えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

殿はいつも殿


小岩崎さんが言った、「この場にいる全員のこれからの幸せを確約します!」という言葉を繰り返し思い出してる。
それは、本当のことだと思う。
殿(との)がいつも殿(しんがり)を守ってくれるように、たしかにこのお芝居はすぐ後ろで守ってくれるに違いないのだ。

 

あらすじ(公式サイトより)
一人の偏屈な作家が死んだ。この物語は、彼が最後に遺した小説を元に描くものである。
彼は言った。「この小説は真実の物語なのだ。そして主人公の男は、ずっと貴方のそばにいたのだ……」
今から400年以上前。徳川幕府、黎明期。弱小藩主である塩麹宗肉は、大将軍・徳川家康を相手にありえない狼藉を働き、即刻切腹を申し付けられてしまった。
後継者も決めた。辞世の句も書いた。「いざ、切腹!」と相成ったのだが、彼にはとんでもない秘密が隠されていた。それは肉体が傷ついてもすぐに回復する特異体質……すなわち不死身の肉体の持ち主であったこと。
腹を切らねば藩が終わる。しかし切れども切れども、その腹は治るばかり……。
はたして宗肉は切腹を成功させ、愛する家族を、そして民たちを守ることが出来るのか。
偏屈作家の奇妙な遺作が教えてくれた、まだ誰も見た事の無い男のケジメ。


ある一人の小説家が遺した物語と、遺された家族の物語が並行して展開していく。
死んでしまった男と、死ねない男の物語である。


死ねない男、は度々PMC野郎さんの舞台に現れる。
棺桶で二度寝したり、ロボットだったり。
何らかの理由でひとりきりになってしまう、生き続けてしまう彼らの苦悩は常に、印象的に語りかけてくる。
とんでもないコメディ調に死ねないことが描かれることもあれば(あの家康との対決ってば!大好き!!)(頑張ってー!って応援できるの、生だからこそだし、やっぱり気持ち良いんだよね)
どうしようもない遣る瀬無さと恐怖とともに、語られることがある。
野口さん演じるおじさんの「死ねないことへの恐怖」を語るシーンがとても印象に残っている。
どれだけあっても、死ねない。死ぬこともできず、それは徐々にどうしようもなく逃れられない恐怖に変わる。
こんな怖いことがあるだろうか。
終わることを、怖がりがちだけど、私には終わらないことの方がとんでもない恐怖に思える。
終わらない、ということは一生幸せにならないことと同義だと思う。この瞬間の幸せをどうあっても、信じられないと思う。
私は、もちろん、生きていることを出来れば肯定的に捉えたいと思っているけど、でもやっぱりどうしたって「いやいや」と思うことが多いので、なんとなく、ホッとする。吹原さんの、世界で描かれる「生きていくことが単純な幸福ではない」、生きていくことが必ずしも、希望ではない世界に、どこか救われたような気持ちになる。


その方が、そこにある幸せがとんでもない特別に思えてくるのだ。

 

冒頭、このお芝居では残酷な殺戮が描かれる。
村人の皆殺し。俺は異常だ、と語る殺人鬼。
たまたま、最近そういう事件のルポを読んでいたのもあって、妙な寒気と共に、あのシーンを観ていた。


「坊には、親切にされたから、見逃してやる」
(台本が手元にないまま感想を書いているのでニュアンスしか合ってないかと思います)


たまらなく、怖かった。
目の前で、たくさん人が死んでいく中、ああして助かった彼のことを誰とは分からないままぐるぐると後味悪く、思った。
死にたくない、と願ってそれが果たされたとして、あのシーンの誰が、幸せだって思うだろう。
そして、甥と殺人犯を同じ教光さんがやることの意味を考える。

 


HARAKIRI編とOINOCHI編で描かれるのは、突拍子もなくて勢いと謎の熱量のある物語だ。
思い切り、私たちは劇場で笑う。
出てくる人たちはどこか変わってて、ぶっ飛んでて元気で勢いがある。憎めない、ポップンマッシュルーム野郎節とも言えるような彼ら。
たくさん笑って、笑いながらあれ、今何観てるんだ?と思いながら、だけど、笑って楽しくて気にならなかった。


それが、あんなに優しい物語だと気付いた瞬間、心にじんわりと沁みた。

 


このお芝居を好きだ、と最初に思ったのは、冒頭の小岩崎さんと横尾さんのシーンである。
君に呼んでもらえるのが嬉しくて、最後の1ページをいれ損ねてしまった。
あの、愛おしいシーン。
小岩崎さんが楽しそうに本の感想を言うのも、それを本当に嬉しそうに横尾さんが聞くのもたまらなく、愛おしかった。
誰かに、自分の作った世界や文をいいね、って言ってもらえる嬉しさとか奇跡みたいなのは、私も少しだけ知っている気がして、だから、尚更。あそこで、雅彦さんが感じた気持ちが分かるような気がした。


そこから、息子によって見つけられていく、雅彦さんのこれまで。

 


重たく重たく、深く沈められていたその時間を思って、ふとあの喫茶店のシーンを思い出した。
賞を獲ったのは、彼自身の経験に基づく、苦しくて暗い文学小説だという。
赤ん坊と、ふたり、と春子さんが言ってた言葉を思い出す。その登場人物たちに向けられた春子さんの言葉を思い出す。
雅彦さんは、どんな気持ちでその小説を書いたんだろう。どんな気持ちで、青年と赤ん坊が生きていく様を物語に起こして、それはどんな終わりを迎えたんだろう。
分からないけど、春子さんのあの優しい感想が、たまらなく嬉しくて泣きたくなる。雅彦さんの気持ちを想像して、喉が詰まるみたいな気持ちになる。
唯一無二の夫婦、とは、まさに、そうなんだろうな。

 


あの上演時間をかけて紡がれたのは、一人のために紡がれた物語だった。
何も考えず笑えるようなシーンたちは、春子さんへの願いだった。
それは、全編をかけて春子さんに伝えられるありがとうの形だったんだと思う。


その小説が出来上がる過程をみた亮介さんのことを思う。そして、再会するまでの時間を思う。


「大変でしたね、長く、生きてきて」
「ええ」
あの、短い吉田さんと教光さんの会話が震えるほど美しかった。言葉なんて無用なくらい。
だから尚更、そうして生まれた物語が優しく笑える形だったことがたまらなく愛おしい。


生き続ける苦しさを、物語の中で描いたけど
だけど一緒にいるふたり、生き残ってしまったふたりが、色んな人たちとたくさん笑う、あの物語の亮介さんから見た景色をふと想像する。


一人のために紡がれた物語は、亮介さんや息子たちにも届いてて、それはそれぞれの形になって残る。一緒に過ごした時間は、何があっても消えない。それは何も、苦しい時間のことだけではないのだ。

 


そして残った宇宙を共にした仲間たちを思い出して、笑ってしまう。きっと、春子さんは動きはしないけど、まだ生きてる彼らと新しく冒険を続けるのだ。その姿を、きっと、雅彦さんは見てる。
そんなことを想像して、何より、私はたまらなく嬉しくなるのだ。