えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

こんなところにあったのか

ここ2日本をめちゃくちゃ読んでまして、あ、嘘すいません、めちゃくちゃは読んでないです。
2日間で3冊なので盛っていった。盛っていったんだけど、冊数じゃないのだ。オダサクこと織田作之助さんも冊数じゃない読書法の話を書いていたしそういうことだ。
ともかく、なんというか、入ってきた情報というか情報というと味気ないなともかくそういう書かれていること、みたいなものが物凄く心地良くてテンションが高い。すごいぞ、めちゃくちゃテンションが高い。

そんなわけで、ある話がしたい。



夏から定期的にウンウンと唸っていて、客観的にみればバカらしいような堂々巡りをずっと続けている。続けながら、さらに定期的にああでもないこうでもない、と文章を書いてきた。
思えば、もともとはただの感想ブログだったここに個人的に考えたことの断片を(その良し悪しは一旦さておくとして)書くようになったのも……とはいえ、その前から「推しとは」と定期的にろくろは回していたけれども……その頃からな気がする。肌感覚だけど。



最初は「いまこんなに苦しいのは"辿り着きたい場所"が欲しいんじゃないか?」という仮定から始まった。


それから約半年後、読んだよ、という言葉が嬉しくて7月にたてた仮定のそれからについて考えた。


で、一旦置いていたんですが。
置いておきながらもちろん相も変わらず悩みまくってて悩みっていうか煩悩みたいな、なんかなんでこんな苦しいんだろうと明確な悩みがあるわけでもないのに虚無感に襲われていた。
それが行きすぎて落ち込んだり、逆に無視しようと好きなことを無理やり明るく並べてみては失敗したり、……まあそんな通常運転といえば通常運転な毎日を過ごしながら、ふと思い立った。


そうだ仏教の本を読もう。

しんどい理由は色々あれど、というか、このご時世しんどい人がほとんどだと思う。理由はそれぞれだとしても。
で、そういうことを色々考えてて、私は私の大好きな劇団、X-QUESTさんを思い出した。
ブラック西遊記、四天王というお芝居があってどっちも孫悟空が出てくる。

西遊記は、仏教の教えの話だ。
そして私はブラック西遊記や四天王の台詞を思い出した。自分を抑圧することはストレスだと語る三蔵法師たちのことを思い出した。仏教では執着の話が出てくる。そういえば、四天王でもブラック西遊記でも執着し、生き老いることで失われる苦悩を描いていた。
これはまさしく、今どうしようもなくぐるぐると袋小路に入ってる私にぴったりなのでは?!ととっつきやすそうな「入門」を読んだ。ついでに背表紙を見てたら読みたくなったのでイスラム教の本も読んだ。


で、そういうことを色々と書いてるとなんか悩みを解決するための答えを本の中で見つけられた、みたいな展開になりそうだけど、
なかった。
も、全くなかった。むしろわりとどれも人間は生きてるうちは苦しみます★って書いてあって清々しかった。ブッダも悟り開いた後も悩みや苦しみは近くにあったのかもな、とちょっと笑いそうなくらいだった。
で、だから自分の頭で考えなさい、とかやりたいようにやりなさいとか、目の前のことをしっかり愉しみなさい、とか色々と書いてあって、
あーーーーーー?!とちょっとぴんときたわけですよ。唐突に。
一昨日読んだ後にもなんか無性にはしゃぎ倒しそうになったんだけど、昨日また別の本読んでてもはしゃぎ倒してしまった。すごいな、読書効果。



辿り着きたい場所云々、と言いながら要は私は「やりたいこと」がなかったのだ。
これ、別に今に始まったことじゃなく、就活の時からなんならその前の一回一回起こる進路選択の頃から特になかった。
好きなものがハッキリしてるので時々「プロになりたいの?」とか「そういう仕事がしたいの?」って聞かれることはあったんだけど、
むしろ私は捻くれていたので「好きなものを仕事にする」ことはしたくなかった。
なんというかしっくり来なかった。私の好きなものは私なんかに出来るほど簡単じゃないんだよ、という斜め上な根性のせいかもしれない。じゃあ努力すれば良かったのに、と当時の私に会えば今の私は苦笑しそうだけど。


ところがどっこい、だ。
そんな私はまあ色々会ったけど社会に出てから楽しかったのだ。


一昨年までの部署は、学生とよく話す仕事だった。その中で「通勤電車とか見てると暗い顔した社会人しか乗ってなくて不安だ」と言われたことが忘れられない。
私はわりと胸を張って「社会に出てからが楽しい」と断言するタイプの人間だった。
これは別に学生時代がつまらなかったというわけでもなく。むしろ、高校にしろ大学にしろ面白おかしく話せるくらい濃くて楽しい毎日だったとも思ってるし、もし時間をやり直せてもきっと同じ時間を過ごすだろうな、と思う。
それでも、私はその時、「社会に出てからの方が私は絶対楽しい」と断言した。
なんでだか、覚えてない。でもともかく、楽しかったし楽しいと思っていた。
毎日明日がくるのが楽しみだったしやりたいことがあるから休みたいというのはあったけど「会社に行きたくない」はここ3年ほど味わってなかった。会社のことで本気で腹を立てても「行きたくない、やりたくない」は幸せなことに全くなかったのだ。


