えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ノッキン オブ ヘブンズ ドア

探偵社で巻き起こる、事件にまつわるお話。
出てくる人たちは物語のキャラクターらしく風変わりだけど、その根っこにあるのは身近な優しさで、誰も彼もが何気ない存在だった。

 


あらすじ(corichより)


天国探偵社は、他の探偵事務所で依頼を断られた人たちが最後に訪れる『駆け込み寺』のような探偵事務所。
そのため、舞い込んでくる依頼は少し不思議なものばかり。
今日も依頼人達がちょっと不思議な依頼を抱えて探偵社のドアをノックしてやってくる…。

 


たぶん、どこが刺さるかは人それぞれなんだけど
国生とその義理の姉、親友の3人がともかく心にずしっときた。


元々その3人を演じる役者さんが好きだというのも絶対に(やっぱり好きな役者さんは目が勝手に追うので)あるんだけど、
観ながら、むしろ逆にああだからこの人たちのお芝居が好きなんだな、と思っていた。

 


ノッキンオンヘブンズドアは、とても観易くてシンプルで、優しい舞台だった。
笑いどころも明確だし、起承転結や貼られた伏線も丁寧に回収されていくのでストレスなく見ていける。
かつ、エンタメらしい「物語要素」がたくさんある。
聞いていて楽しい台詞回しや、ツッコミどころが(良い意味で)ある小道具たち、くまおくんとか、その最たる存在だろう。
くまおくんとか、絶対みんな好きだもんね。しかも、蜂巣さんのお芝居がまた良いんだ……パワーであれだけ押された後、最後、そっと置かれるように手渡される台詞……いやもう好きでしょ。

 


その上で、国生くんたち3人が心に刺さったのが、もう、何気ない仕草がともかくすごくすごく良いのだ。
わりとこの3人もしっかりトリッキーな台詞も素っ頓狂な台詞もたくさんある中、時折見せる、本当に何気ない表情や仕草が、もう、絶妙でめちゃくちゃ良い。


例えば、最後、二手に分かれ国生くんと礼音さんが向き合って、別れるシーン。
あの一瞬の視線の交錯と合わせた拳が、彼らの親友としての数十年を見せてくれてて、あそこ、もう、本当に大好きで
二度目の共演?!って思うくらい噛み合った、居心地の良いお芝居ににこにこしてしまう。

 


また、礼音さんで行けば、詩ちゃんにありがとう、と言うシーン。


「相手の良いところを見つけるさ、そしたらきっと好きになる。ああもちろん、ここで言う好きっていうのは恋愛感情じゃないよ。そしたら、……そしたら、もう死のうとなんてしない」


うろ覚えのままの台詞なので概略でしかないんたけど、
ここの台詞の空気感と表情が、たまらなく好きだった。
かつ、ふざけることも多い彼が、真摯に頭を下げることにも(まだ始まって間もないのに)その気持ちの深いところが見えるようで、その時点でわりとグッときてしまう。
また、それを受ける詩ちゃんがいいんですよね。あの二人も、きっとそれぞれに大切なんだろうな。
なんだか、そういう、言葉にまではならない……物語の下地を支えるそれぞれの関係性が見えるような表情、仕草が多いところが好きだったな。

 


あと、小玉さん演じる千尋さんも、礼音さんと同じく国生くんや周囲の人を案じる姿がすごく好きで
千尋さんも、基本楽しい人なんですよ。
楽しい人で、面白くて明るくて頼りになるお姉さんなんだけど、
お墓で、妹死んでからダメなの、と話すシーン。
その優しさの意味というか、強さの裏側にある脆いところが、すごく、心に突き刺さってしまって。
なんだろうな、私はああして人に優しくできる人が好きなんだな。そうしていきながら生きていこうとする、後悔を減らそうとするひとが好きだなあ。


かつ、それがくどくないんですよ……。
さり気なくて、当たり前みたいに、ただ生きてる人たちのそれなんだなあ。好きだなあ。


さり気なさでいうと、礼音さんがみのりちゃんがお姉ちゃんに話をするとき、そっと辺りに散らばった手紙を拾い上げるところが大好きで
礼音さんはそうする…!とうるうるきてしまった。
なんだろうなあ、言葉に上手くならないけど、生きてる人がいるから舞台上が好きだなあ。

 


それで、国生くんがね、
愛されるお芝居をする人だ、と丸山さんが以前評されるのを見たことがあるけど、
いや本当に、見るたびに思うな。
舞台の上を、本当にそれこそ生きる人だし、その上で満遍なく……各キャストはもちろん、客席のこちらにまで……愛を届ける人というか、愛してくれる人だなあ、と思うし、その柔らかさは愛されるなあ、としみじみ思った。

 


一番、生きてる、と心が震えたシーンについて書きたい。
「俺も、死のうとしたから」と、作中ずっと、彼から滲んでいた寂しさについて口にするシーン。
(みのりちゃんの身の上話を聞かなくて良かった、と口にするところとかの、静かな表情とか、寂しいし、苦しい。すき)


話し始めると同時に、彼の声が震えた。
それが普段、そのことを奥深くに鎮めて生きてるけど、まだそれが生傷なんだろうな、と思う。
生傷、というか、いや、なんだろう。
結末を思えば、生傷という表現は合わないのかもしれないけど、いつまでだって悲しくて苦しいことには違いないはずなんだ。
そんなことを、横顔を見ながら思った。
そして、それはそれで良いんだ、と思う。良いとか悪いとかいうより、そうなんだから、と素直にすとん、と思って、だから声を震わせて話す国生くんが好きだった。
し、死のうとした彼が見た、千尋さんや礼音さんが泣いてる姿を見た気がしたんですよ、
それを、見る国生くんの表情も含めて。
そんなシーン、ないんだけど。
でも、なんか、それを見たような気持ちになってしまうくらい、彼らはそれまでしっかり生きてて、数十年、生きてる人たちだった。


私は、舞台上でそんな人に会えるとそれだけで堪らないくらい嬉しい気持ちになる。
ものすごい台詞とかアクションとかダンスとかも見れると嬉しいんだけど、それ以上に
そこにいてくれる人という存在に出会える舞台が好きだ。

 


そんなことを考えて、ああなるほど、と思った。


詩ちゃんが、みのりちゃんのそばでただ何をするでもなく音の出るポテチや煎餅を食べてたこと。
あのシーンも大好きだったんだけど、
ああそれだなあ、と思った。
言葉ってよく追いつかなくなることや過剰になることがあってだから、ああそうだな、と愛おしくなりつつ見ていた。
(そう思うと、くまおのもう喋るな、って台詞はいい台詞だな、だし、喋れないくまおならではだな)


ただいてくれる、そんなことに救われたりするんだな。


人は一人でいるとロクなことにならないと
全体を通して伝えてくれたお芝居を、思い出しながら思った。
ああそうだ、ポテチを買いに行こう。