えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

道の駅in徳島

[敬浩さんとの約束通り、セトリは一切あげませんが、MCなどの話はしております。お気をつけください]

 

 


道の駅徳島に行ってきました。
最初で最後の道の駅だったので、とりあえず全部目に焼き付けるぞ!と思って、観れるだけの敬浩さんの円盤見て万全の(消し炭になる)準備をして頭フル回転させて道の駅に臨んだ。

 

 


スポットライトを集めるような人だなあと思った。オープニングが始まると同時に、ああ、この人は「ずっと光を浴びてきたんだな」その中でこんな風に輝いてきたんだな、と思ってしまった。それと同時に、「道の駅」という今回の徳島でいえば1600人の人の前にいる敬浩さんは年相応の……なんなら、少し実年齢より幼い……青年に見えた。

 


気が付けば、石が転がるように敬浩さんのことが気になり出して「あー、、これは好きなんじゃないか」と思ったのがここ数ヶ月のことだった。
(好きでは…?!って自覚し出したブログがこちら)

(うわ、あれ9月とかか…まじか……)

 


やっぱり、道の駅という場所って特別なんだなあと思う。
AOSの敬浩さんを最近ずっと円盤で見ていたので、尚更、EXILE TAKAHIROである彼の姿のきらきらと光を反射する姿に改めてびっくりしたんだけど
同時に、道の駅の敬浩さんって、ただ「EXILEのTAKAHIRO」ではなくEXILEに憧れてマイクを握った青年が、色んなことに迷いながら13年生きてきたんだな、ということをしみじみ考えてしまうくらい等身大の人だった。

 


VBAやBボーイサラリーマンを通してTAKAHIROさんが選ばれた時の話を聞くたびによく出るワードとして「華」という言葉がある。
敬浩さんは、華がある人だと思う。
と、同時にその華というのは酷く概念的で、かつ、本人にとって自覚しにくいものだからこそ、苦しんだ期間もあったんだろうと思う。


この「華」の定義を私はよく考えるんだけど、
ビビリでHIROさんが言っていた、
「応援したいと思えるストーリーを見せる」
つまり、ストーリーを見たいと思わせる力があること、それが敬浩さんの魅力である「華」なんじゃないか。
一夜にして、普通の青年がミリオンアーティストのスタントボーカルになるという奇跡みたいなストーリーになり得る人。
そのストーリーの主人公になれる人。


ツイッターで見かけた、物語は「生きている意味」がいるけど現実はただ生きてるだけでいい、って話を見て、優しい言葉だなと思いながらも私はしっくりこなくて
だって身もふたもないこと言うけど、生きるって生きてるだけでそこそこしんどいじゃないですか。
だというのに「生きてるだけでいい」なんて言われてもいやいやマイナス消化されねえじゃん、なんて思ってしまったのだ。
ただ、そうは言っても「生きている意味」つまりは、生きていく中で果たすべき役割なんてものを背負うのは、あまりにもしんどい、とも思う。

 


スポットライトがあそこまで似合う彼が、
元々似合う人だったのか、それとも似合うまでに足掻いて歩んできたのか。


その答えは、あの道の駅のステージの上に全部があったように思う。

 

 

 


少し前、私は敬浩さんが何を作るのか知りたい、という感情で好きなんだな、と思った。
元々の興味も「キー坊を演じられるこの人は一体どんな人なんだろう」から始まったわけだけど、それはたぶん、根本的に今も変わってないんだと思う。
歌も人柄も、好ましいと思う、尊敬もしてる。だけどそれ以上にこの人がどんな道を歩んで、何を作るのかが気になるというのが一番しっくりくる感覚なんだ、と思った。
ふと、それに途中で気付いて泣き崩れるというよりも笑い出しそうなくらい清々しい気持ちになった。
だって、たぶん、この人はこうしてステージに立ち続ける。し、それをこんなに嬉しそうに楽しそうに笑っててくれるのだ。
それは、何より「安心」というのがしっくりくる感覚だった。

 


敬浩さんはパートが終わるごとにそれはそれは深くお辞儀をしていた。あまりに丁寧すぎてびっくりするくらい。
MC、めちゃくちゃ飛ばすじゃないですか。人いない!とか用事ない!とか、
遠慮ないし、信頼関係がないと成立しない類のジョークだな、と、思ってたんだけど、だから尚更「信頼してるのか」と心にグッときてしまった。信頼してくれてるのか、この人は、私たちファンを。
好きだった歌が怖くなったりしても歌い続けれた理由の一つに、ファンを挙げてくれる、ファンの存在を一筋の光だった、と言ってくれることに、めちゃくちゃ泣きそうになったんだけど(もっとも、その頃私はまだファンじゃなかったので、いつもあれを聞くたびに周りにいるずっと応援してきてくれた人たちにありがとう…って私も手を合わせたくなる)


ジョークを飛ばして、ちょっとロクでもない話をして、そうしてよく笑い、こちらが笑うと嬉しそうにする。


すごく距離感が近くて、そうして誠実な人だと思う。近い距離で笑いながら、同時に受け取った私たちにあんなに深くお辞儀してくれるんですよね……。思い出してめちゃくちゃ泣いてるんですけど……。


EXILEのファンだった一人の青年が、駆け抜けてきた13年間。


その人が、嬉しかったり苦しんだりしてきたことを考える。そして、それが常にファンと一緒だったことを痛いほど感じた道の駅だった。
ソロツアーの前に、道の駅を完走したかった、という敬浩さんの気持ちが分かった気がする。
敬浩さんにとって、ファンがいなければこの13年は成立しなかったと本気で思ってくれているんだろう。
だから、来ている人の顔が見れる距離感で、そして全国を回ってるんだな。
もうそんなん、愛だと思う。愛だし、それを成立させてくれたことに感謝しかない。

 


道の駅が進むにつれ、思う。
最初、ああこの人は本当に音楽に愛されてる人だな、と思った。音楽に愛されて、そして「スター」として人前に立ち続ける人だと。
その印象が、次第に音楽が好きな一人の青年へと姿を変えていく。
あまりに幸せな時間をもらってしまったな。

 


一の積み重ねでしかない私だけど、それでも、手を叩いて受け取った、ということを示したい。
こうして手を振ってペンライトを振った私たちの光景は、敬浩さんにとって優しい光景だったろうか。せめて、もらった分の幸せが、返せてたら良い。伝わってたらいいと思う。
どうぞどうぞ、最後まで幸せな道の駅になりますように!