えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

街の上で

※ネタバレがあります

不在を描いてくれるから、好きなんだろうか。
スクリーンの中に映る会話は、時々、思わず目を閉じたくなるほど居心地が良くて大好きだった。


街の上で、を観てきた。
所謂ミニシアターといわれる映画館で公開された作品で、なんか、それがすごく良かった。
街の上では、約一年前に前売券を買っていた作品だ。茶封筒に特典のステッカーと入れてずっと大切にしてきた。
そのチケットをようやく使える。そんなわくわく感を味わいながら映画を観れるのはそれはそれで、とても幸せだった。


この映画は……と打ちつつ、ほかの観たことのある今泉監督の作品もそうなのだけど……あらすじをどう書いて良いか迷う。
大筋の話をするならば、浮気をされ、その上だから別れて欲しいと言われた古着屋の青が学生監督の制作映画に(演技なんてしたことないのに)誘われる話である。ただ、これはあくまで大筋で、そういう話、と言ってしまうとどこか違和感がある。
むしろ、街の記憶の話という方が近いような気もするのだけど、それはそれでなんとなくズレてしまうような気がするのは私だけだろうか。
ただそれでも、やっぱり"下北沢"という街の記憶というか、温度感のようなものが映画のそこらじゅうに溢れていたと思う。


ネットで見かけた今泉監督とラッキーオルドサンのおふたりの対談がとても好きだった。

その中でも語られていたことですが、演劇が好きな地方出身者てある私にとっても下北沢って憧れの街の一つだった。
大学時代お芝居を観るために下北沢に降り立った時、ものすごく言いようもない気持ちになったことを覚えている。
青が生活の中で、あの街にいること。
その風景一つ一つに、いつの間にか馴染みの風景が増えたんだなあとじんわり、心の中、あたたかな気持ちが広がった。あの日、おっかなびっくりいつか降り立った私は気が付けば数え切れないほど、下北沢に行き、お芝居を観た。あるいは、友達とお茶をした。

あーーーあの街が好きだな、と映画の中、歩いたことがある道を見かけるたびに思った。そして、同時にもちろん、下北沢の話なんだけど"下北沢"だけの話ってわけでもないんじゃないか、と思う。


いや、間違いなく下北沢の話なんですが。
さらに言うと、街を歩けばお芝居のチラシを見かけ、すれ違う人はギターを背負い、単館系の映画のチラシが居酒屋には貼ってある。
そんなの、下北沢だろ!な気もするんだけど。
ただ、なんか、下北沢!って物語というよりも、文化が息づく街の気配、というか。


すごいな、今泉監督の作品を観るたびにそうだけど、本当に一つもうまく言葉にならないんですよ。
それは、もしかしたら救われた!感動した!あるいは、爆笑した!号泣した!なんてものとは少し離れたところにいるからかもしれない。


それは、青とイハのあの夜に似てる。
あんな夜が私は大好きだった。飲んだあと、少し話し足りなくて、話すような。
腹を割り切って話す、というと少し違う。ほんの少し気を使うし、でも、なんか時間のせいか柔らかく残ったアルコールのせいか、ふわふわといつもなら栓を締めるところが緩むような、そんか会話が私は好きだった。
お、よかったな、とそんな夜を越えるたびに思った。楽しいな、と思う。人生悪くねえな、なんてにやにやする。そう、にやにやするのだ。



あの眠い時間のなんとも言えない空気の中でしかできない会話は今、どこに行ったんだろうな。
ふとそう、さみしくなった。なりながら、ここにいたのか、とも思った。

なんとなく、街の上でをはじめとする今泉監督の撮る映画の中では、そんな空気の中で息をしているような気持ちになれるのだ。



元関取の人が言った、知らなかったんだ、という言葉。そこにあることとか、全部分かるわけではないけど、たしかにある。あるんだよな。
カメラを通して見ると変わった世界とか。
茶店で話す好きなものの話とか、それを聴いてる人とか。
聖地巡礼なんて言い方にするとズレてしまう、好きなものが存在した街とか。
あと、どれだけ色んな人に愛されてる人でも、本当に愛されたいたった一人とうまくいくかは分からないこととか。


そうか、好きな、手触りのいい(心地いい)ものがたくさんあったから、私は嬉しかったのか。
不在を考えることは、"居た"ことを覚えてることだ。だとしたら、考える時間は本当に愛おしくて私は好きだ。