えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Clear

演劇が好きだと思う。
演劇を食べるみたいに観る時期が定期的にあって、ご飯よりもお酒よりも寝ることよりもお芝居を観ていたいと思う。
勿論、そんなことを本当にすると倒れてしまうのでしない。
しないけれど、タイムラインに流れてくる言葉を見ていてそんな気持ちをこのお芝居は満たしてくれるような気がした。
そうして、何度か考え配信チケットを購入した。


Clearは、ガラス越しの面会室で起こる話だ。
三人、話す。ひとりは男を殺した容疑者の女性、ひとりはその家族、もうひとりは弁護人。
クリスマス間際に起こった遣る瀬ない事件の話を、彼らはしている。



男を殺した容疑をかけられている曽川さんには、言葉が悪いが「殺す理由は十分にある」
同じ状況にあったなら、殺すかどうかはさておき、絶対に殺したいと思うだろう。だからこそ、弟である連は、弁護士の矢野に、姉の減刑……なんなら、無罪を主張する。
矢野はそんな弟を諫めつつ、事件の違和感を紐解こうとするが、曽川さんはなかなか自供してくれない。


こうしてストーリーを書いているとそこそこ落ち込む設定である。なんなら、曽川さんには一人息子がいて、何年も意識の戻らない夫がいる。
もう、ひたすら落ち込む。
しかし、重たい空気はあるものの、重苦しく観ていて物凄くしんどかったか、と言われるとそんなことはないのだ。
いや、辛いんだけど。遣る瀬なくて呻きもしたんどけど(配信観劇のいいところは迷惑をかけないので呻いたりができることも一つあると思う)


それは、彼らが必要以上に重たく重々しく話していないからだ。いや、もちろん彼らは苦しんではいるし、それは十分に伝わってきて、苦しくもなる。
ただ、うーん、難しいんですが、どうしようもなく悲しくて苦しくて、どうしようもないとしても、軽口は飛ぶ。なんというか、ずっと苦しそうにはしていられない。


いや、むしろ、だからこそその内側にあるどうしようもない気持ちが垣間見えて、苦しくなる。
なんでもないことのように話す、笑うことだってある、それでもきっと、彼らが持つ苦しさや絶望感は少しも減ることはないのだ。それに途方に暮れる余裕すら、ずっと感情的になることすら、できないくらいに。
(だからいっそ、感情的に話すシーンにどこか私は安心してしまった)


不思議な感じだ。
ストーリーとして好きなところ、好きな台詞を挙げるのは難しい。それはなかった、というよりも言語化できない、というのが近い。
お芝居全体に漂う、空気感のようなものが手元に残っていて、それがすごく好きで私はふわふわとあのお芝居を反芻している。
照明が、ものすごく好きでそのきらきらとした柔らかな光が目蓋の奥に残っているような気もする。
何より、彼らが話す、その空気が好きだった。



心を開き、あるいは閉ざし話す黙る。
感情的になることもあれば、隠すこともある。そうして、「会話をする」



そんなことがたまらなく好きだったな、と考える。
そうか、人がそこにいるから、私は演劇が好きなんだな、と思った。演劇が好きな理由は人の数だけあるだろう。私にとっては、きっとそれだ。
人にがっかりしすぎないよう私の生活の中には、演劇があるのかもしれない。
そんなことにふと思い至って、そっかそっか、とひとり頷いている。
決して、明るいお芝居ではないけれど、暗いだけの作品でももちろんない。
作中の季節にぴったりなくらい、優しく苦しくなるような愛おしいお芝居は、柔らかな光を心の内に灯してくれた気がする。