えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

どこまでいってもひとり

源さんのことを好きだなあ、と、思うと色んなところが浮かぶ。
今日はその中でもとびきりの話をする。


ところで
孤独じゃないひとっているんだろうか。
誰だってだいたい孤独だと思っていたけど違うのか。
それはただの寂しいであって、孤独とは違うって言われるかもしれないけど
その違いが分かるような分からないような気がする。
孤独だ、と大々的に主張するつもりはないし、実際私の場合、恵まれてるところもたくさんある。
だけどどうしようもないあれは、所謂孤独じゃ無いのか、と考える。
孤独なんだね、と言われたいわけでは全くないけれど。
昔から、無性にひとりでいたくなる時がある。
例えば、部活の大会終わり。身体も頭もくたくたで心地良くて、それこそ「ひとつになれた」ような余韻があって、そうすると、無性にひとりになりたくなる。
どれだけハッキリとした誰か、の存在があっても別のなにかだ、ということがむしろ際立って、それにじっと耐えるためにひとりでいたい。
そういう時、誰かとはしゃぐとよりじくじくと痛むような気がして、よくひとりでじっと目を瞑って寝たふりをしていた。今思えば思春期のナルシシズム的なものな気もしているけれど。


源さんは、そんな孤独をどこまでいってもなくならないという。そこが本当に好きなところなんだと思う。
文が好きで、お芝居が好きで、音楽が楽しい。それは間違いなくそれぞれ源さんの好きなところだけどなによりも、きっとそんなところが好きなんだ。


2月27日放送のマツコ会議を観た。
創造以降のインタビューやバラエティなどが本当に楽しくてありがたい。楽しいことがあるの嬉しいなあ。


星野源のすごいところ、孤独をそのままに在るものとしてくれるところなんだけど、同時に「孤独でもいい」とは言わないことなんだよな。
孤独が平気な人、というマツコさんの星野源評には頷いた上で、孤独は寂しいと思ってるし、そこに真っ当に傷付いてるひとなのだ。



孤独に惹かれる……それは孤独な人に、ではなくて孤独でありたいと思うという意味で……ひとはもしかしたら「特別でありたい」からなんじゃないか。
創作活動をする人や、そういう『特別(だと思う)ひと』は少々暴論だけど、孤独な匂いがする人が多い。
そうなると、孤独であることは格好良かったり、そうありたい、と思ってしまうことだってあると思う。
ただ、やはりそこまで考えたとき、最初に書いたようにいやでも孤独じゃない人なんているのか?と思うし、それは孤独の美化じゃないかしら、と居心地の悪さを感じてしまう。
特に美化してしまうと、本人が苦しんでることを無視してるようにも思えるし、なんか、こんがらがってくるんじゃないか。


だから、孤独でもいい、と言わない彼が好きだ。
みんな人は孤独だとして、もしくは、孤独の中に素敵な孤独のようなものがあるとして、
それを良いもの、とは言わないことが誠実だなあと思う。
(そろそろ孤独って打ちすぎてゲシュタルト崩壊してきた。だけど、もう少し打つ)


今回、創造がリリースされて私はセカンドアルバムの中の『変わらないまま』が聴きたくなった。

私はこの曲が大好きだ。

『変わらないまま』が好きなのは、「これでいいわけはないけど 前は見ずとも歩けるの」って歌詞なんですが。
人気者の群れにさらばって言って、音楽や本の中で暮らすことはいいわけはない、でも、前は見ずとも歩いてる。いつか輝く日がくる、とも言ってくれるし、この、このバランスがさ。


孤独を良いものとも悪いものとも言わずに、ただ在るっていう、それを表現する星野源が心の底から好きだ。


孤独ってすごく扱いが難しい。
色んなリアクションがあって当たり前だけど、なんとなくそこにただ在ることを歌う彼が好ましいことから逆算するみたいに考える。
例えば、その孤独はなくすというか、なおさないといけないものなんだろうか。癒やしたり、満たさないといけないものなんだろうか。
孤独に耐える、という時、ひとはついつい「どうしたらそうじゃなくなるか」を考える。
『ケア』をしようとする。
だけど、ただじっと待ちながら追い払わずに過ごすことは、間違いだろうか。


太宰治がいつか「本を読まないということはそのひとが孤独でないことの証明である」と言っていた。
孤独と顔を合わせた時、電話する友達がいればいいけど、という源さんの言葉を聞いてでもそういう時誰かに電話できたとして、そうすると余計に虚しさが増すことがあるよな、と考えながらその言葉を思い出した。
友達だけじゃなく例えば一生ずっと一緒にいようと決めたパートナーがいたら平気か、孤独がやってこないか、と言われたらきっとそうでもないと思う。そういう人がいる相手に、孤独じゃなくて良いですね、なんてとてもじゃないが言えない。



それはつまり、孤独は誰かと一緒にいることで解消するとも限らないし、
孤独だということは誰もいないということともイコールじゃないと、思うんだよなあ。


でも嫌じゃん、ということも分かる。孤独はしんどいじゃん、ということには頷く。
だけど、だから、本を読むしお芝居を観るし音楽を聴くし、映画を観るんじゃないのか。


あーそうかもしれない、と昨日寝る前に思った。
好きなお芝居やライブについて話してて、ああそれ私も好きって笑ってる時例えばよくよく話せば好きの理由は違ったりするんだけど、おなじ、なのが心地良いので、それかもな…。
一緒でいることへの罪悪感も、違うことへの寂しさもないから。
違っても、楽しい、はうそじゃないから。


ああそうか、これが橋か、と思った。
橋なんだよなあ。一緒に過ごすための場所でも方法でもなく、こんにちは、って言い合うために、エンタメがあったらいいな。だったら素敵だな。と、源さんの音楽とかその他もろもろ、表現に触れるたびに思えるから好きだよ。



星野源を「分かる」ことは一生無いし、理解しあうこともしてもらうこともないけど、同じ音楽やお芝居や文章でほんの少し触れ合った時のあたたかみをくれる彼が好きだし、それを橋、と表現するところがさらに好きだなあ、と思った。
ひとりじゃないと言ってくれる人や表現ももちろん優しいけど、その後くる虚しさを考えると、きっと一生孤独だよって言ってくれる方が気が楽だし、その中で時々こんにちは、と言えることの方が心強い瞬間があるんだよなあ。私は身勝手なので。
寂しいからこそ、会った時もっと嬉しい。空腹は最高のスパイスみたいな、そんな感じか。ちょっと違うか。


以上が、私が源さんのことを好きな1番の理由だ。
マツコ会議、最高な上に2021年3月6日の土曜夜までTverで見れるから良ければぜひ。



マツコ会議
初対談!マツコと星野源の本音トーク…孤独と変態性、熱く語る!
#TVer #マツコ会議
https://tver.jp/corner/f0068356