えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

その女、ジルバ 5話

前、友人たちと映画を観た帰りにカップラーメンを食べたことがある。
ラーメンを食べに行くでもなく、カップラーメンにお湯を注いで少し肌寒いなかで食べた。
ドラマとは直接関係ないんだけど、そんな時のことを思い出していた。


これは今期最も楽しみにしている「その女、ジルバ」の5話の感想である。



そもそも、その女、ジルバがこんなに刺さってるのは何故だろう。
40歳独身貯金なしの新にいつかくるだろう自分の姿を重ねたからだろうか。もちろん、それもある。というか、見始めたきっかけはそんな彼女を大好きな池脇千鶴さんが演じるというのが気になってからだ。
だけど、たぶん、観続けている理由は少し違う。


5話、スミレのパワハラによるリストラ勧告、そしてそれを相談できない姿で終わった4話から引き続いて物語は始まる。
1話当初では想像もつかなかったほど仲良くなったシジュー娘たち。
だけど、スミレは、相談できない。しない。
さらには、ミカにも胸の内、ぐるぐると悩むものがある。だけど、やっぱり、それも直接シジュー娘たちは相談しないのだ。


まだシジュー娘には遠い小娘でも、なんとなくこの感覚は分かる。悩みを相談すること、はもちろんとても大切だし必要だけど、生きているとだんだんと「話せない悩み」も増えていく。
話してもどうにもならないこと、ちょっと話すには話すトーンに迷うこと。
そもそも、話す暇なんてなかったりもする。
ところで、それでも彼女たちは笑ったり踊ったりする。


OLD JACK & ROSEは、そんな場所だ。


なんか、どうにもならない、相談してもキリがない出口が見えないことを一旦預けて思い切り笑う。し、笑えないときはそのままでいれたりする。笑いな〜!!!と背中を思い切り叩かれる気はするけど、どんな悩み事もなんなら一緒にぷんぷんしながら聴いてくれそうなお姉さまたちが、あのお店では待っていてくれる。



結婚しない、となった時にどうしたって脳裏にはひとりでの生活、もっと突き詰めれば最期を想像してしまう。
それだけじゃなく、結婚していても振り払えない不安はある。結婚が幸せの最終奥義じゃないことは、別に私がここでわざわざ書くまでもないことだろう。

人生に確実に効く特効薬なんてものはない。


あの楽しいバーにいるお姉さんたちにも、いろんなことがあって時には塞ぎ込みそうなことがある。それでも、それを含めて彼女たちは笑って、お酒を飲み、踊って歌う。時々は転びながら。
仕事でパワハラを訴えられたスミレは、職場のメンバーから「彼女はそんなことはしてない」「リストラは撤回してほしい」と言われる。なんというか、なんだろうな。
丁寧に丁寧生きていても、どこかで落とし穴に落ちることがあって
そうなると、丁寧に生きることがバカバカしくなったりとか、するんだけど、そうじゃないんだよな。
大事にしていたものは、いつかその人を救ってくれたりする。とはいえ、救われるために、大事にするわけじゃないけども。
(そもそも、大事にするイコール必ず救われる、じゃないからそこの目的が逆転しちゃうと苦しくなるような予感がするんだ、漠然と)

自分の本心と向き合って、一歩踏み出したミカちゃんは、それでも自嘲気味に「きっと噂されてるんだろうね」という(あのシーン、田舎出身者としてバチバチに刺さってしまった)


なんか、一色だけのことなんてどこにも、ないんだよな。物凄くつまらないことにも愛おしさはあるだろうし、これでいいと決めたところにも不安はあるし。
不幸はどこにでも落ちてて、こちらの足を掬おうと手招きしている。私のことを見ている。でも、たぶん、そうじゃない。
それは、真っ逆さまに落ちるものではない。
ミカちゃんのお母さんの言葉を借りるなら、風でしかない。寒くて、流していって、でも時々、背中を押すのだ。


シジュー娘たちが三人でお酒を飲んで笑う姿を見て、私はカップラーメンをみんなで食べた夜を思い出した。
でもそれも、友達って良いよねー!最高!ってだけでは、なんとなくなくて。
そうじゃなく、いっこいっこ、の話なような気がしている。


人生の中で想像している「こわいこと」はとても大きな穴の形をしている。でも、きっとその穴に落ちていかないように、背中を繋いでる命綱はそうして重ねてきた糸なんじゃないか。
夜の、どうでも良いようなくだらないような、直接は抱えているものを解決できない時間でも。ここにいれて良かったなと呟く、そんな時間が好きなのだ。