楽しいことがあった次の日仕事があったら、ここでもらったエネルギーぶつけるぞー!オラ、ワクワクすっぞ!くらいのテンションだった。



それがこんなご時世になり、友人と離れ、その他諸々、環境の大きな変化だとかで仕事が楽しい、と思えなくなった。
仕事どころか、生きるのが楽しくなくなった。
当たり前だ。
元々、そんなに生きるのは好きではなくて
でも好きな人や好きなものがあって、なら楽しいな、面白いな、が私の人生のスタンスだったのだ。それがなくなったら、元の人生嫌いが顔を出す。



人間、死ぬことだけが決まっているのになんで生きてるんだろうな。
そう思ってると、嫌になってくる。そこになんとか「意味」が欲しくて、辿り着きたい場所があったら変わるだろうか、とか、色々考え、
好きなもので人生を面白がろうと去年末に決めたのだ。


で、そう決めながらもずっと何がしたいんだろうって考えていた。辿り着きたい場所がなくても良いか、と、保留にしつつそれでもやっぱり何かしら考えてはしまっていた。
意味なんかない、暮らしがあるだけと言われればそれまでだし、意味を求められ続けるのもしんどいんだけど、でもなんか欲しいよ割に合わねえよ。割りなんて求めたらキリないなんて分かってるけどさ、って
延々とドラマや映画を観て友達と喋って、極め付けに本を読んで、あ、これだわ、と思った。


なんか、どこを切り取っても楽しいな、でいたいのだ。
私が仕事が楽しかったのは、好きだったからじゃない。好きでもないことを仕事にした上で楽しめたらめちゃくちゃ面白くないか?!と思ったからだ。
あと昔師匠が、週に8時間×5日も時間取られるなら楽しんだが良くね?って言ってたから実践してただけだ。
仕事をしてるところで切り取っても楽しい、が欲しかった。

これ、どっかでそんなこと思ったな、とブログを遡ったら2年前の私が既に書いてた。


今の私の人生をここできりとったら、どんな形をしてるんだろうか。川を眺めるしかなかったあの頃より、ちょっとはマシになってるだろうか。


そして、そう振り返りながら冷静にここ最近嫌だったのは、もし私が今いきなり死んだら、「可哀想」な話にしかならないからだな、と思った。
それがたぶんすごく嫌で、そうならない為に友人達と会えない分をせめて好きなもので埋めようとしたんだけど、それはそれで虚しくなってたんだなあ、と思い至った。



で、そうしながら、でもこの数週間楽しくて……それは本当に、なんというか、無理してとかじゃなくて
ドラマや映画を観るのも虚しさを埋めるとかじゃなくて、もちろんそういうのも0じゃないけど、なんか、普通に楽しいんだよな、と思って、突然、「辿り着きたい場所」が見えた気がした。



どこで切り取っても、あー楽しかったって死ねる人生が良い。
そんで、私はそのために文を書き続けたい。
うまく言葉にならないんだけど、なんか、あ、書きてえって「目の前のことを愉しめ」って見た時に思ったのだ。
そう思えたのは読んだよ、と言ってくれる人たちがいたからかもしれないし
喋ることが好きだなあと色んな人と話しながら思って、なんで喋るのが好きなんだろうと振り返ったからかもしれない。


これだけべらべらと自分の話をしながらまるで説得力がないけれど、私は人の話を聴くのが好きだ。その人の色んな考えや見えてるものを分けてもらえるような気がして物凄く好きだ。
突き詰めれば、お芝居や映画、ドラマもダンスも、ありとあらゆる表現が好きな理由はそこにある気がする。
結局ひとが好きで、その好きなひとを味わい尽くしたいのだ。
そしてそれを味わう一つの手段が喋ることであり、こうして文字に起こすことなんだと思う。
文字にしながら自分の中で消化して、
もちろんそれは自然そのままのものではないかもしれないけれど、
だからなおさら、私だけの宝物になるのだ。


あと何より。
言葉が届いた瞬間、を、ここ数年有難いこと体感していて。感想とか、好きなものの話とか、別に誰に聞かせるわけでもなく、自分の為にしていたことだったけど
それを届いたよ、って伝えてくれる人がいて、それが本当に本当に、嬉しかったんだよな。
それがたぶん、宝物になってて背骨を支えてくれてるんだよ。


その宝物をともかく、増やしたいんだと思う。
その増えていく宝物があれば、何があろうが私の人生は「あー楽しかった」になるはずなのだ。

うん、そうだな、私たぶん、文を書くのがめちゃくちゃ好きなのだ。
それに気付くのに二十何年もかかってしまった。


…閃いたときにはもっとこう、目の前がひらけた気がしたんだけど、どうだろう、伝わるのか、これ。分かんないけど、まあいいか。
ともかく、なので今年もたくさん文が書きたい。感想も、こういう思考回路の断片も、書けそうなら小説だって書きたい。


死ぬことだけが決まってる人生で、そういうことで面白がれたら、私にとっては「意味があった」な気がする。
そして私の人生という物語は、私という読者を満足させたいが一番の今の欲求だと思うのだ。
なんだよ、やりたいこと、こんなところにあったのか。