えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

RED PHOENIXを続くことが苦手なオタクが聴いた話

突然ですが、続くことって怖くないですか?


例えば、映画だってだいたい続編って面白く無くなって酷い時にはファンの間でなかったことにされるし
連載漫画だって大人の事情によって無理に長引かされたことによる悲劇、みたいなのってよく聞く。
なんか、続くって、ポジティブに捉えられがちだけどどう考えてもネガティブな側面の方が多くない?と思うことが多い。
それは、昔から何かを続けることが苦手な私の僻みも入ってるとは思う、思うけど、ともかく、続くことって昔から怖い。
「このままが続いたら良いのになあ」と口にすることは多いけど、それは「続かないからこそ」言えるのだ。というか、続いてしまうから言う。続いてしまうことは、変わることだ。
変わることは、意志として変わると決めたこともあるけど勝手に変わることだってある。

そんなわけで、やっぱり「続く」って怖くないか?終わったら、もうなにも変わらないんだぞ?と思ってしまうのだ。



EXILEの新曲が、出た。
「新生EXILE!」「新体制!」と早速テレビでは紹介される。
当然ながら、それはATSUSHIさんの不在のためだ。一時の留学ではなく、これからの時間として、道をそれぞれに選んだ。
「続いていく」中で「変わった」わけである。
それだけではなく、今年世界は大きく変わった。というか、変わり続けている。
去年の今頃の写真をみてびっくりするくらい、もう何年も前のものに思えてしまうくらい、世界は変わった。
予定されていたものはなくなり、常に「どうなるか分からない試行錯誤」が求められている。

そんな中で、改めて思う。
変わることは、怖いことではないか。続くことはどうしようもなく「変わり続ける」ことだ。
ものすごい幸せも愛おしさも嘘ではないだろうけど、失くなるものだとも思う。



そんなともすれば、カビすら生えかねない物思いをRED PHOENIXは吹き飛ばしてくれた。
「新生」と銘打たれる大きな理由は「ボーカル体制の変化」である。それは間違いない、
実際、あの発表以降"新生EXILE"に一切の不安がなくても、どこかドキドキと心配のようなものを感じていたのは事実だ。
痛いほどの不在を感じてしまうのは怖い。それはその不在が物語になってしまうことへの居心地の悪さかもしれない。


ただ、そんなものは全て杞憂だった。


"新生"は不在からの変化だけを指すのではない。手のひらを急に返すようだけど、そう思った。

将吉さんのドラム、ネスさんのギター、亜嵐くんのDJブースでの姿…
全てが新しかった。それは、新鮮だとかという話とはまた少し違う。
かつ、上に名前を挙げた人以外のメンバーもそうで、この数年…それは具体的ないつからいつ、という時期の話ではなくてもっと長い目での話だけど…のソロや「EXILE外」の活動の時間を思わせるパフォーマンスをぶちかましてくれた。
技術だとか、実際に見せ場として具体的なら「そういう演出」が全員にあるわけではない。ないけれど、あのMVの中で笑って見せる彼らはみんな、それぞれの時間を経た、EXILEだ。



元々、EXILEとは同じ振りを完全に揃えて踊ることで魅せるというわけではなく、それぞれのらしさが出る、という話を哲也さんが「三つ編みライフ」でしていた。
そういう意味では、そのそれぞれの時間が濃密にでる今回のパフォーマンスはEXILEの魅力そのものであり、「いつもどおり」かもしれない。
だけど、同時に大きく変わったなかで「彼ら」が「彼らの活動を経て立っている」のは、まさしく今回の「新生EXILE」だからなんじゃないか。
なんかもうめちゃくちゃ感覚的な話になってきたけれど。ただ、観ながらひたすら生き生きとその瞬間を彼らは生きてるんだな、と呆然とするように見ていた。



MV公開当日、こう呟いていたんだけど、結局行き着く先はここなんですよ。たくさんの0で、変わったところからのリスタートでもあり、続きでもあり、続いていくものでもあり、0なんだけど、1なんだよな。

なんか、1ってなり得ないじゃんというか、積み上げたものは簡単に変わったりなくなったりするじゃん、と思うし、実際往々にして、そうなんだけど、この14人を観てたら、なんか、そうだよな、と思う。
全てを感じていたい希望も絶望の痛みも、と歌い上げる姿に格好いいなあ、と呟いてしまう。



目を一切背けることなく、変わって0になるかもしれないことも含めて、ただそこに真っ直ぐに立っている。
どうしようもなく生きて想って歌って踊る。そうし続ける。変わらないものなんて、何もないなかで。
それを、楽しそうにぶち上げる姿がたぶん、私はとても好きだ。
そしてそれは続くの怖くない?なんてことを口にするのがちょっと野暮に思えてしまうくらい、格好良い。

怖いなんて言ってる暇はない。

だって次の瞬間には、「今」の続きがやってくる。目を逸らさずに迎えた続きがあんなに格好良いなら、なんかそれはちょっと「続くのって良いじゃん」と相変わらず掌を返して、思ってしまいそうになるのだ。