えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Vivid Scramble

振り返ると「Vivid Scramble」というタイトルは本当に秀逸で素晴らしかったなあと思う。


ここは人生(ドラマ)のスクランブル交差点


そうキャッチコピーを与えられた一人芝居を観た記憶がなんとも幸せで噛み締めている。


そもそも"vivid cafe"とはボクラ団義に所属の大神拓哉さんが続けてきた一人芝居のシリーズである。大神拓哉さんはボクラ団義でも他の団体でもコメディアンとしてそれはもうすごい才能で今までたくさん楽しませてきてくれた役者さんだ。
その彼が作り出してきたvivid cafeはどこかにいそうな人々を個性的にあぶりだし、生き生きとそこに生まれさせる作品だ。
今作でもあった、「バックレを決行する!」など、耳とインパクトに残る台詞とともに生きる彼らが、私は本当に大好きだ。
なかなか遠征組であることと仕事柄土日の観劇の機会に恵まれず、生で観ることは今までも叶ってないけれど、いつか絶対生で観たいと決めている作品の一つだ。



さて今回はcafeではなくScramble。
役者も大神拓哉さんが担うのではなく、7人の役者を招き、大神拓哉さんは脚本・演出に徹する。
もう、その時点で「どうなるんだろう?!」とワクワクしたのだけどそこに参加される役者さんの名前に大好きな方々を見つけ、テンションは一気に急上昇した。



しかし、このコロナ禍で「もしかしたら今度こそ生で」という願いも潰え、落ち込んできたところに飛び込んだ「配信決定」というお知らせ。本当に嬉しくて飛び上がって喜んだ。
全ての好きな作品を観れるわけでもなく、また配信公演は様々な負荷が大きくかつメリットがあるかは賭けだという話を聞けば聞くほど、軽く配信してくれ、とも言えない中、本当に本当に嬉しかった。ありがとうございます。観れたよ〜!!!!!



そんなわけで、私はこの公演はそもそも、どこか「会えた」嬉しさがあった。



大神さんの前説、好きでした。なんというか、私は大神さんが楽しそうに話すところが本当に好きだ、とボクラ団議とかの活動でも思うんだけど本当にわくわくする。
楽しそうな人を見ると、こちらまで楽しくなる。
そして、「想像してみてください」という言葉に胸が高鳴った。白い額縁のような舞台セットが、少しおかしな、しかし愛おしい人たちのいる"場所"に変わる。


いつだか、大神さんが街中で嫌だなって思った人を見るとvivid cafeに出せないか考える、と話していたのがすごく好きで覚えている。
実際、今回のVivid Scrambleでも出てくる人はなんなら少し困った人もいる(バックれようとしたりするし笑)

でも、その中でなんだかんだ笑ってるうちに愛おしくなり、好きになる。
それは、なんだか、優しいし楽しいよなあと思う。

そして今回、魅力的な役者七名によりまた新たに生まれ変わった彼らは変わらず愛おしくて困った人でチャーミングで最高だった。
おいおい!とツッコミを入れたくなるような、あーでもいるいる、と思うような、その感覚がたまらなく好きだ。

そして、演者が変わることで印象が変わるというそのお芝居を観る上で最高の贅沢を、七本味わえる。それはね、もうね、最高なんですよ。嬉しすぎていまだに思い出してはニヤニヤしてしまう。
それがなんで最高なのかは色々あるけど、たぶん、「引き出しが開く」のが楽しいんだと思う。
こんな引き出しが!とまるでびっくり箱に驚くように、楽しい。次は何が出るんだろうとワクワクする。


そんな七色が集まり私たち観客の想像力が合わさって生まれる、まさしく"極彩色"な光景を楽しんでいると、思いもよらない幸せな終わりを観れた。


七人の登場人物たちが、一同に会したのだ。



たしかに台詞のなか、「あ、この人さっきの人の?」と思わせるものが多くあり、笑ったりなるほど!とワクワクしていた。
それが、しかし、実際に「会った」瞬間、なんとも言葉にできない感動が込み上げた。
そうか、だから一人芝居を七人の役者で上演したのか。そうか!



もともと、vivid cafeで好きな演出で、合間に写真を使い、その人物たちの「生活」を映すものがあった。さっきその人たちが語った物語を絵として楽しむこともそこにボクラ団義のひとたちが写っていることも大好きだった。
何より、その写真を見るたびに、ああ彼ら彼女らは"いる"んだ、と嬉しくなった。




その感覚が、更にはっきりとした輪郭というか、実態をもって目の前に現れたような、そんな気がした。




ああ会えた!という嬉しさを、しかもこのタイミング、この時期にもらえたことが、本当にどれだけ嬉しかったか。
あのちょっと困った、でも愛おしい人たちを思い出すたびに、私は思い出し笑いをするだろう。同時に私は「いつかきっと会える」と信じられるような気がする。
"スクランブル"どこかの街角で交錯する人々、交わる役者。そしてその先はきっと、私たちの生活に繋がっている。