えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ボクラ団義へのラブレター

暫定最終公演。
暫定という言葉がついてるとはいえ、最終という言葉はものすごく重い。
その知らせを聞いた時、私は何をどう考えて感じたらいいか分からなくて一旦全部を保留にした。


コロナ禍であること、でも最終なこと、ただ最近は以前のように観に行けてなかったこと。その中で観ることに躊躇いもあった。
その上、上演される2本は私にとって特別な作品だ。見ずに綺麗な思い出のままにしたいとも正直思った。



だけど約1ヶ月前、仕事中唐突に思った。
ボクラ団義を観に行こう。

どう思うかとか、「何がなんでも行く」と思えなかった自分への失望とかどうでもよくて、
そんなことよりも2015年のあの夏、ボクラ団義を観ることで毎日なんとか過ごしていた自分に報いたかった。




私がボクラ団義に出会ったのは、DVDでだった。大学の大切な友人が面白いお芝居があるからと見せてくれたのだ。
クリスマス、好きな人たちで集まり美味しいものを食べながらハンズアップを観て興奮した。
その次の美味しいものを食べる会でも、ボクラ団義のお芝居を観た。観る作品観る作品どれも面白くていつか絶対、一緒に生で観ようと友達と約束した。
そうして、あの大学最後の夏、耳があるなら蒼に聞けを観に行った。
ようやく生で観ることができたボクラ団義のお芝居のエネルギーが想像以上で興奮した。次のシカクの企画内容を知って、絶対にこれも見るんだと決めた。




そしてそのシカクで完全にノックアウトされ、思い切り芝居の話がしたくてTwitterのアカウント「つく」を作った。ボクラ団義の過去の公演を掘り、客演で出ている方のホームの劇団を観て更に好きな人が増えていく。
いつの間にか、ボクラ団義がきっかけで広がった世界が私の大切な生活の一部になった。



時をかける206号室を見るためになんとか生き延びろと言い聞かせて入ったばかりの会社で耐えていた頃。
仕事中、頭の中でも外でも酷い言葉をたくさん聞いてふらふらになりながら携帯を開けば、そこには楽しそうにかつ真剣に稽古をするボクラ団義の人たちのツイートが観れた。それに笑っていれば途方もない帰り道も平気だった。
家に帰れば、好きなボクラ団義のお芝居を観れる。それがあの頃、家に帰る理由だった。
その時々、どんな気持ちになりたいかで観るDVDを決めていた。仕事の時も、辞めてからも。



ぐったりして帰ったときはわラワレ!を観る。仕事がうまくいかない自分への許せなさを主人公に重ねて何がしたいかずっと考えていた。

遠慮がちな殺人鬼はメイキングを見て、小道具について試行錯誤することに感動して、それを踏まえてお芝居を観るのが楽しくて仕方なかった。

さよならの唄は初演・再演ともに生きることとか死ぬことを観るたびに考える。

嘘つきたちの唄は本当に好きで、観るとしばらくあの歌をついつい歌ってしまうし、雪を見ると心がぎゅうっと締め付けられる。

鏡に映らない女 記憶に残らない男は3人の彼の声が重なるシーンを録音して、会社からの帰り、夜道ずっと聴いていた。決して心地いいシーンではなくて、どころか辛い苦しいシーンなんだけど、そのシーンを見つめながら夜道を歩くのが好きだった。

オトトイは大神さんのお芝居を好きだ、と何度見ても心の底から思ってしまう。そして、ほかのメンバーもそこから数年のほかの作品との変化を噛み締めて、全部、みんな大好きだ…!と震える。

耳があるなら蒼に聞けは、台詞を覚えるくらい観ていたんだと再演を観た時にびっくりした。糸永さんがいなくなってしまうのも悲しくて、大阪に大好きな劇団が来てくれるのも嬉しくて気持ちが忙しかったことを覚えてる。

シカクは、お芝居は演じる人で全く違う印象ななるんだ、という奇跡みたいな事実が嬉しくて、何度も違うバージョンを行ったりきたりして、シーンを見比べてが本当に楽しかった。そして、私はこのお芝居を生で観た時、本当に沖野さんに痺れてそれがきっかけでこのTwitterアカウントを作ったので、そういう意味でも思い入れが大きい。

誤人はその頃繋ぎでやっていた仕事を辞めることが決まって混乱しながら見に行った。不安しかなかったけど、面白いお芝居を観ればもういいやってあっけらかんとしてしまった。

ハンズアップのDVDが手元に来た時は震えた。放り出したくなった時は必ず観て、ちゃんと手を挙げようと思えることを確認した。

ゴーストライターズはセットに笑ったり物語に泣いたり忙しくてでもライトに観れるから(当社比)疲れ切った時に定期的に見ていた。

ハイライトミレニアムはHi-STANDARDを知ったきっかけだった。もちろん、音楽は聴いたことがあったけどそれがなんていう名前のバンドでどんな風に憧れられているのかを私はこの時知った。お芝居は、それ自体だけが記憶に残るわけじゃない。それを見た時の景色、記憶、状況も残るし、そして世界を広げてくれる。

今 だけが戻らないはあの初日を観に行った。幕が上がり、降りることが奇跡だと改めて思った。本当の初日をTwitterで見守って泣いて、映像で何ヶ月越しで見れてやっぱりまた泣いた。

ぼくらの90分間戦争は、阿佐ヶ谷でどうしても観たくて東京に行った。街を歩きながらボクラ団義の数年を想像して、観劇仲間と飲んで、大阪公演は観れはしなかったけど、やっぱり観劇仲間と飲んで。色んなことを話したし、そうしながら、増えた思い出のことをずっと考えていた。



長々書いちゃったけど、まだ足りない。


いろんなことが嫌になった夏も冬も、お芝居はすごい!と思えたら平気だったこと。
新卒の嫌な思い出が詰まった会社を恨まずに済んでるのはそこで最高の友人に出逢えたからで、そのきっかけはボクラ団義の「ハンズアップ」がくれたからで。
色んな素晴らしい劇団、役者さんに出逢うきっかけをくれたこと。
その出会いが、今日までの面白いをたくさんくれたこと。
ボクラ団義のお芝居の好きなことをどうしても話したくて作ったこの「つく」というアカウントのおかげで、初めて私は好きなものを好きだと語っても良いんだということを知ったこと。



本当に書ききれないくらい、色んなことがあった。色んなことを思ってる。


今回、観に行けないかもしれない、と出発前日思った時、全部全部投げ出したくなるくらい辛かった。そりゃ、そうだよなあ。
ボクラ団義さんがいなければ、私の人生は全然、違うものになってたんだから。


ずっと楽しみにしていた時をかける206号室をようやく観れたあの夏。時をかける206号室は可能な限り観たくて遠征ながらに取れるだけのチケットをとった。
千秋楽のカーテンコールの光景を観ながら「私はまだたくさんお芝居を観なきゃいけないからあんな仕事してる場合じゃない。生きて、お芝居を観たい」と決めたことを私はたぶん、一生忘れない。



ボクラ団義は、そこにいる人たちは、ずっとずっと、一生、私の恩人なのだ。



今回の公演は配信もあるよ。

ハンズアップ


耳ガアルナラ蒼ニ聞ケ