えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

遠くて近い

TAKAHIROさんのファンクラブイベント、道の駅が終わった。
TAKAHIROさんのファンにとってイベント期間中はとても幸せな時間だったと最近ずっと思っている。そして、自分もその「ファン」なのだ、と思えることが幸せだと何度も何度も思い返してはついついにこにことしている。

ファンということについて考える時間だったように思う。
「ファン」あるいは、「推し」「○○担」とは色んな定義が色んな界隈でされるし、
しばしばそれについて燃えることもあるわけだけど、それもあり、私は「ファン」も「推し」も自分を紹介する際に○○さんの「ファン」とか○○さんは推し、と話すのが苦手である。
ただ、特に文字だけのコミュニケーションであれば同じ言語(語学的な意味ではなく、ネットスラングとかそういう意味で)を使うことはスムーズだから、使うことが多い。
が、TAKAHIROさんの道の駅を通して、TAKAHIROさん自身がファンへの想いを口にしてくれるのを実際見たり、聞いたりしたうち、だんだんと考え方が変わってきた。

ちょうど、好きなフォロワーさんとお酒を呑んだのもある。だいたい私はいつも自分の好きについてうだうだと考えているのだけど、
その度に好きで良いと思います、と背中を押してくれる人で呑んだ時もそんな話もしていた。

それから一番好きな役者さんの舞台を観に行き、また自分の好きに関して怯みそうになったんだけど、道の駅の出来事や、フォロワーさんとの会話を思い出しながらいやいや、好きなんだよなあ、と思っていた。

他人の定義なんてものと関係なく、好きだということ、好きでいても良いこと、というか、良い悪いでもないことをのんびり考え、
道の駅をはじめ、今までそれが奇跡的にも相手に受け取ってもらった時のことを思い出していた。

ファン、をあんな風にあたたかく表現してくれる敬浩さんに私は何度もびっくりしていた。
そして、幸せだと思った。
今まで何年も応援してきた人や、熱意を持って愛情を持って応援してきた人たちが幸せとそれを受け取ってきた人の幸せの交換で、
それってすごいことだ、と思っていた。私も、その一人なのか、という事実にも愕然とした。
その時、いやでも私なんか、と思うことはもしかしたらものすごく、敬浩さんに失礼なことかもしれない。そんなことに、思い至った。


人間関係の形には色んなものがあって、
家族や友人、恋人、仕事の人……その中にファンとアーティストもあるんだな、それってすごいな、ハッピーだな、と思っていた。
逆に距離が遠い(のに、あんなに身近に感じたんだけど)から尚更冷静にこうして考えているけど、思えば、ずっと応援してきた舞台の役者さんたちもそうだったのだ、と思う。そしてなんなら、私はそれを既に知っていたはずだった。今までも。

直接、互いの人生に関わるわけではない。ないけれど、大きく人生に影響は受けている。そして、なんとも驚くべき事実だけど、どうやら、ファンだって、与えてるらしい。
まだうまく表現する言葉を見つけてはいないけど、そんなことを繰り返し考えていた。素晴らしい一冊の本とか、映画とか、お芝居とかのように、アーティストその人自身も、そんな存在なんだな。

そんなことを、わざわざこうして文にしているのは、道の駅やその直後観たお芝居をきっかけに動いた心を忘れたくなかったというのともう一つ、友人と話していて、ものすごくそれを実感したというか、なんなら「経験した」とすら思ったからだ。


友人は、私と似ているところもないでもないが、どちらかというとそんなに共通項は多くない。感覚としては絶妙に違う友人である。
なんなら、第一印象はそこそこ悪かった(お互いに)
新卒の内定先の研修で出会った彼女は互いに「ああこいつとは合わないな」と喋る前から思っていた。それがひょんなことから似てるところを見つけ、お芝居という共通の……かつ、なかなか人と共有しにくい……好きなものを発見して、仲良くなった。
もうお互いその会社では働いてないが、今でもかなり仲が良い方だと思う。


そんな友人とは今までもお芝居や映画を一緒に観てきた。
ハイローも、ひたすら勧めて見てくれて、なんならザラを気に入って買ってくれたりもした。
元々は敬浩さんのことがあまり好きではなかったという彼女が、それでも敬浩さんの話を聞いてくれて、色んなことを乗り越えてきたんだねえ、としみじみ言ってくれた時、泣いたこともある。以来、道の駅の話も聞いてくれたり、何かあるたびに一緒に楽しんでくれる友人である。

その友人も含めて、ハイローを三人で観に行った。
HiGH&LOW THE WORSTである。

初見は私は個人的に色んなことをぐるぐると考えて、友人たちが興奮気味にアクションや役者さんたちについて話す姿を見ていた。
なんなら、二人が楽しそうにしてるのを観て、ホッとしていた。一人で落ちてたので、なんか、どちらかとだけと観てたら水を差してしまってただろうなあ、と思ったので。

