えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

UNDERDOGに2日行って、愛を知る人について考えた話

愛を知る人は、健やかだ。

SHOKICHIさんのライブに行ってきた。
アンダードッグ、成り上がり、と銘打たれたライブを見た。


SHOKICHIさんは、愛情を受け取るのも注ぐのも全力でかつ幸せそうですごい。そんな姿にめちゃくちゃ励まされるから本当にすごい。

愛情を、もらうんじゃなくてあげる幸せに早く気付けると人生は生きやすくなる、というツイートを、以前見た。もちろん、一概には言えないし、あげることが全部が全部「良いこと」とは言えないと私は思っているのでアレだけど、でも、一般的に愛情が欲しいと思う人が多くて、かつ、もらうよりもあげる方が、能動的にできる分、幸せになりやすいのかもな、と思ったり。
でもこれ文にするとすげえ打算的ですね……?そんな話じゃなかったのかもしれない。

ともかく、愛を注ぐことで幸せだ、と感じる人がいる。

UNDERDOGでは、将吉さんの音楽の幅広さを堪能することができた。これはアルバムでも分かっていたことだけど、視覚化されてパフォーマンス、ステージ演出が加わることでより際立った。
音楽は音を楽しむと書くけど、本当にそれを体現するライブだった。いつだって表情豊かに全身全霊で音に乗っかって奏でていくのだ。

誰かの背中を押したことを、あんなに嬉しそうに話していたこと。
あれ、本当に、すげえ、って思った。
our promiseの将吉さんの項にあったとおり、彼にとっては見つけ出した自分の役割、立ち位置が音楽を作ることだったわけだけど、
したいこと、なんだなあ、と改めて思って、グッときてしまう。したいこと、を彼は役割で、立ち位置と呼んだことに、呼ぶまでの道のりに、ぐるぐるする。
「いつかの悲劇」や、「あ、ここにいるの、自分じゃなくていい」って思いながら、それを「自分」に引き寄せる力について考える。


真っ白なライトが照らす将吉さんは、とてもとても綺麗で、きっと、それが答えなんだろうと思う。

ないものはなくて良いもの、という言葉について考える。
私は、このライブはなくても良いものだったかもしれない、という彼の話を聞きながら「そんなことない」とは言えない。
無くて良いものでは無くなった、必要なものに変えた、と思うから。
そしてそれは、将吉さん自身が手繰り寄せて築き上げた結果、なんだと思う。それが、こんなに美しく、優しい光景なことにいつまでも浸っていた。

SALUくんがリリックで言ったように「去った人」もいくらでもいるのだ。
そしてたぶん、これからも。

だから私は、何度も何度も思った。
無くても良かったものかもしれない、そしてそれをあなたがこんなに素敵なものに変えたんだって。
見せてくれて、ありがとう。

賢い人だと思った、天然ではあるけど物事を真っ直ぐ見据えて、決してブレない人なんだと思う。それこそ、our promiseにあった通り、自分の立ち位置を冷静に捉えて役割をこなす。
そして、どうしようもなく淡々と、しかし熱くその道を進んでいくのだ。
その道が、悲劇だろうが。

賢い、というか聡明だな、と思ったのはファンとのコーナーのやりとりだった。
もちろん独特の言葉選びではあるんだけど、
ファンからの感情を当たり前とせず、でも謙遜しすぎず、きちんと寸分狂いなく、受け取って見せた。かつ、その人が会場の人たちから「祝福されるように」祝う。
いや、これ、ほんと、めちゃくちゃすごいことだと思うんですよね。
そうして、でもしっかり、愛情を受け取ってもらって、そうしてありがとうの言葉とともに返されるファンの人たちを見て、2日ともめちゃくちゃに泣いてしまった。
愛、ってすごい。
それが、受け取られて、渡されることはなんて優しいんだろう。
きっとあそこに座った人たちは何度だって、あの場所からの景色を思い出すんだなあ。そして、その景色を作ったのはみんなだよ、って将吉さんは言うわけで、いや、もう、ねーーーーすごい。

 


愛を知る人は健やかだ。
将吉さんはたぶん、受け取ってもらう嬉しさや幸せを知っているのだと思う。だから、受け取ってくれるんだな、と思う。もちろんこれは卵が先か鶏が先かの話にはなるけど。
そうして、そんな美しく優しい空間は、紛れでもないあなたが作ったものなんだ、とひたすら拍手を、送っていた。送りながら、そんな場所に居合わせることができる幸福について、考えていた。


そして、これからきっと彼が生きていけば生きていくだけ生み出される音楽が、私はとても待ち遠しい。