えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

11人もいる!

語弊を恐れずに言う。しょうもない人たちが好きだ。ろくでもない人たちが好きだ。
それは「悪い人たち」への憧れというニュアンスではない。
なんかちょっとだらしなかったり、おいおいお前ー!と呆れてしまうような、そんな人たちのことである。
11人もいる!は大家族の話で、そしてそんなしょうもないところもある、愛すべき人々の話だ。


真田家は10人の大家族だ。父親の実はカメラマンだがほとんど仕事がない。なんなら生活能力もない、しかし生殖能力が高いため(弟である真田ヒロユキ談、あのシーンのテンポの良さが好きだ)ともかく子どもが多い。
カフェ日だまりを経営する妻、恵の前にはストリッパーだったメグミという妻がいたが死別。
今はメグミの子どもである長男一男をはじめとする子どもたちと恵と実の子どもである才悟の10人家族は楽な暮らし向きではないが楽しく暮らしている。長男一男はひとり、生活費や学費を稼ぐために苦労してるけど、それにだって父親の実はバカだなあと笑ってる。
ろくでもないやつだ。
なんならそこに追い詰められたおじ…なんなら作中で無職宿無しになる…ヒロユキが加わったり、幽霊のメグミ…彼女が干渉するのは基本的には才悟だけだけど…が加わったり、ともかくもう、しっちゃかめっちゃかである。

その上、台本的にも1話の中にこれでもか、というくらい要素が詰まってる上に「要素」になり得ない小ネタが次から次に飛び出してくるものだから、例え、リアルタイムで見ていて各話感想を書いていたとしても、正しく見ている時の気持ちを言葉に表すのは難しかっただろう。


なんせ本当にまるで煙に巻きたいのか?!と聞きたいくらい話がふらふらと動くのだ。
さらに言うと途中まであった「いつものご飯のレシピ」タイムも途中からは消えてしまう。自由か!とツッコミたくなる。え、なくなってたよね?


とはいえ、まとまってないとか分かりにくいなんてことはない。どころか、ストレートでめちゃくちゃ分かりやすい。きっと、それこそ小さな子どもまで楽しめそうな雰囲気がこのドラマにはある。
ただそうして油断してふはふは笑っているとそれはそれは綺麗なボディブローが決まるのだ。


ヒロユキおじさんの現状に自分が重なり、一男のなんだか追い立てられるような不安感に覚えがあって、
なんて、そんなのも全部、でももしかしたら実に言わせれば「やらなくても良いことまでやった」なのかもしれない。



11人もいる!では、誰も「改心」しない。成長、なんてものもない。
もちろん、変化はある。登場人物たちも「努力しない」わけではない。
だけど、なんというか、綺麗な起承転結におさまるような「こうあるべき」みたいなものは全部蹴散らしてしまう。
そのくせ、終わりに流れる「家族のうた」を聴くとだよなあ、なんてじんわり落ち着いてしまうので、いっそ悔しい。
ある意味でそれは「家族」ってことで納得したりもする。
1話目の歌詞を借りれば

助けあったり励ましあったり
しなくていい
それが家族なんです

みたいな、なんだろう、良いことなんて言わなくていいし、
教訓だとかそんなものを言いたいドラマでもないのだ、たぶん。
もちろん、「教訓」を受け取ってもいいんだろうけど。
でも、ドタバタと賑やかで、楽しくて笑ってしまうようななのに不意打ちで泣けてしまうような、そんな空気感全部が全てだろうとも思う。


「お父さんの写真とお母さんの料理があればうちは貧乏なんかじゃないんです!」
それは、1話で恵さんが言う言葉だ。
観終わって、なるほど、と思う。
貧しく乏しい。
たしかに、真田家はそんなものとは正反対だ。
どうしようもないところもたくさんある彼らだけど、気が付けば会いたくなる。


彼らはそこそこにだらしなくて、どうしようもないところもあるんだけど、でもずっと、楽しそうなのだ。
「正しい」だとか「常識的に考えて」だとかそんな枠に無理やり自分を押し込んでるのがバカらしくなるくらい。


そうして楽しそうに毎日を過ごしている彼らのことが、大好きなんだよなあ。