えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

一生に、一度くらい。

配信限定の公演。
舞台装置は病院の待合室にあるような長椅子ひとつだけ。そこで、ある姉弟たちの会話が繰り広げられる。

一生に、一度くらい。
そのタイトルのことを、ずっと考えてる。



余命僅かの父親の病室を見舞う次女と末っ子のもとに、数年前、ある事件をきっかけに家を出て行った音信不通の姉が帰ってくる。
ブログで感想を書きたくて、ずっとなんで好きだったかを考えていた。
姉弟の話なので、その会話の中には取り止めもないことも多い。たとえ、父が危篤でも十数年ぶりに姉が帰ってきても、小さい頃の何でもない思い出話やショッピングモールのアイスや、ゲームアプリの話をする。

日常のなんでもない空間、会話の中に、時々本音が混じり合うような感覚。
そのざらりとした手触りが私は好きだったのかもしれない。



見終わった後の感想ツイートで、喫茶店で隣の会話をこぼれ聞いたような、と書いた。なんとなく、そんな感覚があった。
大仰な会話というよりかは、つい漏れ聞いてしまったような、そういう会話を私は聞いていた気がする。
しかも、それは喫茶店で繰り広げられるのだ(舞台は、病院の待合なんだけど)
きっと話してる本人たちも、肩肘張って覚悟して、準備しての会話というよりも、するすると口からこぼれていったような、そんな会話だったような気もする。
その中で、家族が欲しかったのかも、や、ここまで生きててくれてありがとう、って言葉がこぼれたことが私は本当に好きで。
会いたくて会いたくて仕方なくて、手を尽くして会った、というわけではなくて
そうじゃなくて、勢いで唐突に訪れた再会で、目的のメインというよりかは、流れで生まれたような会話の中で、
生きててくれて、ありがとうって言葉がでるの、なんというか、良いなあと思ってる。


なんか、大袈裟じゃないんだけど、
でも感情は確かに揺れ動いてて、あーうん、そうだな。
なんというか、人と会話するってそういうことかもしれない。相手がこういうだろうなって予測して、とかじゃなくて
その人と同じ空間にいて、空気が揺れて表情が動いて、そういう一つ一つに気持ちが動いて、その先が自分にも予想できないものだったりして、それでひとつ、溢れるような。
なんか、そういう、ああ好きだなあの瞬間が詰まっていて、私は好きだった。
人と話すのが、好きだなあと思ったし、人と話してるひとたちを観るのが、好きだなあと思った。


私が購入した公演は、千秋楽だった。
そのカーテンコールで小岩崎さんが言った。


このお芝居を観た、あなたの幸せを確約します。



その言葉は、私の生きてきた中でのお守りのひとつだ。大阪で上演されたポップンマッシュルームチキン野郎の殿はいつも殿の千秋楽。
そこでも、小岩崎さんはそう言ってくれた。私は、その言葉がとても大好きで、お守りのように大切にもっているものの一つだ。
その言葉と、思いがけず再会して、変わらず、小岩崎さんがそう言いながら、お芝居を作っていてくれることが嬉しかった。
いつかとおなじように言った彼女は、脚本の中で言った。今日まで、生きていてくれて良かった。
基本的にネガティブな私だけど、その時、そうか、いつか、そんな日がくるかと、思えたし思いたかった。一生に、一度くらい。



実は、まだこの公演はアーカイブが購入可能です。千秋楽だと2021年2月20日まで、視聴可能。
ざらりとした手触りの会話が聴きたい方、ぜひ。