えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

たまらなく好きなお芝居の話

お芝居を観ていて、「音楽のようだ」と思ったことがあるだろうか。私はある。



台詞運びは聞いていて心地良くて、それはテンポや抑揚はもちろんのこと、その高さも含めてのそれで
かつ、何も台詞という言葉だけの話ではなくて、動きも見ていて「次何が出てくるか」ってワクワクする(それも、何も変わった動きをしてるとかではなくて「普通」の動きなんだけど、それを淳さんが演じると物凄くワクワクするものに様変わりするのだ!)



淳さんの理知的なお芝居が、解ける瞬間がたまらなく美しくて心臓が痛くなるような気持ちに何度もなってきた。
しかしそれは、何もそういう理知的、という言葉の真逆にあるような……剥き出しだとか、取り繕えない「本当」が正しいとか美しいということではないと思う。
むしろ、その綻びを見るからこそ、それまでの丹念に練られたお芝居の美しさを見ているようなそんな気がする。

(また、当たり前といえば当たり前だけど、それすら練られて練られて積み重ねてきたものであって「偶然的に」もしくは「奇跡的に」起こったものではない、と書いておきたい。それを、何か偶発的なものだというには失礼だと思う。もしもあれが、奇跡や魔法だとすれば、それは間違いなく、その人自身が起こすべくして起こした、そういう類のものだと思うのだ)


ともかく、私は、そんなお芝居が心から大好きだ、と思う。
初めて舞台を拝見したのは、映像でボクラ団義さんのハンズアップを観た時だった。もう何年だったかもあんまり覚えてない。クリスマス会で、お芝居とご馳走を持ち寄ってのパーティー。友人が見せてくれたその舞台は今も、私の中でものすごく大切な作品の一つだ。
その中で淳さんが演じる中曽根さんは物凄く魅力的な役だ。良い人か、と言われるとかなり皮肉も言うしいやでもツンデレだし良い人かな。
ともかく、おいしい役というか、観ていて大好きになってしまう役だ。人の顔を識別するのが苦手な私は観た当初、役者さんの名前は覚えられなかったけど(それは淳さんに限らず他の方についても)あのお医者さんめちゃくちゃ良いなあ〜!!!と唸っていた。


そして、それから名前が一致してそのお芝居に釘付けになったのは2015年の夏のことだ。
だけど、「あーーーーファンって名乗りてえー!この人のお芝居が好きだ!」と心の底から叫ぶみたいに思ったのは2017年の冬のことだ。


いや、遅!!!!!!!!!!
力いっぱい叫んでしまう。
2016年はたぶんかなりなハイペース(遠征のわりに)で舞台を観ていたし、
何より、そもそも2015年、まるで食事か?って勢いで観ていたX-QUESTさんをはじめとする出演されている舞台の映像でその台詞回しや紡がれるお芝居にたまらなく興奮してかっけー!!!と叫んでいながら、魔法だ!と大興奮しながら
それでも、ファンだと名乗りたいと心の底から思ったのは2017年だった。それは、もう、ちょっと遅いというか、このチキンめ!と自分を罵りたくはまあ、なるんだけど。
だけど、それはともあれ、2017年の冬に観たお芝居はそれくらい特別なものだった。

その舞台は、Re:callという作品であるプロデュース公演だった。
主演舞台。
そう聞いてたまらなくワクワクしていて、初日のチケットを、とった。
あの日観た光景を、中野の駅から劇場までのきらきらした街並みごと、いまだに忘れられない。
ストーリーが刺さったということもある。だけど、刺さったのは何よりそのお芝居と熱量だった。



舞台って不思議で、なんか、その日その瞬間しか残らないことがあって、
それは別に印象が薄いとかではなくて、それがあまりにもむしろ強烈だからそれから同じ映像を観ても記憶を遡ってもその時焼きついたそれとは全く別物、みたいな時がある。
あのどうしようもない寂しさと同時にそんなすごい瞬間を得たんだぜっていうニヤニヤ笑っちゃうような幸福感はきっと、劇場でたまに起こるとんでもなく美しい奇跡の一つだ。


叫ぶように言う台詞やくしゃりと歪んだ表情のその形としての美しさとか切なさはもちろんなんだけど、
例えばここでそこにあっただろう感情を一生懸命言葉で尽くしてもきっとどっか足りなかったり行きすぎちゃったりする、そういうのがすごくお芝居見てて好きなんだよ。

綺麗に加工されたお芝居の心地よさというか飲み込み良さも好きなんだけど、
まるで日常、泣き出した友人を見たときというか、すげえ嬉しそうに笑った大切な人を見た瞬間、みたいな、ノーガードで食う心の動きがたまらなく好きだ。
そして、それを受けとりやすい形で届けてくれるのが高田淳という役者さんなのだ。

そう、受けとりやすいのだ。あれはなんと言ったらいいんだろう。でも、どこまでもきちんと計算されて、された上で外したりドストライク刺したり、なんかそういうのも全部楽しい。
し、計算して、なんて言ったけどそもそも計算してはいおしまい、はわけがない。
それを実現してのけるのだって、映像で繰り返し見る時に唸ってしまうポイントの一つだ。だってあまりにも、目の前の存在と一対一でやりあうものだから。




そして何より、そうしてお芝居をする姿が楽しそうなんだ。
最近、楽しいってことが一番すごいとずっと考えてる。楽しいことはすごい。笑顔になるし、なんならそのまま人を笑顔にする。健康にだっていい。
でもそのウルトラスーパーびっくりな効果をもたらす楽しい、は案外、難しい。そりゃ当たり前といえば当たり前なんだけど。
だけど私はお芝居がきっと好きで、劇場に行くときは「楽しい」の気持ちのまま行くので、できたらそこで出逢うものは「楽しい」だといいなあ、とずっと思ってる。
私にとっても、そして何よりできたら作るその人たちにとっても。なんせ、楽しいは伝染するのだ。

だから、私は淳さんが歌うみたいに紡ぐ台詞が好きだ。次何が飛び出すか分からないお芝居が好きだ。楽しそうで、楽しいから。それが観てる人間の思い込みに似たエゴだろうが、それでも楽しそうだ、と今まで何度もワクワクしてきた気持ちが大いに主張する。楽しそうに舞台上で生きる高田淳さんのお芝居を観れるのが、本当に大好きだ。