その時一緒にいた二人それぞれに対して「同じように感じなくてもいい」というのは、
とんでもない安心だな、と思った。
同じものを同じように好きだととても楽しくはあるけど、別にそれはマストじゃないんだな。

そんな中、仕事が忙しそうでしんどそうだったので、じゃあ、もっかい一緒に行く?とザワを誘った。私自身、リベンジしたかったのもあった。

ら、友人がとんでもない勢いで沼った。
もうそれはもう、「沼った」というのが一番しっくりくるくらい見事な「沼落ち」だった。

 

ザワという作品に対しても、そこに出ている役者陣に対しても、そしてTHE RAMPAGEのみんなにも沼っていく姿は、感動すらした。

少し前に書いた通り、元々はLDHが苦手だった人だ。
もちろん、ハイローは好きになってくれていたし、LDHに対してもある程度好意的に楽しんではいてくれたけど、当然、沼ではなかった。し、私はそれでいいと思っていた(ライビュはどっかで一緒にいけたらいいな、とは思ってたけど)

好きなものを大切にする子ではあるし、
エンタメを楽しむ姿勢も似ているので、何かを心の底から楽しむ姿は何度でも観てきたつもりだけど、そんな私にとってもそうしてコンテンツやアーティストを楽しむ姿勢はとんでもなく、嬉しいものだった。

それからしばらくして、一緒にご飯を食べに行った時のことだ。
塩野さんやらんぺさんの話をしながら、何度も彼女自身、驚いてるし戸惑ってる、と口にした。


こんな風に好き、であることの戸惑いや
色んなメディアを通して彼らを知るたびそれらを通して、
自分の今までやこれからについて考えたり悩んだりしてること
そんな話をご飯を食べながらしていた。


私はその話を聴きながら、とても幸せな気持ちになった。

 


好きなものの多い友人である。
今までだって、熱量を持って色んなものを好きで居てきたことを、私は近くで見ていて知っている。
だから誤解のないように……それは恐らくこの文を読んでる本人に対しても……書いておきたいのは、それまでのものとの「好き」の優劣の話ではないということだ。


ただ、彼女の世界になかったものを知って、
大きく変わっていってるそれだけの話なんだと思う。
なかったもの、というのはジャンルがどうこうの話ではなく、「それ」自体だ。

 

触れて、変化すること。し得ること。
それは、そこに人がいることの他ならない証明だなあ、と聴きながら思っていた。
この人は、目の前のアーティストや作品にめちゃくちゃ真剣に向き合って好きになってるんだな、という事実が私にはとても素敵なことのように思えた。


そもそも、好きになった対象一つ一つに対して抱く「好き」はそれただ一つというか、二つとして同じものはないんだ。
「友人」と言っても同じ友人関係がないように、ラベリングすることはかろうじて出来たとしても突き詰めてしまえば、その人とその人の関係でしかない。

 

 

 

時々、好きな役者さんやアーティストの話をしてると、「別に恋人になれるわけじゃないよ」とか「友達とか家族でもあるまいし」と言われるけど、
そうじゃないんだよなあ、と思った。
そうじゃないんだよ、だし、別にただ「消費」してるんじゃなくて、そうじゃなくて、私は、彼らに出逢ってるつもりなんだよ。


別にそれは接触だ認知だなんていう細かい話ではなくて、そんなちっぽけな話じゃなくて、もっとなんか、なんかさあ


そう、ぐるぐる考えてた。
以前、ハチミツとクローバーという漫画で竹本くんがはぐちゃんに振られ、紆余曲折あった後、「終わってしまった恋に意味があるのか、ずっと考えていた」とモノローグで語るシーンがあった。
泣きながら、はぐちゃんに手渡されたサンドイッチを食べながら、竹本くんは言う。


「意味ならあったんだよ、ここに」


その意味、はもうハチクロを読んでもらわないと伝わらないと思うんだけど、ここで言いたいのはそれに近い、「意味ならあったんだよ、ここに!」と叫びたい気持ちだったということだ。

 


会えるわけでもない、自分の人生に身近な人間として存在するわけでもない人にそんな思い入れ持ってどうするんだよって笑ってきた色んな人たちに悩んだり楽しそうに彼らの話をする友人の姿を見ながら言いたくなった。

 


意味ならあったんだよ、ここに!!!!!!!

 


何かを好きになること、誰かの活動に触れたい、と思うこと、触れること


そうして、考えたり心を動かしたりすること。
それは、こんなに素敵で奇跡的で、幸せなことじゃないか。

 


敬浩さんの道の駅の話に戻るけど、
私たちは、そういう「会うわけではない」「直接的に関わるわけではない」なのに、確かに自身の人生の1ページに存在するという不思議な関係の中にいるんだな、と思う。


身近なわけではないけれど、笑っててほしい、泣かないでほしい、幸せでいて欲しいと祈りあってるんだな
それから、毎日の生活や思考の中で、彼らの影響を受けたりしながら過ごしてる。
なんだか、それは、とても面白くて幸せなことなような気がする。