えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

吾輩は社会人である

吾輩は社会人である。
名前はまだない。



週5、仕事だけしようかな、と思った。
仕事だけ、と言いながら相変わらずドラマは観ていたしこうして文も書き溜めていたし、締め切りが近い公募の文もぐるぐると書いては削りしていたから厳密には全くだけ、ではないんだけど。
でも、なんというか、ツイートしたりして「仕事以外の自分」に視線をやる時間を減らしていっそ思い切って仕事を軸に置いてみた。
そうしてしばらく違ったな、と思いはしたけど、その直後また仕事だけ選ぶべきなのかな、とまた袋小路に突き進んだ。


営業をしている。
詳しいことはもちろん省くけど、営業といえばだいたい喋り、物を売る仕事だ。
ついでに、大好きな星野源さんの歌から言葉を借りれば「好きでもないものを売る」仕事である。


どうだろう、もちろん、自分の販売してる商品を心から愛している人もいるだろうし、私はそんな人のことを尊敬もしている。ただ、私は別段自分の商品を愛してるわけではないし、なんなら結構売るものはころころ変わるので、一つを愛して、とかはない。業界的にも行きたくて、というよりかはのっぴきならない状況と偶然で出会い、そのままずるずると仕事を続けているので、惰性はあるかもしれないが、愛着はそんなにたぶん、ない。
仕事に対して、熱意のある人間かと言われても、やっぱりそんなことはない。



難しいことをやろうと思った。
転職活動を過去、2回やったことがあるけど、2回目は難しいことをやろう、と思った記憶がある。なんせ、年齢的にもその転職回数・転職スパンは短く、たぶん次折れるとその後の道を探すのが難しいな、と肌感覚で感じていたのだ。
ただ一方で、仕事は運も大きいしもしもまたダメになったら、潰しがきくようにしたい。そう思った。だからこそ、難しいことをして、なんとかしようと思った。難しいことをすれば、経験値も上がるし自信だってつくはずだ。そしたら、もしもの時もなんとか食いっぱぐれずに済むだろう。
そんなマイナス要素満載の中で始めた仕事をギシギシ歯軋りしながら続けてる。



面白くもないし、夢もない仕事。そう時々、自分の仕事を説明する。



でも、例えば伝えるために勉強すること。相手を見ること、観察した上でアウトプットを工夫すること。考えて視点を変えること。
そういうものがいくらでもこの仕事にはある。
どの仕事だってあるのかもしれないけど、でもこの仕事をしてる時に初めてそんなことを思ってだから、存外、私はこの仕事のことを気に入ってる。
人と一対一でどうやったら伝わるか、相手が何を伝えたいのか。相手の心が動く瞬間、方法を探しながら言葉を尽くす。
そうだ、私は、この仕事の言葉を尽くせることと思考を続けて続けてようやく一つ、答えに辿り着けることが楽しくて仕方ない。



才能がないと諦めた言葉を届けるという仕事を、畑は違えど、できているのだ。
相手が受け取りやすい方法、欲しい言葉を考え、一番刺さるタイミング、刺さる方法で、かつただ「聞こえのいい言葉」に落ちていかないように勉強したり準備したりしながら、喋る。
それは、確かに、ものすごく、めちゃくちゃ、楽しい。


だからこそ、自分の好きなものや軸を捨ててでもやってみるのもありなんじゃないかと思った。まあ半分というか大半は自暴自棄の結果の考えだったけど、その隅、どっか、それはそれで幸せじゃん?と思った本心もあったのだ。


私は社会人になって早々、躓いた。


仕方なかったとも思うし、私は悪くない精一杯やったと思う一方でいまだに悔しかったというかまだ出来たんじゃないかと思うことがある。

あの時ああしていれば、ここが変わったなら。

例えばそれこそ、今の少しは荒波に揉まれ乗りこなす術を身につけた今の自分なら。
そういう意味で「好きなもののと離れてでも仕事をすること」は不幸だとか、自暴自棄だとかいうだけではなく、あの日の自分に「あの時の分、殴り返しといたから!」と宣言できる日に繋がるんじゃないか、と思った。


とか、まあ、言ってるけれども。
何より、「ちゃんとできない自分」への劣等感からの「やってみようかな」だったような気もする。

些細なことにこだわったり抜けていたり、そういう真っ当さが足りないところに気付くたび、わりと本気で毎度凹んでしまう。なんでこいつこんなダメなんだよ、と自分相手に毒を吐いてしまい、そんな酷いこと言わなくてもいいじゃん、と落ち込み、負のループに足を掬われる。


昔から「どうして普通にできないのか」とうじうじ悩んでいたけど、それはその努力をする時間をとってこなかったというのも多分にあるし、じゃあ、その"努力"ってやつをやってみてもいいんじゃないか、だとしたらそりゃ、好きなものや人たちから離れることになるんじゃないか、とも思った。
好きなものがあると、どうしても躊躇う瞬間があるから。これ以上やると、良くない。そういう命綱みたいなリードみたいなのが、私にとっては好きなものだ。


みたいなことをぐるぐると考え、考えた結果、仕事の先輩と話した。一旦話そうと言ってくれた先輩は、それをそうかそうかと聴きながら、言った。


「いや、好きなものも仕事もとるのもつくちゃんじゃないの」



いつからそんな物分かり良い子になったの、と言われたのは多少気になるけど、あっけらかんと言われるとそっか?!と目から鱗が落ちた。
ずっと、好きなものも仕事もとってきたじゃん、と言われて、そうだっただろうか、と思った。
ついでに、そうか、どっちも欲しいから私は困ってたのかもなと思い至る。仕事だけ、好きなものだけ、が選べなかったのだ。
私は我が儘だし欲しがりなので、「これだけで我慢しなきゃ」と思うのが物凄いストレスだったんだな。
それこそ、先輩の言う通り、そこでどっちかを選ぶほど私は物分かりがいいタイプじゃなかったのである。



まだまだ仕事がしたい。自分がどこまでやれるか興味があるし、まだやれる、と思ってる。
好きなものだって、どれひとつ諦めたくない。芝居もライブも映画も観たい。なんなら音楽だって聴きたいし、本だって読みたい。
そして何より、文が書きたい。書いて何になるかとかじゃなくて、ともかく、書きたいんだ。
そうか、それ全部、諦めなきゃいいのか。
なんだかそう、すっきりしたので、書いた。



ここ、好きなことの話をする場所なのに、仕事の話してるな。まあいいか、結局、たぶん、仕事のことも好きなのだ。