えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい 11話

"心に触れる"ってなんだろう?
手当、という言葉もあるし実際"触れる"というのは(条件はあるものの)ヒーリング効果があるんだと思う。
それはリモートやオンラインがスタンダードになった今、尚更思う。ちょっと違うかもしれないけど、心に触れるってのはそう考えるとすごいことだし、幸せなことだな、と思う。
ただ、でもだから、改めて

"心に触れる"ってなんだ?



30歳まで童貞だとなれるらしい…通称チェリまほは、30歳を童貞のまま迎えた安達が「触れた人の心を読めるようになる」物語だ。
その魔法の力で自分とは同期で性別が同じということ以外共通点がないと思っていた黒沢の自分への恋心を知り、惹かれ、結ばれる。
11話ではそうして結ばれたからこそ「心を読めること」でじわじわ10話から生まれていた「本当にこれでいいのか?」という戸惑いがハッキリと形になる回だった。

この戸惑いとは「心を読んで知ること」はそれでいいのか?という戸惑いだ。
そしてそれについては、一足先に魔法使いを卒業した友人、柘植も同じように口にする。心が読めるから相手の心の機微を読む方法を忘れてしまう。どうしたらいいか分からなくなる。魔法に頼りすぎるな。


で、冒頭の「心に触れる」ってなんだろう?という問いに戻る。
安達は人に触れることで人の心が読める……つまり、人の心に触れることができる。
実際、過去の話の中で安達は黒沢とのやり取りの中で「俺はこいつの心に触れるために魔法使いになったのかもしれない」と思っていた。
が、が、しかしですよ。
実は黒沢も安達に「心に触れられた」と思った瞬間があった。それは黒沢自身が安達を意識するようになったきっかけの出来事の時である。
「心に触れられた」そう思った黒沢は、安達のことが気になり出した。



この「心に触れた」と感じたタイミングがちょっとずつ違うんですよ。



当たり前なのかもしれないけど、私はこれが、もう、物凄いことだなあ、と思っていて。
「思いが通じ合う」なんて言葉があるけどそこに籠る幾層もの愛情とか願望とか、なんだかそんなことを考えてしまう。通じ合う、と言ってもぴったり同じ、じゃない。違っても、「通じ合う」んだよなあ。



11話、観ながらずっと苦しかった。安達の「ズルだ」と思う気持ちは確かに、分からなくもない。知り得なかったことを知って、うまく立ち回れる。それは確かに「ズル」という人もいるだろう。
魔法で得た奇跡を、得たからこそ失う。
触れ合ったからこそ知ったことを「触れ合いたい」から一緒にいられない。もう、なんか、なんだ、そのままならなさ。
すごく好きで、大切でだから「終わりにする」って分かるけど、いや、分かんねえよなんでだよ。ちょっと苦しすぎて布団に潜って考えていた。


そもそも、だ。

安達は「魔法で得た」と思ってるけどそうじゃない。黒沢の件だけじゃなくて、他の色んなこともそうだ。魔法はきっかけでしかなかったはずなのだ。
だから、「魔法があったから特別」なんかじゃない、そうじゃないんだよ安達。


そして、そんな雁字搦めになった安達への黒沢の言葉の、表情の素晴らしさたるやですよ。



「嘘じゃない」って安達が言うじゃないですか。
あれ、魔法が使えるという「突拍子もないこと」が嘘じゃないってことなんだってわかってるんだけど
私には安達の黒沢のことを好きだって思う気持ちとか好き合えているという奇跡やその他諸々、そういう「これまで」が、嘘じゃない、と言ってるように思えて仕方なかった。
だって、そうじゃないですか。嘘じゃないもの。
嘘じゃないんだよ、奇跡じゃないんだよ。奇跡なんだけど、それは偶然的にラッキーで起こったんじゃなくて、君や黒沢が自分の手で掴んだそれなんだよ。


そんなことを黒沢だって当然わかってて、分かってるのに、安達がしんどくない方でいい、笑っててほしいとあんなに優しい顔で言える黒沢の幸せを祈らずにいれるだろうか。
黒沢は本当に愛情が深くて賢い人なんだよなあ。
しかもそれが自己犠牲とか、なんかそういうのじゃなくてすごく丁寧に見た幸せ、の形を選べる人なんだと思うんだけど。

黒沢の恋愛感情がとても心地いいと思う。
黒沢の安達への気持ちは紛れもなく恋愛感情で、なので欲だってあるし「俺がしたいこと」もあるだろうし、それと同じくらい「笑っててほしい」「幸せでいてほしい」があるんだよな。
それがどっちが上とか多いしとかではなく、どっちも、なんだよ。


ツイートもしたんだけど、このご時世恋愛最高!いえーい!!!みたいなのってそうないじゃないですか。
これは私の個人的な感覚かもしれないけど。
少なくとも私はいえーい!とは思えないんだけど、ただ、黒沢の安達への恋心見ながらそうだよな、と思っていた。
恋愛って別に高尚に祀りあげることも、下に落とすこともなく、ただただそこにあるんだよな。
大切な人が笑っててほしくてできたらそれが自分の隣でなら嬉しくて、そんなささやかで柔らかででもちょっと欲張りになるような、そうだよな、そういう気持ちだったよな、恋愛って。


完璧な自分でいることは素の自分を好きになってもらうための方法だった、とさらりと言ってのけた黒沢は、そんなことを私に教えてくれた。
チェリまほ、本当に、なんか受け取りやすい温度感と表現ですごく大切なものを手渡してくれるから毎週必死に、でも無理なく観てしまう。ああなんて、幸せなドラマに出会ったんだろう。


なあ安達、安達なんか、じゃないんだよ。嘘なんて一つもなくてズルもないんだよ。
安達は魔法を使っていたけどそれ以上に黒沢のことを考えて考えて考えて、動いて、話したから、ああして一緒にいる道にたったんだよ。


心に触れるという、それはもう曖昧で、きっと自分しか持ってない、だけど相手がいないと成立し得ない奇跡は複雑だ。
それでも今まで何度も何度も、彼らはそんな奇跡があったんだ。魔法なんて関係なく。
ちょっとタイミングがずれようが「想いが通じた」ふたりだから、だから大丈夫だ。


そんなことをずっと思ってる。いつの間にか、まるで友人を応援するみたいにチェリまほ観てるな。