えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

うちで踊ろう(大晦日)

うちで踊ろう(大晦日)が公開された。

https://youtu.be/j3q1V3QHSU4


紅白で観て、それから毎日のようになんなら見終わった直後から「あの『うちで踊ろう(大晦日)』をもう一度聴きたい」と呻いていた私にとってこの知らせは物凄い朗報だった。
週末の夕方、突然その知らせを受けた瞬間はわりと本気でお年玉か?!と思ったし、仕事始めでくたくたになった中で凄いご褒美をもらってしまったと打ち震えた。

2020年の終わり、そして2021年の始まりに色濃い印象を残したこの音楽とパフォーマンスについて、忘れないように文に残しておきたい。



『うちで踊ろう』といえば星野源さんに興味があるなしに関わらず、多くの人に知れ渡った楽曲である。
1回目の緊急事態宣言の直前、4月3日のInstagramに投稿されたそれは、星野源さんからのある遊びの誘いのようだな、と思う。
(もっとも、私はMIU404をきっかけに源さんに興味を持ったため、当時をリアルタイムでは追いかけられていない。それでも、自分の好きな人々が次々にコラボしていく動画を見ながら面白い仕掛けだなあと思ったことは記憶に残っている)



うちで踊ろうの歌詞を読むと、まるで励ますエールのようにも思えるし、実際そうした意味合いとして受け取ることもあるのだけど、
何より、それは『面白い』ことをしたいという物凄くシンプルな仕掛けなんだと思う。



応援をするため、ではなく、「面白い」ことをする。それに周りの人々を巻き込み、遊ぶ。



まだまだど新規な私ではあるけど、その『面白さ』を生み出す姿は、とても源さんの魅力そのものなように思う。
ソロ活動10周年の記念として発売された『GRATITUDE』で観た初期のシングルの特典ディスクの中でも、
また放送されるごとに話題を呼ぶおげんさんでも
常に『面白い』を求めて、生み出していく。
そして生まれた『面白い』を誰よりも楽しむ。
それはこの短い期間でも強く印象に残った彼の姿だ。


源さんの影響でマリンバを買って、時々気まぐれに叩いているんですが、
やっぱりせっかくだし、とうちで踊ろうを叩こうと思って楽譜を探して物凄くシンプルな曲なんだな、ということに驚いた。
音楽の知識がないから実際のところは分からないけど、でも、あ、叩きやすいし覚えられるな、と思った。
そして、色んな『重ねられた』うちで踊ろうを聴いて、こんなアイデアやアレンジがあるのか!とまた驚いた。シンプルだからこそ、色んなことができたりするのかな、と思う。
これは私が言うまでもないことだけど、実際投稿されたたくさんの『重なり合った』うちで踊ろうは色んなアイデアがあって、
音楽だけではなくアニメや喋り、大喜利的な動画編集があったりと、その幅は物凄く広い。
それは作る側として参加できずとも、十二分に楽しめるくらい『面白い』ことだった。


そんな、うちで踊ろうに(大晦日)が付いた新しいアレンジ。発表されてから、自然と期待値は上がったし、同時に源さんだからきっとそんな上がりまくった期待値を軽々と越えていくんだろうな、とワクワクとドキドキで息苦しさすら覚えながら、テレビに向かっていた。


うちで踊ろうは、何度も聴いていた。源さんの曲としてだけではなく、直人さんのダンス動画を始め、色んな人の重ねた動画を何度も何度も観ていた。
だから、ワクワクしながら同時に「全く違うものになるのかな」という寂しさのようなものを感じていたのも事実だ。
もちろん、それはほとんど無いにも等しいような不安だったし、同じように時間を置いて2番を作られた『アイデア』を思えば、不安よりも期待の方が圧倒的に大きかった。
それでも新たに加わった歌詞の「あなたの胸のうちで踊ろう」という歌詞では、「うちで踊ろう」からいつものリズムへと戻っていく。
音楽知識があれば、もっと具体的に正確に書けたのだけど、あの歌詞を聴いた時に、痺れた。


新しいうちで踊ろう、は私たちが春から楽しんできた、一緒に重なり遊んできた『うちで踊ろう』と同じなのだ。


古い友人の変わらないところを見れた安堵感のような、それでいて、またこうして一緒に新しい時間を過ごしていることの嬉しさのような、そんなあたたかな気持ちが湧き上がった。
そしてそんな優しさを含んだ歌は、しかし、ストレートにシビアなことも口にする。

確かに、春のあの宣言時、こんな年末を迎えるとは思ってなかった。緊急事態という言葉の強さに怯えながらもまだどこか「今までの日常」がすぐに戻ってくると思っていた。
しかし、年末にはさすがに「来年になればきっと」と楽天的なことを思うことすら、難しくなっていた。

そんなことを思うと、12月の最後に放送された星野源さんのオールナイトニッポンを思い出す。

こういう年越しになると、来年は良い年になるだろうなって、なってほしいなって思うじゃない?
でもね、たぶん大変だと思う、来年も。

それを聞いた時に、そうだよな、とすとんとなにかが落ちてくるような気持ちになった。
確かにそんな楽天的な気持ちに縋りたくすら、あるけれども、きっと、それは難しい。むしろ、もっと許せない、それこそ人間って下らないなと吐き捨てたくなるようなことをこれからだって見ていくことになってしまうんだろう。それは、他人がどうこうということだけじゃなく、そんな中で自分にうんざりする可能性だって、十分、あるのだ。だって、今までだってそうだったんだから。

そう思うと、途方にすら暮れたくなるし投げ出したくもなる。
それでも、うちで踊ろうの歌詞は言う。
飯を作る、風呂に入る。
当たり前のただ、生活を続けていく。それが一番、難しいことだとしても。ただただ、生活を続ける。
膨大で先の見えない、時間だとしても。
それは幸運でも幸せでもない、どうしようもない瞬間だってある。

うちで踊ろう(大晦日)はこうすればうまくいく、という歌でもない。全てを肯定してくれるわけでもない。むしろ、はっきりとどうしようもなさもくだらなさも口にする。

いつか、エッセイで言っていた

どうかこの歌があなたの人生の役に立ちますように。僕の歌は応援しかできない。

救っては、くれない。音楽は、救ったりはしない。
それでもこんな面白しことがあると心臓を躍らせることが唯一、こんな苦しさの中で生きる理由になるんじゃないか。
そう思える瞬間をくれるから、私は彼の曲が大好きなのかもしれなかった。