えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

二度目の蝶々は遠回りして帰る

二度目の蝶々は遠回りして帰る。
このタイトルが、とても好きだ。繰り返し思い出している。ふとした瞬間に。遠回りして、帰る。


私は、観終わってから2週間、いやもっとだな、しょっちゅうあの診療所のことを思い出していた。
トンチャイのことがきっと大きい。
人形だった、と気付いたのはお芝居が終わって駅への道を歩いている時だった。たまたま、目の前に同じく観劇帰りの人がいた。

「あれってつまり、人形だったってことだよね、初めから」

やけにそれが鮮明に聞こえた。
その瞬間、立ち止まりそうになって心臓がバクバクなって、しかし久しぶりに一人でお芝居を見ていたので、必死に飲み込んで足を動かした。
あーーーー本当だーーーーと叫びだしたくなった。そうだーーーーー。

それは、勿論、気付かんかったんかい、って話なのかもしれないんだけど、それ以上に私は、あの時の彼ら……タイチームのみんなの目線を思い出してノックアウトされてしまったのだ。
すごく、優しい顔をしてたんですよ。いましたよね?って聞かれたとき。優しくて、あったかい顔をみんながしてて、だけど何にも言わないんですよ。
あの場にいるみんなどこかおかしくて、不具合があって「それが治らないとして」彼らはそれを取り沙汰すわけでもなく、ただ穏やかにそれはそれとして、受け入れてるのが、本当に。

あんな、優しいこと、あります?

今こうして思い出しながらやっぱり泣きそうなんだけど。
ダニーの「家族ってこういうことを言うのかな」の優しさがたまらないのだ。


葵くんの人生は散々じゃないですか。お母さんを亡くして、罪を犯して友人に裏切られて父親は最低で愛する人を失ってひとり寂しく老人として生きてて。
なんか、ほんとに、嘘でしょってくらい苦しいんだけど、でも、生きてると困ったことに往々にそんなことってあって
コムタンたちが抱えてる「ちょっとした不具合」もみんなどっか、そういうとこがあって。
あるんだよな……あるんですよ……物語にすらならない降り積もるような不具合が。
それを全部引っくるめたら尚更、家族ってこういうこと、とか、遊園地とか、そういうのが全部愛おしくて優しくて……うう好き……。
そして、それを大きく騒ぐでもなく残酷に突きつけるでもなく、一緒にいる彼らが好きだ。
治さなきゃと騒ぐことも、責めることも、同情なんて全くなく「ただそういう人」として受け入れる彼らが好きだ。


ポップンさんのお芝居は、全然優しくないしわりとどうしようもなく酷い事が起こるのに、すごく楽しく笑わせてくれるから気が付けば何度でも観たくなるし、何度でも脳内で再生してしまう。

ポップンさんはわりと不謹慎も暴力も下品もあるし、だけど、なんか、それが心地いいというか、いやなんか語弊あるな。良い人なだけじゃないのが、良いんだよなあ。

 


そんな風に観終わった時につぶやいていた。

描く残酷さも、奇跡も、どこかあり得るかもしれないそれなのだ。あんだけとんでもない設定がたくさんだけど。

 

 

 

先生と彼のラストシーンが、胸に残ってる。誰より、自分が責めていたからこそ見えた幻。

ちょっとだけ不幸だと、生きやすいことがある。

というか、幸せ、って難しくてすごく楽しくてもどっか……例えば次の日からの仕事とかこっそり見ないフリをしてる誰かとの不和とか……そういうので、120%の幸せって難しいし

どうしようもない悲劇の後の幸せって居心地が悪い。

どんな顔していいか分からないからかもしれないし、もっと他の何かかもしれない。

許さない方がきっと、往々にして楽なんだと思う。誰をって、自分を。

 


だけど、だから、あの最後、笑ったふたりがとんでもなく素敵で優しくて奇跡みたいだった。

 

 

 

とんでもないハッピーは来ないかもしれない、劇的な救いなんてものはなくてやっと見つけた居心地のいい誰かを失ったり、病気は治らないのかもしれない。

だけど間違いなく、あなたと食べるオムライスは美味しい。そして、劇場で出会うポップンマッシュルームチキン野郎のお芝居は、面白い。