えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

すばらしき世界

※映画のネタバレを含みます、お気をつけください
また、題材上『ヤクザと家族』についても触れているためご注意ください


この映画を観た理由は、シンプルだった。
世界は、捨てたものじゃないと思えるか、生きていることは悪いことじゃないと思えるか。
そう思いたい。
そう監督のインタビュー記事を思って、私はこの映画を観た。
すばらしき世界。
観終わって数日、私はこの世界を「すばらしい」と思えるか、ずっと、考えている。


物語は実在したら人物をモデルにしたこの映画は、人生の半分を刑務所で過ごした三上の物語だ。


三上を演じる役所広司さんのお芝居ひとつひとつが、愛おしくて、その分苦しい。
冒頭、彼が出所するところから物語は始まる。罪状は「殺人」。しかし、彼はどうも、反省しているか、と言われると微妙なところだというやりとりが合間に挟まる。
そうして淡々と、三上の新しい生活が始まる。もう二度と、刑務所に戻らないために、「正しい」生活を目指す。


三上は良い人か悪い人か、というのは少し難しい。そもそも、そこを分ける必要もまあないんだけど。
可笑しなくらい素直で真っ直ぐで、だけど時々、凶暴性を覗かせる。
「ヤクザ」である彼は……組に所属すると言うよりかは流すようにあちこちに顔がきいた、ということなのでこの表現が正しいかもわからない……組所属云々は抜きにしても反社会的存在である。
それでも、組に所属していなかったからこそ、反社を取り締まる色んな法律に雁字搦めになることはなく、「やり直す」ことができると彼に関わる『真っ当』な人たちは口にする。



ちょうど、ヤクザと家族を観たのもあってこの辺りの首の皮一枚的な救いに息が詰まった。



この救いがあったなら、とも、この救いがあっても、の両方の気持ちがぐるぐると喉の奥に渦巻いた。
作中も出てくる「人と関わりを持つこと」を考える。孤立しないこと、誰かと関わること。


そのことが、三上の場合、救いにもなるし、
あるいは、彼が堕ちていく危ない落とし穴のようにも思える。


これは反社会的存在の話でもあるけど、実際、そうして「生き辛い」ひと、そこでしか生きていけなかった、反社会という場所が受け皿になった人のことを思う。
そして、それは、長澤まさみさんが演じる女性が言ったとおり、何も「反社会」の話だけじゃない。
たぶん、同じように生きづらく息が詰まってじわじわと死んでいく人が、いくらでもいるんじゃないか。


やり直せるのか、というのはすごく難しくて、それはやり直すことが許されるのか、というのもあるし、本人の性根の部分の話でもある。
そして、性根、というならそうなってしまった元々を辿ると、彼自身の力じゃどうしようもないことがたくさんあるわけで。出自がその人の全てを決めるという考えは、多少色んな人を大きく傷付けると思うし、あまり好ましいとは思わないけど、
事実、そのことでそもそも用意されなかった選択肢はあるんだろう。


じゃあ、どうしたら良かったんだよ、とずっと考えていた。
そもそも、誰もが生きやすい社会、なんて言うけど、「救い」を求めてる誰か、に可愛げはなかったりする。そう書いてたのは誰だったろう。そもそも、救い、なんて人を下に見て、優越感に浸ってるんじゃないか、と酷いことを思いもする。そうなってくると、だんだん、何も分からなくなるけど。


それでも、弁護士の夫婦や、六角さん演じるスーパーの店長、仲野太賀さんが演じるジャーナリストの彼らの関わりを思うと大きく、息を吐いて吸えるような、そんな気がする。
人と関わること、大切だと思うこと。そこにあるのは、同情とか憐れみだとかではなくて、いやもしかしたらその一片はあるのかもしれないけど、そうじゃなくて、そういうのを全部引っくるめた情で、幸せでいてほしいという願いだ。
そしてそのことは、三上自身が生きてきたことで得た、よすがなんじゃないか。


土台、全ての点と接することはできない。
誰かを救おうとするんじゃなくて、自分の腕が届く範囲、大切な誰かの幸せを願うこと。その為に、他人を損なわないこと。そんなことを、画面の中に観た気がする。


たださ、そう思いながら、三上が「堕ちて」いかないために、目を瞑り耳を塞ぐことを彼らが口にした解き、私はやっぱり胸が潰れるような心地がした。
間違っていない。
正義感に駆られて拳を振るえば、また失う。
じゃあ他に方法は……例えば、言葉を尽くすとか、そういうこととか、と考えるけど、
残念ながらきっと『伝わらない』ことがある。
だから暴力に訴えるんだ、というのは、良くないけど。
でも、きっと、言葉を尽くして伝わること全てじゃない。


「変なこと」に遭遇した時。人って笑うんだよな。笑ってバカにして、あの人変だよね、って言う。
それに同意すること、見てみぬふりすることが正しいと言われてるけど、でも、そうして見てみぬふりされて、泣きたくなったことがある。
誰かに何がおかしいの、とか、おかしいとダメなの、って一緒に言って欲しかったことが私はあるよ。
だから余計に、そういうことが全部嫌になるんだけど、ここ最近でも「そうすることが傷付かない方法だよ」と諭されるものだからどうしたもんかな、と思う。
120%の善意だ。私に傷付かないで欲しい、傷付いて消えてしまわないでくれという優しさだ。
だけど、そう私がすることできっといつかの私は今日また一人死んだんだろうな。



キムラさんが演じる姐さんの台詞が、この作中、一番好きだった。
この世界は、生きるのに値するのか。生きるこの世界は、「すばらしき世界」なのか。
まだ私には分からない。
この映画を観て、胸を張って私はこの世界をすばらしき世界だと言うことは、出来そうにもない。
ただそれでも、苦しいだけじゃない愛おしさを噛み締めるみたいに何度も何度も、思い出してる。映った空の青さの美しさが、ずっと、目に焼き付いてるのだ。