えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

星野源のオールナイトニッポン 2021.07.20

ラジオが好きだ。
まだ聴き始めて一年も経っていないけどそれでも今、もし好きなラジオ番組がいつか終わってしまったらと思うとちょっとぼんやりしてしまうくらい生活の一部になっている。


なんでラジオが好きなんだろう。
元々、私の中で「深夜ラジオ」は憧れの存在だった。
こだわりがある人が好きだ。そして深夜ラジオ、はそんな人たちのコミュニティだと思っていた。
昔、全く聴いてなかったわけじゃないけれど、姉の真似をして、というか引っ付いて聴いていたからやっぱり「格好いい姉が好きなもの」という引け目というか、足を突っ込むにはハードルが高い場所だった。


それでも「ラジオ」そのものが縁遠い存在だったわけじゃない。九州の田舎育ちの私にとって、移動といえば車、車といえばラジオだった。時には両親や私たちが編集したカセットテープを流すこともあったが、大半はラジオが流れていた。
そこで聞いた「あ、阿部礼司」をはじめ休日の夕方かかる番組や朝、予備校をサボりたいと駄々をこねた朝強制送迎されるなか聞いた地方の朝番組などなど…。そこには、子どもの頃の思い出がくっついている。


そんな中、大人になり車に乗ることも減ってすっかりラジオが遠くなっていた頃、ひょっこりまたラジオが私の生活に帰ってきた。



星野源を好きになったからラジオを好きになった。
言ってしまえばそれだけのことかもしれないけど、そうじゃない、と思いたい。いや、いつか例えばもっと好きな存在ができたり、生活が変わった時、ラジオが自分の生活からなくなることはあるかもしれない。
それでも、今、確かに私の生活にラジオがある。そしてそれが1週間の大きな糧になっている。
だとしたら、十分、残しておきたいと思う。私は私の感覚を信用していない。だからこそ、このブログを書いているのだ。何も変わらずそのままでいれるなら、そのくらいの強さがあるなら、ブログなんてしない。そうじゃないから、だから、私は今、こうして文を書く。


2021年、7月20日の放送の星野源オールナイトニッポン。それは私の中ですごく大きな意味を持つ放送になった。
星野源オールナイトニッポンにはジングルのコーナーと呼ばれるものがある。そこではリスナーから送られてきたジングル……CM明け後に流れる短いタイトルコール(の前に音楽や語りが入るもの)を紹介し、特によかったものは本当にジングルとして使うというものだ。
私はこのジングルのコーナーがすごくすごく好きだ。
素敵な短い自作の音楽や下ネタも含んだ想像しないような短いトークに毎週ワクワクしたり思い切り笑ったりしている。
そして今週も、それはもう笑った。
私もげらげら笑ったし、源さんも構成作家の寺坂さんもめちゃくちゃに笑った。
ただただ面白くておかしくて、部屋にひとりきりで大爆笑した。部屋には私とラジオから流れてくる笑い声が溢れていた。



ラジオを聴いて爆笑することもあれば、しみじみ言葉に聞き入ったり、知らない音楽や好きな音楽にらわくわくしたりする。
私のラジオの時間はだいたい、そういう時間だ。




ところで、メールを読まれたいか、と言われると難しい。送ったことがないわけでも、読んでもらえないかと夢見たことがないわけでもない。でも、心の底から120%、読まれたい!と思えてはいないし、ましてや「ハガキ職人」(今の言い方にするなら「メール職人」)になりたいとは一切思わないのだ。
それはなれるわけがない、という憧れからの諦めかもしれない。やっぱり未だに、私の中でラジオは少しハードルの残る憧れの場所なのである。
しかし、その「無理だと思う」以上に聞いて楽しむ、の距離感が居心地良く、私は好きなんだ。



で、ちょっと思ったんだけど、いい意味で私にとってラジオは他人事なのだ。
へえ、って思いながら聴いてる。だからこそ時々、不意打ちで刺さってそれがまた気持ちいい。
ヘビーリスナーさんの名前を覚え、時々番組内で出てくる名前に、お、相変わらず元気そうだなとにこにこしたりするのが楽しい。



そして、もちろん、メインパーソナリティが好きだからというのもあるけど、でもなんというか、ラジオを聴いてる時、私は彼をはじめ、彼ら(私が習慣的に聞いてるラジオ番組のメインパーソナリティの人々)を「推し」という感覚とは少し遠いところで聴いてる気がする。
そういえば、星野源オールナイトニッポンのCMで、深夜に友達の家に遊びに行くような感覚という表現があった。
(あのCMが本当に好きだったんですが、何曜日のオールナイトニッポンを聞けばまた聞けるんだろう…本当にまた聴きたい……)
それだ、と思う。
そうなんだ、だからくだらない話でげらげら笑ったり時々真剣な話をしたり、その直後にまたふざけたり。それは、確かに深夜、友人と眠いねなんて言いながら過ごすあの感覚に似てる。
だから、パーソナリティもヘビーリスナーも含めてなんだかその瞬間だけは「友達」のような気持ちになるのだ。
ラジオが終わればまた、それぞれそうじゃない存在に戻って生活に戻っていくんだけど。
ただ同じ話をしながら笑ったその感覚は、ほんとに、私の毎日の中に必要なのだ。



なんというか、日々、人と話したくなくなることが多すぎるじゃないですか。
好きだっていうことが誰かを傷付けたりもするし、本人は本当に悪意なく言ってるだろう言葉に何時間もぐるぐる考え込んだり。ここ数日、ずっとそんなものがあって嫌だなあと思っていた。
どうしたら伝わるだろう、と伝わりっこないのだ、が同時にやってくる。
伝えるって本当、難しい。論破することとは違うのだ。もっともな正論なロジックでいくら相手を殴ろうが、それじゃダメなんだ。
でも、正しいことは必要だと思うし、なんて答えのないことを延々と考えると思考回路は袋小路になって、出口をなくす。いやそもそもたぶん、出口なんてないのだ。



あーもう、一人でいれば良いんじゃないか人間、なんて、思ったりする。


ただ、今週ラジオを聴き、げらげら笑って、そしたらなんか、良いか、と思った。良いか、っていうか、あーたのしー!とニッコニコしていた。そうだ、ラジオは私にとって、論破とか誰かや何かを変えるためのそれではなくてただ笑ったり昔のことをふと思い出したり、そういう時間なんだ。そんなことを源さんの「ラジオは楽しい」という言葉を聴きながら、頷く。
嫌なことがある毎日の中で、週に思い切り笑えること、聴いていて楽しいと思える時間があること。それは、なんて幸せなことだろう。
そして私は来週も、楽しい話ができる友人の家に遊びに行くように、radikoのチャンネルを合わせるのだ。



今週の星野源オールナイトニッポンはタイムフリーで聞けます。
星野源オールナイトニッポン | STVラジオ http://radiko.jp/share/?t=20210721010000&sid=STV #radiko

リスナーさん、彼女ができてよかったね、おめでとう!