えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

みらいめがね それでは息がつまるので

9月21日のラジオがとても好きで、萩上チキさんの本を買った。声や言葉の柔らかさ、そして何より源さんの「若林さんとの放送回が好きだった人には、お守りのようになる本だと思う」という言葉に、気が付けば本を注文していた。
(聴いた時の心の動きをとっておきたくて、あの日の放送はわざと極力言葉をメモしなかったので、ニュアンス満載の表現として受け取って欲しい)


一つ目の娘さんと観ているディズニーから、その変遷、価値観について描いたエッセイからこれは大切な本になるな、と確信した。
だから、一気に読んでしまわないように注意深く、ひとつの移動につき一エッセイという縛りを設け、慎重に慎重に読み進めた。


21日の放送の中で、読書という経験をふたりは「世界が変わること」だと表現していた。それまで見えなかったことが見えるようになる、見ていたものの表情が変わる。そんな経験ができるのが読書なのだと。



それを思い出したのは「僕の声とラジオ」の回の「インポスター現象」の話を見た時だった。
自分の能力について、ズルをしていると感じる・過大評価されていると感じ、いつかそのことが周りにばれて糾弾されるという不安感がある。
その感じは、私の中に身近な感覚だった。
例えば、喋ること・誰かに大切にされること。最近はちょっとずつそれを「認めること」という誠意の返し方もあるのだと言い聞かせ、納得するようにしている。
だけどどこか、お前なんか、という自分への謗りがあるような気がする。それはいつか聞いた誰かの声のような気もするけどよくよく聞けば、たいてい、自分の声なのだ。


その感覚に、名前がついた。ぼやけた世界が輪郭を持った。
今まで、例えばセクシャルマイノリティの話を考えた時、名前をつけることは必ずとも幸せとはいえないんじゃないか、そうすることで逆に生まれてしまったしんどさがあるんじゃないか、と思っていた。名前を得たことで安心した、という話を聞くたびに、考え込んでいた。
だけど、ほんの少し、感覚が分かった気がした。自分の中にある感覚に名前がつくことは確かに「安心する」。
もちろん、それで生まれるしんどさもあるだろう。だけど、それは安心することと両立して存在しうる。そんな当たり前のことを私は読書という体験を通して、理解して、世界が変わったような気がする。



生きづらさがずっとあって、それは何も私が特別だからというわけじゃなく、みんなそうなんだ、とずっと思ってる。それをおかしく希望に感じることもあれば、とんでもなく憂鬱な気持ちになり色んなことにがっかりすることもある。なんなら、後者の方が多いだろう。
絶望しきりたくない、諦めたくない、例えどれだけの地獄だろうがげらげら笑って過ごしてやりたい。
そう思いながら、いつもいつ足が止まってしまうか不安になるし、いっそ止まってくれと思うこともある。



なるほど、確かにこの本はそんな私にとってはお守りのような本だった。


目が悪い人が眼鏡をかけるような感覚で、遠くのものを見る時にかけかけえるような感覚で、この本を読む。知らないこと、知ってること、感じていたけど形が分からなかったもの。
それをこんな眼鏡もあるよ、とつぶやくようにチキさんが教えてくれる。


ゲームや音楽、漫画、文学。今までの人生のなかでチキさんのお守りになってきたもの、これがあるから、と「世界中が自分を拒んでるわけではない」と教えてくれたものたちがエッセイの中には出てくる。
また、チキさんの目を通して見た愛おしいもの、信じたいと思えるような話は、私にとってはお守りだとも、毛布のようだとも、絆創膏のようだとも思った。


この本がお守りになると思うという源さんの言葉通りだった。

「日常と、世の中から、呪いを解いていこうじゃないか」


そんな柔らかい言葉が誘って聞かせてくれる言葉たち。そしてそこに添えられたヨシタケシンスケさんのイラストと漫画がじんわりと染み込ませてくれる。


そしてこれは、ある意味で、チキさんにとっても「語り直し」の一つなのかもしれないと思った。だからこそ、私はこんなに惹かれるのだ。娘さんと息子さんへ語りかける回で、私はなんだか、泣きそうになった。優しくて力強くて、なんというか「ああこの言葉が読めて良かった」と思う。


誰かがそうして、語り直しをすること、世界の話をすること。私はそれを見ると、ああまだ大丈夫だ、と呟きたくなる。
がっかりすることも諦めたくなることも多い。だけどまだ、まだ大丈夫、まだ間に合う。
それは、力強く背中を叩いてくれるというよりかは、そっと一緒に伴走してくれるような優しい距離感なんだ。




まだ、2巻は読めていない。あと1冊、この人の本が読める。なんなら、チキさんが書き続けてくれる限り、そして私が生きている限り、まだこんな言葉に出会える。
何より、その実感こそ、生きる上での最高のお守りなんじゃないか。