えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

君は永遠にそいつらより若い

この映画が自分にとってどういうものだったか、を考えると難しい。それこそ「とっ散らかる」のだ。


食事のシーンが好きだったことや主人公を中心にしたそれぞれの人間関係が愛おしかったこと、出てくる表現ひとつひとつにああ分かる、と頷いたこと。
そういうことを挙げていってもきっと、「それだ」という表現には辿りつかないんだと思う。



ただ間違いなく私はこの映画が好きで、今観て良かったな、と思った。
だからそれを忘れたくなくて、とっ散らかっても良いので、忘れないために書ける限り感想を書いていきたいと思う。



はじめ、「あーーー大学生こういうとこあるよなあ」と思って観ていた。
ゼミの飲み会の本人は何とも思ってない悪意の言葉にごりごり削られることとか、微妙な繋がりの相手と「仲良し」として喋ることとか、たまにちょっとした会話が琴線に触れてこの人とは心底仲良くなれる気がする、と期待することとか。
大学内の表現もバイト先の表現も、ああ分かる、と思ったし、実際それに近い思い出も自分の中にはあるような気がした。
ホリガイが殊更ひょうきんというか、軽く振る舞うところが自分にも覚えのある感覚だったからかもしれない。



でも、観ながらだんだんと"ああ大学生だから"じゃないんだよな、と思った。
大学時代のモラトリアムの延長にあるセンチメンタル、とか。過渡期にいるからこそ物事をオーバーに、繊細に感じがちだからの感傷とか。そういうものじゃないんだよなあ、と思っていた。
大学を卒業してそれなりに時間が過ぎた今でも、ホリガイたちのあの感覚は私の中に確かにある。だからこそ、そこで行われる会話にひりひりして気が付けば「ああ分かる」なんて言えなくなっていた。
卒業してしばらく経っていても、彼らより"大人"と言われることが増えていても、今もあの感覚は私の中にある。変わったのは、無いふりをできるようになっただけだ。





それは、ある意味で「そいつら」に入ったことの証明に他ならないかもしれないけど。




最近、映画を観るのがしんどかった。
映画館に行きぼんやりするのが好きで、配信サイトでずっと気になっていた映画を観るのが好きな私ではあるが、ここ最近はそうして楽しんでいてもなお、頭の片隅でなんだかなあと考えてしまっていた。



だからか、タイトルにもある「君は永遠にそいつらより若い」という会話にぶん殴られたような気がした。



君は永遠にそいつらより若い。
若いことが何かその人を救ったりはしないかもしれない。むしろ、だからこその暴力や理不尽があったのだ、とも思う。それでも、何故だか、ホリガイの台詞を繰り返し頭の中で思い出していた。
永遠に、そいつらより若い。
この感覚はきっと言葉をいくら尽くしても伝わらないものだと思うんだけど、というか、言葉にできないってことだけ分かってる。ただなんか、ホリガイから直接そう言われたような気持ちになったのだ。そうして、なんだか、ほっとしたというか、叫びたくなるような気持ちになった。


度々、この作品では「その時のあなたを救えないことが悔しい」という言葉が出てくる。そのストレートな言葉にああ、うん、そうだ、と今も頷いている。頷くきっかけをこの映画がくれたのだ。





どうしようもないものを抱えて時々放り出したくなりながら過ごしている。放り出しても良いのだと思う。荷物の方か、自分の方かはタイミング次第で変わって、とどのつまりはほぼ運のようなものなんだと思う。
だけど、そうして過ごすことそれ自体をなんとなく私は今、悪くないと思っている。
それはホリガイをはじめ、あの映像の中の彼らに出会ったからだ。そしてそういう物語が、映画が、この世界でまだ生み出されるんだな、と思えたからだ。



ただただ感傷的な映画というわけでもない。何かを啓蒙することをただ目的としているわけでもない。でもたしかに何かを伝えようとしている映画で、存在している映画だった。



思えばたぶん、私はそういう映画に出会えたことが本当に心の底から嬉しいんだ。