えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

拝啓 コックピットより

一年半ほど、北海道で暮らしていた。
仕事の都合でかつ短期での居住だったので、ワンルームを借りていた。その部屋がコの字だった。キッチンがいっぺんの長い部分にあって、その反対にベッドを押し込んでいた。というか、ベットくらいしか置けないような配置だったのだ。
だから、細長いベッドだけの空間、左右をほぼ壁に囲まれながら約一年半、寝ていた。


ちょうど去年の世界がひっくり返ったような時期での一人暮らし。特に知り合いもいなくて、かつ、知り合いを作りに街も出歩けず
また、多くの人と同じように私もしっかり参って過ごしていたその時間。
眠るのが少し下手くそになった時期、私を自分を取り囲む壁を見ながら「まるでコックピットみたいだな」と思っていた。


世界から切り離されたようなその空間。何も見えない聞こえない。そういえば、雪が降るとやけに街が静かだったからそのせいかもしれない。
使い倒した布団にくるまってじっとする。それは昔、漫画の中で読んだ宇宙船のコックピットに似ていた。



去年、どうしようもなく悲しいことが起こった時、私はほぼ反射的に度数高めのお酒数本と思いつく限りのつまみ、それから次の日のご飯を買った。
行儀の悪い飲み方だということくらい重々承知していたけど、アルコールで理性の箍をなるべく緩めなきゃいけないと思った。
ここでちゃんと泣かなければ「悲しい」と言わなければ、たぶん、私は今この内側にある悲しいや寂しいを後生大事にするような気配がした。



悲しいという感情を内に置いておくわけにはいかない。それはじわじわ、私を削る。


もちろん、アルコールで理性の箍を外さずにそういうものと向き合えることが一番理想的であるけれど、
余計なことを考えそうな頭を黙らせるためには、また悲しいということ向き合うことだけをするためには必要だったのだ。



そうして、計算通り、しっかり理性の箍を外して私はその時、生まれて初めて、目が腫れるまで泣いた。
泣きながら、どれだけ悲しかろうが嬉しかったり好きだったり幸せなことはなくなりはしないのだと思った。泣くだけ泣いてコックピットに逃げ込んだ時、あたたかな布団の中で思ったのは、ああ大事だなというシンプルなことだけだった。




ところで、札幌の夜明けは早い。緯度だか経度だか覚えてないけど、つまりそういうものの関係で4時には明るくなっていく。
めちゃくちゃ早い。しかも眩しい。
朝だ、と私はその光景を見るたびに思った。
暗かった窓がだんだん明るくなる美しさを私は札幌のその個人的なコクピットで知ったのだ。




まるで、示し合わせたかのように今日、めでたい知らせが古い友人から届いた。知ってるかもしれませんが、と書かれていたが寝耳に水でああ良かったと思わず仕事中、通知を見て叫びそうになった。
通知を見て声が出そうになることが、一日の仕事中、二度もあるのは本当に珍しいと思う。



あのコックピットを私は今、思い出している。
ひとりきりの街で唯一私の居場所だったコックピットは、とてもとてもシンプルなものだけあった。
好きなもの、大切にしたいひと、時間。嫌なこと、悲しいことや許せないこと。
取り繕う必要もないことがただあちこちに降り積もっていて、特にそれをどうする必要もなく、眺めて過ごしていたのが、あのコックピットでの時間の意味なんだと思う。



今はただ、このコクピットの中にいたい。
札幌の家を引き払い、短期間での引越しなんて無茶をしてまで手に入れた場所は、たぶん、あのコックピットと同じようにただ私を匿ってくれる。


コックピットにはやがて、朝日が入ってくる。容赦なく「次の日」を私に教えてくる。わかってるから、だから今だけ、ここで過ごさせてほしい。



https://music.apple.com/jp/album/leave-my-planet-feat-%E9%8B%BC%E7%94%B0%E3%83%86%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%B3/1586068083?i=1586068739



別にこの曲を聴きながら書いたからコックピット、という表現を使ったわけじゃないけど、
この曲への好きが増したな。