えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ザワを見て「領分」について考えた話

長く長く、ザワについて考えていたような気がする。
全くもって、勝手に、ではあるんだけど、私は初回まるでタイマンをするようにザワを観て打ちのめされ、それからもうだうだと考え込んでいた。もちろん、2回目観た時点で「エンタメ」としてかなり楽しみもしたのだけど、それでもどこか、小骨が引っ掛かったままというか、周りの熱気とは裏腹に、ザワに対してうだうだと考えてしまっていた。

なにをそんなに考えていたのかはまた書くものの、一番は観た直後、混乱のまま書いたブログを引用した方が早いだろう。


http://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2019/10/10/012723

ザワの感想からちょっとズレるけど、なんで楓士雄が持ってる人だとそんなに苦しかったか、の個人的な感傷のブログ

http://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2019/10/10/150746

読み直して、あまりの混乱っぷりとそれでもなんだか飲み込もうとしてる自分の姿に苦笑してしまうな。

それから、1月の終わり、大好きな塚口サンサン劇場で上映があると聞き、最初の時と同じメンバーで観に行った。個人的に、もっかいちゃんとケジメとして楽しみたいという気持ち含めて。

今日は、その時の感想の話だ。

なんというか、領分という言葉をずっと考えていた。
チハルがいつか口にした「ぶっちゃけ山王って何と戦ってるんすかね」という言葉をふと思い出していた。
ザワの彼らはそういう意味では戦ってる理由も、守りたいものも明確だ。(まあ、キドラとかレッドラムとか出てくる時点で全然子どもの領分、という範疇を越えてる気もするけど)

ただ、なんか、真っ直ぐな印象はずっとザワを観てる間中感じていた。

私、あの河原の喧嘩で村山さんの登場にキレる楓士雄くんの存在に、2回目めちゃくちゃハッとさせられたんですよ。
出てくんじゃねえよ、俺たちのケジメだろ、っていうあの怒りってめちゃくちゃ分かる気がして。

し、私は楓士雄くんの強さってそこなのかもしれないなあ、と思った。
いや、彼はノーボーダーの人だとも思うんですが(それは、作中はもちろん作ってる間もそうだった、と聞くにつけ、ああもうハイローくんってば、と好きな気持ちが募ってしまう)
だけど、同時に自分の出来る精一杯を、していて、背伸びをしないんですよ。

背伸びをしないっていうと、まるで悪いことのような表現になるけど、背伸びってめちゃくちゃ足元不安定になるじゃないですか。
彼は絶対それをしないんですよ。
目の前から目を逸らさない、等身大で全部ぶつかって、殴って、抱き締めていく。

例えば、新太くんへのカンパだってだから少額ではあるんだけど、でもあれは楓士雄くんの出せる精一杯なんだよな。それって、凄いことなんだよ。

ハイローってともすれば、自分の領分外のこともボロボロになりながら手を出してしまう人がたくさん出てくるというか、うーん、言葉がどうしても悪いな。

ただ、ふとそんな楓士雄くんを観ていて、私は兄貴……雨宮尊龍のことを思い出したんですよ。
どっちがいい悪いじゃなくて、
なし崩し的に大人の領分に押し出されてしまうことの悲しさについて考えてしまって、
だから尚更、楓士雄くんの強さが眩しくて愛おしいなあって3回目のザワを観ながら思っていた。
楓士雄くんに特化して書いてはいるけど、そしてこの強さってたぶん、ザワのみんながそれぞれに持ってるものなんですよね。

自分の領分を等身大で守る。それが、めちゃくちゃに格好良い。

し、これって村山さんの描写でも言われてることな気がする。
例えば、以前のような喧嘩、ではなくて地に足をつけた、夢の叶える道へ歩き出す。
それって、ものすごく格好良くて、最高のことなんだ。

そういうメッセージがあちこちにあった気がする。

それから、私がザワの1回目2回目で印象的だったのは学生のファンの人たちがたくさんいたことだった。それがもう、めちゃくちゃ素敵で。
だってその人たちに向けて彼らが発するメッセージが、等身大の格好良さ、だなんてあまりに格好良くて希望に溢れているというか。
なんか、そんなことをふと考えていや、かっけーな!と思ったし、全員主役、というキャッチフレーズを改めて考えた。

そして、ついつい第一世代、第二世代、と分けてしまうけれど、
きっと分ける必要もなく、彼らは彼らの世界でそれぞれにそれぞれの瞬間を生きてる。
間違えるとか間違えないなんて小さな話ではなくて、ただただ精一杯、その時間を。
なんか、色んな方法の提示でもあって、かつ別に第一世代が背伸びをしていたとか、だから悪いなんて話でもなくて。


なんか、だから好きなんだよな、と振り返りながら思ってる。