えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

未来切符


切符を手渡され、また次の誰かに手渡していく。
その物語がとてもとても、美しかった。


劇団6番シードさん、47都道府県を旅していく企画第1弾である滋賀公演、未来切符を観に行った。
ミライ編とカコ編に分かれ、更に3話の物語に分かれる。濃密な物語に共通するなら未来駅行きの切符というただひとつだけ。


ミライ編→カコ編
立ち向かう話と逃げる(逃げても良いから生きろという、生きるために逃げろ、という)話
私には、それぞれ、ミライ編とカコ編がそんな風に思えた。
思ったのは、カコ編のジュリアナ犬を観た時だった。
設定もコメディだけど、会話のテンポもバブル!なぶっ飛んだ台詞も、コメディなんだけど、私は途中、ちょっと、おあ…と考え込んだ。
ジャンプしたらいいのよ、バブルは終わらないのよ。
そう、言うけれど。
バブルは終わるし、ジャンプには限界がある。

ミライ編は、1話終わる毎に未来へと進む。
カコ編は、1話終わる毎に過去へと進む。

だから、カコ編はどれだけ時間を進めても過去になるだけだ。そして、そこで描かれるのは、それからどうなるか知ってる時代の物語だ。
パチンとバブルがはじけて色んな人が途方に暮れたことを知ってる私には無邪気に産んじゃえ産んじゃえ!逃げちゃえ!とは思えなくて、でも逃げてもほしくて、ぐるぐるした思いのまま、お立ち台で踊る3人(2人と1匹)を観ていた。

どうやら、ミライ編とカコ編はずいぶん様子が違うぞ、とこの時思った。

でも2話、3話と進むうちに、そのどちらのラストシーンも、あまりに晴れやかで驚いた。(そしてよくよく考えれば、1話だって晴れやかだったのだ、たぶん)


ところで、それについて書く前にカコ編が演出がめちゃくちゃ楽しかった話が書きたい。
短い時間内に舞台セットがコロコロ変わり、段差も使って視界がずっと楽しい1話
題材のうまみが全力で生きる、落語を舞台にのっける面白さが光る2話
時間の経過が照明で浮かび上がる3話
2話!そう2話の落語の演出……特に私、これが嬉しかったんですよ…!!
落語自体、たまに聞いてはニヤニヤしてるしお芝居と落語に通じるものがあるなあ、と思いつつ
それが単純にどちらに飲み込まれてしまうと、おや……?ってなるんですよ。
時々、落語を舞台や映像に、ってのがあるんだけど、もちろんそれ自体はすごいことだと思うし、これは完全に好みなんだけど、落語をそのまま舞台で演じるのは…なんか……なんか……違和感なんですよ……。
そういう意味で、この枕の意味、はどんな風に映るかな、とわくわくしてたんだけど
めっちゃくちゃ面白かった!
し、なんだろう、落語を聴く時の次々に場面や人が変わることの面白さをあんな舞台ならではの視覚化ってもうー!!!!もうー!!!!
漫才コンビ漫談家も、落語家の師匠も「い、いるー!こんな人いるー!!」って叫びたくなるのもめちゃくちゃ好き。
そうして、土屋さん演じる彼の落語が佳境に差し掛かる、そこからの「夫婦」に届けられる落語が大好きだ。ストレートで、シンプルで笑っちゃうような単純さで、言ってくれる。
もう、言ってくれる、なんですよ。そんな簡単に言ってくれちゃってまあって苦笑いしたくなるくらい晴れやかな顔してね、言うんですよ、土屋さんが。
未来は変わったんだ〜!
これ聴いて、あー!あーー!!って叫びそうになった。
カコ編で過去にどんどん話が進んでいくのが面白くてだけど、たしかに彼らの未来は変わっていくんだなあって思ったし、それがミライ編にも繋がるのすごく見事だなあ、好きだなあとしみじみ思った。

 

物語を味わうミライ編と、演出を味わうカコ編と。
驚くほど、そこで魅せられるものは違う。何なら同じミライ編・カコ編であっても全く違う。一つ一つが濃厚で、それだけで2時間のお話が見たいと思うほど力強い。

そう思うと、ミライ編最初の35メートル地点の奇跡、の本を読むような美しさは、このお芝居の企画全体で一貫してあったように思う。
あの切符をあてて、本を読み上げるところ。
あれ、本当に、美しくて大好きだったし、目の前にいくつもいくつもお母さんの言葉が降ってきた。綺麗だったなあ。
6Cさんのお芝居って時々、目の前で異次元に飛ぶ。繰り広げられるお芝居がぐんと広がって色や光を変えて違うところに連れて行ってくれるような錯覚を見ることがある。

そして、バトンを受け渡された2話、絶滅した男。
きっとこれはどちらかといえばコメディの立ち位置のお芝居だろう。
たぶんそうだ。だけど、私はこの話の中盤から泣きっぱなしだった。全オタクに観て欲しすぎた。

だってこんな残酷で苦しい話あります…?

