でもあったと思う。
そしてそれは「恋愛ではない彼らの関係性こそ尊い」というものでもないように思うのだ。



恋愛関係なく家族になれれば正解だとかという話でもなく、ただただそれぞれ、その瞬間その人たちにとっての感情や想いを否定せず、決め付けず「話をすること」。
そうすることで生まれるものの一つ一つが愛おしく素敵なものだということをこのドラマは丁寧に描いていた。


ところで、高橋さんが最後、自分のやりたいことを選び、基本的にはひとりで立ちながら自身を貫くということを考えていた。
ある意味でこの物語の当初から高橋さんはそんな人だった。
自分の好きなように生活し、世間の当たり前にどうしてですかと問いかけ、あるいは受け流し、自分の言葉でそれに対する違和感を形にしながら暮らす。
ただもちろん、このドラマを最初から最後まで見た人は高橋さんが何も変わっていない、なんて思っていないだろう。
そもそも、ああして周りの農家の人たちと笑う表情はドラマの初めの頃の高橋さんなら見れなかったに違いない。


高橋さんは世間の当たり前からきちんと距離をとって生きている人だった。だからこそ、ドラマの前半(いやなんなら3分の2くらい)は咲子やその周りの人達がエクスキューズされる形で物語は進んでいったんだと思う。
でも、実際にそう思いながらも「恋愛を絡めなければ人生は送れない」という何故か世界に蔓延している思い込みに高橋さんだって捕まっていたのかもしれない。
だって「自分は自分の思うように生きるのだ」と念じ続けなければいけないのだとしたらそれはそれでしんどい。そう念じないといけない時点で、結構、苦しい。
だけど、咲子さんやカズくん、咲子の家族など色んな人と話しをして、考え、行動に触れたこと、
あるいは「高橋さん」という人を否定せず、知りたい理解したいと思う人達に出逢えたことがゆっくり高橋さんをそんな思い込みから遠ざけたんじゃないか。


拒むために念じる「自分の人生は自分で決める」という思いを、すとんと腹落ちさせられたんじゃないかと最後のシーンのふたりを観ながら思うのだ。
そしてそれは必ずしも同じ環境、身近にその存在を置いておかないと保たれないしあわせなんてものではなく、それぞれ、その時々したいようにできるようにしていても、大切にできるしあわせなんじゃないだろうか。



最後になるけれど、私がこのドラマを好きだと思ったひとつの理由は作り手の人々のスタンスが大きかった。
まだまだ、アロマンティック・アセクシュアルを描いた作品は少ない。その中でこの作品で描かれること・出した結論が「全ての正解」ではなく、あくまで一歩目、一つのパターンだと作り手の方々が発信されていたことを私はとても素敵だと感じた。
"エンタメ"を作るということ、あるいは"エンタメ"で何かを表現することには色んな側面がある。また、色んな問題や制限も出てくるんだと思う。
だけどその中で精一杯を作り込みながら、かつ、これだけ、と決め付けてしまわないことが本当に嬉しかった。それこそ、「なんにも決め付けなくて良くないですか?」なのだ。



これだけが正解なわけじゃない。
大事にしたい、大事なひとを大事にしたいやり方で大事にしていけばいい。それが伝わらない時は、あなたと話そう。分かるかどうかは分からなくても、分かりたいという気持ちだけは覚えたまま。
あとできたら、美味しいものを食べながら。




2話の時点での感想


5話を観て考えたこと
※ミステリと言う勿れ7話のネタバレも含みます