えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

横道世之介


ライフプラン、なんて話がある。
それがお金のことなのかそれとも結婚のことなのかキャリアのことなのか、はたまた何か趣味などの生き甲斐を探すことなのかは様々だ。
さまざまなんだけど、そのどれもが「よく生きる方法」を教えようとしてくる。
ともかく何か正解を探そうとあるいは、正解らしいものを提示しようと世の中にはそういう類の情報に溢れてるなあと思う。
たまにそういうのを不安に駆られて見るけど、実際、ああなるほど役に立った!と思うことは少ない。
あとそれが行き過ぎると依存になったり宗教になったりと危うさを孕みだすし、だいたいはしっくりこねえなあーと携帯のブラウザを閉じることの方が多いのだ。



さて、横道世之介の話をしたい。

この映画を私はレイトショーで観たかったな、と心の底から思った。仕事終わりに疲れて適当に「なんとなく気になったから」という理由でチケットを買い、珍しくホットドリンクなんか頼んで人の少ない劇場でちょっと緩く座りながら観たかった。
妄想がいちいち具体的だけど、なんだか私は家のソファでそれこそだらんと座って観て、なんだかそういう見方をしたような気持ちにすらなったのだ。


横道世之介横道世之介が大学に進学するところから物語が始まる。九州の田舎から出てきたいかにも純朴そうな青年の物語だ。
そこで出会う友人、片想いの相手、恋人…ともかく色んな"横道世之介に出会ったひとたち"が描かれ、一章が終わるごとに未来のその人たちが描かれる。


すっかり歳を重ねた彼らが懐かしく愛おしいひとについて話す口調で「世之介がさ」と語る。
そこに横道世之介の姿はない。
なんなら、そんなに密に連絡をとっていた様子はなく、あくまで横道世之介は彼らの人生のある一瞬、通過点を共有した相手でしかない。


だけど、それを語る表情が優しくて私は本当に好きなのだ。



そうやって思い出を語る彼らのそばに、横道世之介はいない。いないけど確かに居る気がする。

今回の観るきっかけになった綾野剛さんが演じる「加藤」にとって、横道世之介は人間違いで話しかけてきた変わったやつ、である。
そしてなんなら、彼は大人になってしばらく、横道世之介のことを忘れていた。
その上、大学時代のことを振り返り「面白いやつはいなかったし、友達もいなかった」と語っていたらしい。それでも、ある日、世之介のことを思い出した彼は、心底おかしそうに笑って言う。

「ああそうか、お前は世之介知らないんだ」
「なんか、世之介を知ってるってだけで得したような気がする」


きちんとメモをとっていなかったので、記憶のままの台詞になってしまうけど、私はそう語るシーンが本当に本当に好きなのだ。夜景が映り込んだから、と片付けてしまえないくらい、加藤の目がきらきらと光ってた。
それだけで、彼にとって横道世之介との時間がどんな時間だったのか、その存在がどんな存在だったか、十分感じられる気がした。


同時に好きなのはそれが、加藤をはじめ、他の登場人物にとって人生を大きく変えたわけでもないことだ。
いや変えたとは思うんだけど。
でも実際、加藤は横道世之介のことを忘れていたし、他の人々も連絡をとったりしていなかった。どうしているかなあと語ったり、偶然知ってしまったその日、彼のことをぐっと考え込む瞬間がたまたまやってきたりする。
なんか、そのあたりがすげえリアルだなあと思った。と、同時にそれでも十分幸せなんだと思えて、私はすごく嬉しかった。


何か劇的な存在じゃない。だけど底抜けにいいやつでちょっとズレてて、みんなが彼を大好きだった。
特別じゃない、と、どうしようもなく特別だが同時に成立するようなそんな愛おしさが見終わった今も胸の奥でぐるぐるしている。
抜群の解決策なんてものでも、百点満点に変える劇薬なんてものでもない。
それでも、彼と出会えた人生はラッキーだった。あの人と過ごした自分は得したなって思える。それってなんて、すごいことなんだろう。



そしてそんな生き方をした横道世之介は、まさしく「よく生きた」だと思うんだけど
じゃあその生き方をどうやったらできるかなんてことは解説できたりしないのだ。それが本当に嬉しくてでも大変だなあと苦笑いしてしまいそうで、愛おしい。
いずれにせよ、この映画に出逢えた私は横道世之介と出逢えた彼らと同じようにラッキーだったな、とは思うのだ。