えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

あばよ2020年

いやあああ、2020年、ほんと、びっくりするくらいしんどかったですね。
もうなんか、ここ数日ひたすら好きなドラマとライブだけ摂取していたのでまるでよかった一年、と、言いそうなんだけど
そんな終わり良ければ全てよしという慣用句でも誤魔化し切れないくらい本当にしんどかった。


推しのライブは当日に中止になり、それでもと待ち望んでいた舞台にはいけず、大好きなひとはいなくなり、友人にも家族にも会えなくなる。



いや本当に、なんというかここまでの生き地獄を味わう想定はさすがに人生悲観的な私にも持ってなかった。
なんなら、それで早々に夏頃から体調を崩し、
いやまじで身体限界なんでなんとかなりませんか、と会社に打診するもなんか何とかなってしまう丈夫さで今もなんとかする、の尻尾を掴んでるような掴んでないような、みたいな現状である。


ここやTwitterに書いて甘えたこと、書けなくて飲み込んだこと、飲み込もうとしてる途中のこと、本当に色んなことがあった。



限界だ、しんどいというみっともなさは分かりながらもそうやってのたうち回らないとやってらんねえよ、とやさぐれてもいた。
ハイローを見て、前を向いたオタクのひとりなわけですが
そんな私も、どうにも「明日がくること」に嫌気がさして何をどうやっても前向きに考えられなくなったとき、
情けなくて申し訳なくて、そんな気持ちからLDHのエンタメに触れられない時期もあった。



とはいえ、だ。

そんなどうしようもなく苦い毎日の中でも、楽しいことはあった。出逢ったひともいた。
新しく好きだと思う「推し」も増えた。
そして何より、こうして誰にも会えないからひたすら書いた文に、たぶん誰より私が救われていた。
感想を書くために、このブログは作った。
たくさん呟く人間だからこそ、感想として振り返れる場所をと作った場所が
気が付けば個人的な想いを綴るようになった。
それに対して恥ずかしさやどうなんだ?という疑問を感じながらも、優しい言葉に支えられ、何より自分がそうして文を書くことで残しておきたいものがたくさんあって、こうして1年(50本も書いたらしいですよ!びっくりだよね!)文を書いていて、読み直すと忘れていた楽しいや嬉しいに出会う。
やさぐれながらでも動いた心の軌跡が、ブログのあちこちに残っていた。


死ぬことだけが決まった世の中で生きるということのハードルがやけに高い。
そうは思うのだけど、でも生きてる限り面白いや楽しいを一つでも探していきたい。


源さんに出逢った2020年だったわけだけど、
彼の倒れる前後の創作物に特に私は心を寄せていた気がする。
自分の人生や感情全てを創作物に昇華するようなその姿勢に背中を支えられてきた。
そしてその上で、倒れた後の源さんの姿勢に自分のあり方を問いかけ続けた数ヶ月だった。


無理や無茶をするべきじゃないだろう。
その通りだ。
倒れた後の源さんの姿勢を見ながら何度もそうだよな、と思った。
ただ、まだ私はその境地に辿り着けていない。


今のところ、来年ものたうち回らなきゃいけないような未来が見えている。


無理や無茶をしないとできないことがある。それ自体、そのものがなのかはともかく、往々にしてその「できないこと」の先に欲しいものがある気がしているのだ。


なんというか、しんどかったんだけど、私はそれはそれで色んなことを考えるこの時間で得たものもたぶんめっちゃあった気がするんだよな。
それを面白いなって思ってもいる。
これからもたぶんたくさんエンタメを見る。そしてたくさん文を書く。書きたいものがたくさんあるんだ。


世界はどうしようもないし、毎晩寝るとき明日目が覚めなければいいと思う。なんでもかんでも嫌になるし、嫌いなこともどうしようもないことも多い。
だけど大丈夫だ。そんなことに心を折らなくても平気だ。むしろ折れても普通だし当たり前だ、折れてもいい。またぐるぐる、セロハンテープでも貼ろう。どうせ、続けるしかないのだ。だったら、面白がれる時だけ面白がって、嫌な時はとことん落ち込み倒そう。
大丈夫だ、生きてる。生きてしまってる、かもしれないけど、生きてる。
今年一年、お疲れ様でした。
本当に心の底からお世話になりました。こうして、文を書ける今日を、私は幸せだと思う。