えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

三文小説集

書籍化、という言葉を見たときに、買うと決めていた。
その漫画を最初に見かけたのはいつだったか思い出せない。少なくとも、二度三度読んでいたように思う。



「僕は兄になりたかった」


ツイートでいくつかに分かれたその漫画が私はとても好きだ。
そして今回、「三文小説集」というタイトルがつき、「野犬夜曲」シリーズとともに発売されたこの愛おしい漫画について語りたいと思う。



「野犬夜曲」はある男と、小説家の女の物語である。
ふたりとも、帯の言葉を借りればどこか歪だ。
男…啓吾は心のうちに渦巻くこころを言葉にする術を持たない、言葉自体を持たない。
女…綾川ツキは心も何もかもを"娯楽"に変える。


ふたりが惹かれあって、と表現するには少し言葉が負けてしまう感覚がある。啓吾の人生を"娯楽"に変えた綾川ツキは、その啓吾とともに暮らす。

なんというか、なんなんでしょうね。
この野犬シリーズは、私はTwitterで読んでいなかったので、コミックで初めて読んだんだけど、シンプルに「なんだこれは」と思った。
恋愛漫画、という枠ではないし、かといって他のジャンルに入れられるかというとそんな気は少しもしないし
いやそもそも、枠に入れることすら意味があるように思えなかった。



ただ、ざわざわと身体の内側に何かが湧くような感覚。言ってしまうと、そういうものに近かったように思う。


心がどこにあるのか。
啓吾は、言葉にできない。言葉にすることは、感情に出口を与えてやることだと思う。
例えば、心と言葉がイコールかといえばそういうものでもないんじゃないか。ただそれでも、言葉を与えてやれば、名前を与えてやれば出口が見つかる。
綾川ツキが作中言った通り、言葉にして、意味を与えてやる。そうすることで、壊さずに済む、壊れずに済むことはあるんだと思う。




ただ同時に、言葉にすることは変えて軽くすることだ。だからこそ、言葉を知らない啓吾のうちで渦巻く激情に綾川ツキは惹かれるんじゃないか。そこにあるのは、言葉にしてしまえる綾川ツキにはもう二度と持ち得ないようなそれであり、また、そんな彼に触れるとき、たしかに綾川ツキの中にもそれに似た何か、言葉が追いつかないものが湧いてくる。

それすらきっと、彼女は言葉に変え、娯楽にするのかもしれないけど。



それでも、その言葉が追いつかないような激情に駆られる啓吾の姿は作中、黒い獣と表現されるように美しい。それに、その感情の一旦が自分に向けられるとしたら、それは、間違いなく、甘美だと思う。言葉で誤魔化せない。



人生に意味を与えて、色んなものを手に入れる。その中で虚しいわけでもないだろうけど「こんなもんか」と過ぎる時が来る気がする。
加えて、啓吾が満ち足りてるはずなのに足りない・満たされないという姿が心に残っていて。



ふたりの間にあるものが恋情か性欲か、あるいは執着か、みたいなのをずっと考えてる。それこそ「名前を与えたい」とずっと思ってる。
こんなもんか、と諦めとかうんざりとか、「大体こんなもん」を忘れられる瞬間があのふたりの間にはあるのかもしれない。
それが名前を付けられないからこそ惹かれる。なんとか近い言葉を当てはめることはできても、そんな枠を易々と壊してどこかへ駆け出してしまうような熱量が、紙いっぱいから伝わってくるから、私は好きだ。




そして、「僕は兄になりたかった」である。
ある兄弟の物語で、ある弟の物語だ。
本当にね、私はこの話が大好きなんです。何度かツイートで流れてくるたびに読み返して、そのたびに泣いてしまう。うまく言葉にできない気持ちが胸の中にいっぱいになって、喉が詰まる。
Twitterでも読めるし、でもできたら、ぜひ、本で手に取って欲しい。
私は今回、書籍化した本を購入して、手に持ちながら読めて嬉しかった。手の中に自分の大切な物語があるというのは、すごいことだな、と思った。




諦めかける一歩手前、くだらないと落としてしまうその前をそっと手を握ってくれる作品達だと思う。
「僕は兄になりたかった」で"彼"が本当は何をしたかったのかと問いかけられ、自身に問うシーンが好きだ。
悲惨な結論や虚しい結論すら出せそうなあの場面からの展開が本当に本当に好きだ。


描くことでなんとか生きるひとたちの話だったな、と思う。し、でも、描かないひとも平等に描いててどっちがいいとか悪いとかではなくて、どっちも必要なんだ。
そう思うと三文小説集ってタイトルが秀逸すぎてすごい。全くうまく言えない。言葉にしたくないのかもしれない。もう少しこの、名付けようのないものの輪郭や熱量を自分の中で確認していたい。



ものすごく激しい、怒りや悲しみに近いものを描きもするんだけど、それを過度に飾り立てず、かと言ってちっぽけだと言い捨てもせず、
手を伸ばしてくれるこの瀬川環さんの作品をこれからも観たい。観れるということが、私はたまらなく嬉しい。