えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

かげつみのツミ

お芝居って、出逢うタイミングが決まってるのかもしれない。
時々そういうことを本気で考える。

基本的にお芝居は、生で観るに限るに決まっているし、そう思うと「出逢える期間」がある程度定まっている。
のだけど、今、テクノロジー的なものを駆使して、家の中で上演をお招きすることができる。
そうなると、尚更、お芝居は出逢うタイミングが決まってる、と思う。

かげつみのツミを観ながらそんなことを考えていた。
ついでに言えば、私は今回、サテライト上演で「出逢えない」覚悟をした。どうにも気持ちも体調も整わなくて、何度かYouTubeでページまでアクセスしたものの、じゃあ、と上演を招き入れる体力がなかったのだ。
だから、ある意味で「ああこれは出逢うタイミングじゃないんだな」とも思っていたんだけど、どうにも落ち着かなくて、「せめて1コースだけ見よう」と思った。きっと、上演期間に足を運べたとして、遠征を伴う私はよくて1コース、見ただけだったかもしれない。それを思えば、1コースだけでも観れたら御の字じゃないか。

そう思いながら見出して、結局、サテライト上演最終日に、駆け込みで本編のみにはなるけども、全部観終わった。観終わって思う。
たぶん、かげつみのツミに、今出逢うべくして出逢ったんだろうな。


あらすじ(公式サイトより)

玉どめを、外した。リッパーはいらないわ。
今夜この瞬間から私はなるべく喋るし、笑うし、
たまに泣くかもしれないし、動いたりもすると思う。

ただの布と中身だけだった私を縫い合わせて私を人形という
上等な存在にしていたこの糸は、
きっと、そんなこんなでちょっとずつちょっとずつほどけていく。

私、再びなんでもないものになるの。
ただし、私は楽しみにしています。
だって、どうしても知りたいのです。
私の中に詰まっているものが、一体なんであるのかについて。


人形たちは、捨てられて地下にいる。
捨てられた、ということは誰かを失くしたということだしなんなら捨てた本人もまた失くしたということだろう。

価値についてずっと観ながら考えていた。
チョキの台詞に、ちくんと胸が痛んだ。お金をただただ貯めていたチョキの持ち主のことを思う。なけなしの夢を貯めて、その人は何をしたかったんだろうと思う。

私もどんどんお金を使うタイプではない。もちろん、趣味や好きなものがたくさんあるから、貯め込みもしないけど。
ただ、やっぱりどっか、思ってしまう。いつか、私もチョキの持ち主のように、夢だけ貯め込んで終わってしまう日もあるかもしれない。

なんだかそんな瞬間がたくさんあったのだ。
価値、について。
宝石なら、自分の身のうちに詰まってるものが宝石なら愛せるというチョキを、ジェシーを観ながら。

例えば役割を果たしきれなかった人形たちとか、そういうひとびとを見て。
なんか、価値を決めるものってなんだろうとか、愛情がいつか尽きるとしたら、どうしたらそのことを回避できるんだろうとか。

愛情が終わってしまった、もしくは始まりもしなかった、在ったけど「自分のものじゃなかった」人たちのことを考える。

その、自分の価値が分かれば、価値があれば「生まれてきた、生きていく意味」が分かるという彼らの話を半ば呆然と見ていた。


失くしてしまったものの大きさとかを考える時、もしくはお別れしてしまったもののことを考える時、私はわりと憂鬱を極めてしまうタイプだ。
失くすくらいなら、と過ってしまうし、
そもそもそれは私の過失な可能性だってある。
実際、今回観ながら、一度は人生でお別れしかけたぬいぐるみを抱えながら観ていた。ごめんね、って謝ってしまった。
いつかは一緒にままごとをし、探検をしたこの子を置いて、私は他のことにどれくらい夢中になっただろう。
なんなら、今だって別に常に一緒なわけではないし、他のぬいぐるみとだって遊ぶ。
そういうことを思えば思うほどに、大切なものを手放した時、あるいは手放されたとき、具合よくきちんと一緒に終われてしまえば、いっそどんなに心穏やかに過ごせるだろう。


そう思っていた私にとって、ラスト、シャグベールの台詞は、心のど真ん中に突き刺さる。
誰かの代わりなんかはいないのだ。そんな相手がいたとして、その相手とうまくいってしまう自分なんて、嫌なんだ。
嫌なんだ、本当に。
失くされることよりも、失くして当たり前に生きていけてしまう自分の方が何倍も許せそうにもなくて、そんな簡単に、過ぎ去ってしまって欲しくはないのに、事実、過ぎ去らせて私たちは毎日生きている。

それでも、なんとか生きていくしかない、というのは、悲しくてやってられなくて、でも笑って生きていってもいいのかもしれない。

もとより、炎に自分をくべてしまうなんてこと、早々にない。あるとして、テルテルのようにそれがせめて誰かの笑顔に繋がればいいと思うと、ますますその機会はあんまり無さそうだ。


そんなことを、ハシコロゲとみんなの会話を聴きながら思った。そうして失くしてしまった、失くされてしまったどこかにいる大切な人のことを想うのだって悪くない気がする。なにも、世界は自分の目の前にだけ存在するんじゃないんだから。
今はひとまず、ただただかげつみのツミで出逢った愛おしい人たちが今夜、優しい夢を見ることを願いながら眠ろうと思う。