えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

佐々木インマイマインの感想、あるいは今と高校時代の話

高校時代が、たぶん一番個性的な人間に出会った時だと思う。
片田舎の進学校もどきによくもここまで、とも思うしだからこそだとも思う。記憶のフィルターが美化してるところもあるだろう。だけど、私にとって衝撃的だったのは事実だ。おかげで私は平凡コンプレックスを拗らせたし、その個性的な人たちとやっていくために、かつ、その個性的な同期に囲まれる中でも先輩に忘れられないようにツッコミを磨き、自分のポジションを確立しようとした。
わー…なんか、文にしてると落ち込みそうになるな。



この物語は「クソみたいな今を生きる俺」の話であり、ずっと爆発してるような無茶苦茶な高校時代の友人佐々木の話である。



鳴かず飛ばず、どっちつかずの悠二は、役者になるために東京にやってきた。しかしうまくいかず、元カノとずるずる同棲を続ける。後輩で「うまくいってるように見える」須藤の目線には居心地悪そうに身動いで、同級生の「正論」には腹を立てる。



閉塞感なんて表現したくないような、むしろ、そこに行き着くこともできないような苦しさを感じたのは、なんか、きっと今の私の居心地の悪さのせいなんだろうな。

漠然とした不安、みたいなものを感じない人はいないんだろう。こんな時だから尚更。
そしてその漠然とした不安を裏付けるみたいに「こうなってしまうかもしれない」という恐怖を煽るifは生活のあちこちにある。


高校時代は、馬鹿なことばかりやっていた。
会社のクソみたいなこととか住民税とか、洗いそびれた皿とかもなくて、
日がな一日だらだら明日になったら忘れそうな話をして別々の漫画を読んだりだとか、よく分からない口癖が流行ったりとか。


佐々木インマイマインのことを考えて、考えて考えて文にしようとするたび、
自分の学生時代を思い出した。製作陣の多くが同い年だということを差し引いても、
気が付けば自分のことを考えていた。
一緒にいた友人や、やった酷いこと、やられたどうしようもなく許せないこと。


佐々木コールや、おっぱいの感触だなんて馬鹿なことをいってげらげら笑いながら漕いだ自転車。
バラバラのことをしながら過ごした誰かの家。
適当にそれっぽく理由をつけて口にした好きだとかそういうことや、
クラスの他愛もない噂話。
覚えてないのに、残っている色んな景色が画面上にずっとあって、呻きながら過ごしていた。



綺麗なものも、形が整ったものもない。それは記憶の中にも関係性の中にもない。
1番の親友なんて、クソみたいな言葉に落としてたまるか。
誰かにとっての「幸い」なんてことはない。絶対。
人生の意味なんて下らないもの、あなたの生命は素晴らしいなんてクソみたいな言葉で顕さないでくれよ。



何万回あの時を繰り返してもきっと同じ毎日を過ごす。過ごしたい。だけど、そのうち一回くらいあの時言いそびれた言葉をかけれたりしたらいいな、とも思う。いや、やっぱり無理かな。


高校時代から何か変わったのかと言われれば、何も変わってない。何一つ。
だから、昔は良かったなんていうクソみたいな郷愁も、美化も全部全部糞食らえだと思う。
どうせ、死ぬまで生きていくしかないんだ。今日は昨日の続きでしかないし、昨日はただの昨日だ。
それでも、例えば、きらりとひかるあの時間に目を焼かれることはある。それを、美化なんてしてやるかよ、と、思うし、ホームランを打った佐々木のことを思い出すたびにだよな、って笑ってしまうのだ。だって、今日も生きてるわけだし。