私は、神楽坂さんの2億貢ぐほど、全部人生投げ出しちゃうほどのミライちゃんへの愛が苦しくて苦しくて仕方なかった。それでも名前を覚えてもらっていないことが、本当に辛かった。笑えなかった。
だけど、その表現が好きだった。
観れてないけど、ガチ恋沼のお芝居に抱いた感情と似てるというか。
苦しいよーーーー分かるよーーーだけどさあ、だけどさあ、うわあんって泣きたくなるような。

ファンとアーティスト(広くアイドル、役者、その他の表現者の総称として)の関係って複雑で面倒で、愛おしいと思う。
良いファン、なんて話がどんな界隈でも定期的に湧く。湧いて、揉めたり傷付いたりきな臭くなったりする。たぶん、それくらい身近で切実で、言葉にならない感情なんだと思う。
それで、まあ、こうしてブログとか書いてる人間からすると、尚更。個人的には良い、なんて定義が野暮で無茶だし各々、人を傷付けたりしない限り、好きなように好きなものを好きでいたら、と思ってるけど。
でもやっぱり、神楽坂さんが、サイリウム投げたのは「分かって」しまうんだ。
我儘で、間違ってて独り善がりで勘違いだと知ってる。知ってるけど、なんで、どうして、ってぶつけたくなってしまうことは、理解してしまう。それは、正しくは、ないけど。
僕が、やりました!からもう本当に耐えられなかった。
色んな感情が渦巻いてぼろぼろ泣いていた。
だから、あそこで、ミライちゃんの歌とコールにどこか救われるような気持ちだった。気付いてくれた、きっと、そう思ってる。長い時を経て、昔話として話せるようになった、そんな優しい話だと、信じてる。

ミライ編はたぶん感情の中心に感情移入した結果、立ってしまう話が多くてカコ編はそういう意味では(かついい意味で)客観的に観客でいれる話が多かったのかもしれない。個人的に。

ミライ編3話、エッフェル塔は燃えているか。
オートゥの物語なんだけど、ある意味で1番感情豊かだったこの作品。
空気と色と音と全部で感情(情感)を楽しんだ。オートゥだからこそ、人間臭かった。
触れて変化して、感情的になって。あと、台詞ひとつひとつが綺麗。
生で触れたからこその感覚がたくさんあって大好きだった。ストーリーも、SF要素とあったかさの同居が心地いい。

空気で楽しむという意味では、カコ編3話のポンコツ玉砕隊もそうだ。あの話も明確な台詞で描かれるシーンの方が少ない。
演出としての面白さは先述の通りだけど、
中でも私が好きだったのはティモと出逢うまえ、ひとり自害しようとする瞬間だ。しようとして、できず、生きることにする。
樋口さんの中には物語が詰まってる、とよく思う。しかもその物語は大きな声で吹聴されたりは絶対しない。ただそこにあって、じんわりと染み出してくる。ポンコツ玉砕隊は特にそんなことを楽しむお芝居だった。
ティモと二人、ほとんど意味の通じ合う言葉は交わさない。ただ、思い思いに話す。だけど、あの光景の優しさは、ふと、このお芝居そのものについて考えさせる。カコ編、の意味を考える。
逃げてもいい、と言ったこと。
それが、あの二人が大きく手を振ったあの場所に通じるんだろう。
あのひとりずつ死んでしまう演出はすごく悲しかったんだけど、だから尚更、あそこに行き着いたふたりが大きく手を振る姿が、本当に優しくて、大好きだった。生きてるからあそこに行き着くんだよな。


良き友と、良き旅を。劇団6番シードさんはこれから日本中で何かをするという。漠然と、だけど確実にわくわくするその企画が、私は楽しみでならない。きっと、それは「良き旅」になる。
願わくば、私もその旅を目撃できる「良き友」になれたらいいなあ。そんなことを、美味しかったご飯やビールを反芻しながら思った。