えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

そんな日はこないのだけど

ばあちゃんが死んだ。一昨年のことである。

確か、死んでしまう一ヶ月半前、年を越せないと思うし時間はもうないから休みの日にでも帰ってきて欲しいとLINEで連絡があった。秋のことだ。

ただ、私はその頃仕事の試験間近で、当然それは親も分かっていたため、姉と弟は急かしつつ、私には、試験が終わってからでいい、と連絡があった。

 

なんの因果か、ばあちゃんがいよいよ危篤になったのは試験前日のことで、結局私には試験が終わるその瞬間まで伏せられていた。

試験が終わり、電源を入れた瞬間に届いたLINEの通知画面を今でも覚えている。

 

それから結局、急いで実家に帰ったが意識があるうちは、会えなかった。朦朧とした意識の中で、一応帰ってきた、ということはわかったようだった。ただ、会話はできない。分かってるよ、というように握る手が震えたからそう思っているだけだ。

結局、私はほとんど喋らずただただ手を握ってすぐそばで眠った。ばあちゃんが死んだのは少し休んでおいで、と伯父夫婦が私たちを昼食に送り出した、ちょうどその時だった。

 

後悔しているのは、葬式の準備中、ばあちゃんの日記を読んでしまったことだ。私は、ばあちゃんの言葉が好きだった。葉書で何度も手紙をやりとりしたし、昔の私の落書きみたいな物語に添えられた言葉を見つけたときは飛び上がるほど喜んだ。

だから、日記だ、と分かっていながら誘惑に勝てず、読んだのだ。後悔している。

それは、震災直後のばあちゃんの誰にも言えない独白だった。

故郷は、熊本地震に遭った。

祖父母の家は全壊、私の実家も半壊だった。避難生活をしばらく送っていた。その間の誰にも言えない苦しい、寂しい、という言葉たち。

そこには、私たち姉弟、東京にいる伯父夫婦に帰ってきて欲しい、会いたい、と書かれていた。

 

当時、私は大阪にいた。ほぼ無職だった。ほぼ、というのはクビになることは決まっていて契約の都合上ただただその最終勤務日までなんとか籍を置いてる状態だったからだ。

その会社に入る前は完全な無職だった。新卒で身体を壊し、フリーターもどきをしながら好きに過ごしていた。

 

両親からは、度々実家に帰ってくるように言われた。今思えば当たり前だ。都会は、家賃だって物だって安くない。

社会に出た途端身体をぶっ壊した娘がひとりそれでも暮らすというのだから止めるだろう。いやむしろ、止めてもらえて、帰って来いと言ってくれる親は随分、優しいと思う。

 

ただ、それでも、私は帰りたくなかった。

大阪にいたかった。

病気の娘として気遣われるのがどうしても嫌だったしそうなると私は一歩も動けなくなる予感がした。

更に正直に言えば、お芝居を東京に観に行きたかった。熊本は遠い。無職の状態で東京熊本間を行き来するのは無理だろう。大阪にいる時、身体の様子を見ながらそれでも単発のアルバイトを入れてたのはすべて、お芝居を観に行くためだった。色んなことに嫌気がさしていた私にとって、お芝居は残り少ない「それでも何だかんだ捨てたもんじゃない」と思えるものだった。

なんて言えば、格好はつくかもしれないが(いやつかないかも、つかないか)要は、自由に過ごせる環境からも、好きなものからも離されたくなかったのだ。

 

もし、あの時帰っていたら。

この日記に書かれる言葉は減っただろうか。明るい話題に変わっただろうか。一緒だったろうか。

 

 

その後、大阪で仕事を見つけた。ゆっくり探そうと思っていたのを止めて、できたらいざという時、私に任せて休め、と実家の両親や祖父に言える仕事。ちゃんと、身につく仕事。そんな仕事をしようと決めた。そう思って仕事を探した。ほとんど勢いと直感で会社を決めた。それが、今の会社だ。

百点満点ではないけど、あれからずっと、働けてはいる。文句を言うことも弱音を吐くことも多いけど、それでもどうにかこうにか、前を向いてまあ順調ですよ、なんて両親や祖父に伝えてる。楽しく仕事をしてますよ、身体を壊すこともなく、だから、なんかあったら頼ってよ。

 

今でも、あの時の決意が正しかったのか、迷うことがある。なんならここで言うあの時、が両親や祖父の為に、と決めたことなのか、大阪に留まると決めたことなのか、それすら、迷っている。

たぶん、どれもだ。全部。迷ってる。

 

あの日記が、私の決意が違っていたなら内容が変わるのかを確認する術は私にはない。誰にもない。

たぶん、私はばあちゃんに、いつか私の書いた物語に添えた一言を、また言って欲しいのだと思う。あの綺麗な字で、良いお話だったね、と。

全く、身勝手で嫌な孫だと私も思う。

だけど、そう言って欲しい。ばあちゃんが、手を叩いて私の書いた話を読んでくれるのが、私が話す話を聞いてくれるのがそれでも大好きだったので。

 

もっとも、そんな日はこないのだけど。

だからせめて、自分でまあ良かったと思うよ、と言える日だけでも迎えたいと思う。

それくらいは、自分で決めて、実現できると思うので。