えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

逃げるは恥だが役に立つ

※今更のドラマ版の感想です。
新春SP楽しみですね!!!!!!

居場所を探す物語なのかもしれなかった。
元々総集編をチラッと見て、微妙に肌にピリピリとする感じが馴染まずに、避けていた。野木脚本は大好きだけど、と思いつつ。
それでも、今回Amazon primeに入ったしと観ることにしたのは、やっぱり星野源さんの存在が大きい。
「愛される人は良いなあ」という平匡さん(星野さん)はやばい、というフォロワーさんの言葉を聞き、なんだそれ聞きたすぎる、と見始めた。


登場人物たちは、各々にコンプレックスを抱え、それぞれの生活を送る。隣の芝は青いので、誰かにとっては羨まれ、誰かを羨むそれぞれの人物が出てくる。


一言で救われるのは恐ろしくて、そして幸運なことだと思う。


大仰な言葉なんていらないのだ。むしろ、大仰な言葉の「浸透力」は実はすごく弱い。
だけど、例えばほんの少し、綺麗になった網戸に気付いてくれるように。
あるいは、あなたが良いと言われるように。

「逃げ恥」は胸キュンドラマではあるのだろうけど、だから恋愛を主軸にしたドラマなんだけど、でもなんか、人と人、というか、そんな話な気がして
そうして考えてるうちにいやそもそも「恋愛」が人と人の話だよな、と思い直した。
ある意味で、それは友情だとか親愛だとか恋愛感情だとか線引きする必要はないのかもしれない。ない、と言い切るのもまた、なんかニュアンスが変わっちゃうけど。


「愛してるわよ、お互いに努力して」
そんな、みくりのお母さんの言葉を考える。
すれ違う間、みくりさんも平匡さんも、そりゃあもう、痛かったと思う。痛いし苦しいし、放り出したくなるようなことが頭だとか心の中に満ち満ちていただろう。
思えば、学生時代、そんなことはたくさんあった。些細なことで喧嘩をしたり喧嘩できない苦しさに悶えたり。それくらい生身で周囲の人とやりとりしていた。
きっとそうして摩擦をたくさん経て「生身」に纏わせるものを私たちは手に入れていく。
なんせ痛いのは苦しいし、体力を消耗するのだ。人間歳を取ればとるだけ、体力は落ちる。学生時代と同じように生身でやりあい続けたら絶対にもたない。

意思がなきゃ続かない。

「あなたにどれだけ拒絶されても、大好きだよって言ってあげるべきだったんでしょうか。向こうは僕の気持ちなんて考えちゃいないのに」

なんか逃げ恥、覚えておきたい言葉がたくさんで困った。それは、恋愛に於いての、というよりも、単純に。自分の大切なひとたちと一緒にいるために、なんなら自分自身と一緒にいるために、必要な言葉たちな気がした。


逃げ恥って、コミュニケーションの話なんだよな…私にとって。

誰かを誠実に愛し続けることは大変だ。だけど、だというのに何故か、愛し続けたいと思ってしまうし、愛されたいと願ってしまう。
あいしたい、もあいされたい、もなにも恋愛に限ったことじゃないんだよなあ。逃げ恥に出てくる人間関係のどれもが羨ましいし、だけど、いやそれと同じくらい素敵な人間関係に囲まれてるじゃんか、とふと、終わり間際、次々と話数を重ねながら思った。

平匡さんの人間関係に求めるハードルの低さに悶え苦しんで、言葉にできないことを歯痒く感じて、手を伸ばした時の怯えた顔に苦しくなって
抱き締める手の切実さや泣き出しそうな表情に胸を抉られながら、良いなあ愛される人は、という言葉や、今日はまだ死ねない、という言葉を思い出していた。
でもなんか、ほんと、あんな気持ちだよな。大切だって気持ちってきっと、あれくらい切実で柔らかくて、ほっとくとどんどんなくなるというか。
人が人を好きだと思うこと、大切だと思うこと。
それを、居場所と呼ぶこと。
それはたぶん、本当は優しかったり幸せだったりすることだけじゃなくて、苦しかったり情けなかったり傲慢だって自己嫌悪することもあるんだろうけど。


なんかそれでも。面倒臭くても、誰かを好きでいたいよな。そうやって過ごすのを生きてるって呼べたら幸せだよな。
そんなことをラストの彼らの笑顔を見てると心底思ってしまった。