えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

僕に、会いたかった

忘却は罪ではないよ、という話に思えた。


あらすじ(公式サイトより)
池田徹(TAKAHIRO)は、島で一二を争う凄腕の漁師だったが、12年前に漁をしている最中に嵐と遭遇して、目覚めた時には全ての記憶を失っていた。
事故後、徹は一切漁に出ることなく、失った記憶に怯えながら日々を生きていた。過去を振り返ることも、未来へ動き出すこともできないまま葛藤していたのだ。そんな息子の姿を見て、母親の信子(松坂慶子)も苦しい思いを抱えている。

一方、島のフェリー乗り場には木村めぐみ(山口まゆ)、福間雄一(板垣瑞生)、横山愛美(柴田杏花)、の高1の留学生が到着する。県立隠岐島前(どうぜん)高校では「島留学」と称し、都会から越境入学で生徒を受け入れているのだ。
「島留学」では、単身やってくる生徒に島で親代わりになってくれる世話役を島内から募集して、生徒ごとに「島親」としてあてがい、島で生徒たちが快活に生活できるようサポートしている。 池田家もこの取り組みに賛同し、雄一の「島親」になった。徹は漁協の休みに釣りに出かけ、距離を縮めていく。高校では生粋の島生まれの生徒と島留学できた都会育ちの生徒が悩みや葛藤をもちながらも、それぞれ将来への夢や希望に向かい、絆を深めていく。

そんな高校生たちとは対照的に、徹は依然、未来への一歩を踏み出せずにいた。船着き場に佇む徹を見つけた信子は心配そうに声をかけるが、徹は「大事なことを忘れてしまっている。いや、その大事なことすら何か分からない……」と苦しい胸の内を吐き出す。
ある日、信子は徹の記憶を取り戻そうと、ある計画を実行する。果たして徹の失った時間は蘇るのか、また、止まった時間は再び動き出していくのか?

 

終始、静かな映画である。
静かに島の生活を写す。
TAKAHIROさんの雑誌インタビューでも度々言われていた通り、徹は動かない静の芝居で進みその胸中は語られない。ただ揺れる目線に彼の感情が僅かに滲むだけだ。
そして、それはほかの人物たちにも同様のことが言える。
島留学の学生たちも島の子も、徹の周囲の人々、お母さんも、何も言わない。
時々、断片的にその心情をうかがわせる言葉や表情を見せるだけだ。


ただ、その心情の発露が少ないのとは対照的に生活描写についてはわりと丁寧に描かれる。
食べられる食事、仕事、島のひとたちの掛け合い、店…島の景色。
具体的に誰が何を思い、何をするかは描かれない。
だけど、彼らがどんなところで生きているかはわかる。
そんな、映画だった。


巷で、ホラーに思えるという感想をたくさん読んだ。田舎特有の物語、というツイートもたくさん観て、私は少し覚悟していた。

田舎出身の私にとっては田舎が良いところに描かれ過ぎるのは恐怖だ。
田舎特有のホラーについては実感も含めて、苦手意識がある。
だから私は、もしもそういう話だったならかなり苦手な類だなあと思った。観た作品でコンディションが大きく左右されるので、観に行く日は慎重に決めた。

結果としていうなら、私にとってはホラーではなく、でも、これがとんでもなく怖い話に思える人もいるだろうな、と思った。

巷でホラーと言われる理由は、あの徹のためになされた選択が本当にそれでいいの?と思えてしまうからだと思う。
忘れられた人にとっても、忘れた人にとっても、それでいいのか。そうして十二年間を生きることは身勝手じゃないのか。
それを「優しさ」として描かれる違和感はあるのかもしれない。
島のひとたちの行動……特に、母親の行動にもしかしたら人によっては嫌悪を抱く人もいるかもしれない。嫌悪、と書くと言葉があまりにも強いけど。身勝手だ、と感じる人もいると思う。
解決になってない。
ある意味で、そうかもしれない。

徹は大切なことを忘れている。島のひとたちは、それを見守ってる。特に何を言うでもなく、見守り受け入れ、十二年生きてきた。


島留学の子たちはそれぞれに何か思うところがあって島にくる。それがはっきり解決された、ともされてない、とも描かれていない。
いや、雄一くんはその中だとわりとハッキリと思いを口にして変化が描かれてるんだけど……。

この島は、一人にしてくれないと雄一くんが言ったことを考える。それをただ優しさ、田舎の暖かさ、というのは何となく私もうーん?って迷うところだ。
だけど、人はきっと一人では生きていけないし、生きていけるかもしれないけど、それはわりと虚しいんじゃないかなあとぼんやり、考える。
虚しかったんだろうな。だから、畑を耕して、糸を通して、真鯛を釣るんだなあ。
あのシーンのTAKAHIROさんの台詞や空気感はとても多彩だった。


語らない映画が好きだ。映画というか、作品が好きだ。
言葉にすることも大好きだけど、同じくらい、空気だけそっと触れさせてくれる作品が好きだ。
だって、日常では滅多にはっきりと言葉を交わして感情を交換することはない。そんなドラマみたいなことはなかなか起こらない。
ただ「察してください」の映画ではないと思う。ただただ、そこで生きているひとたちを映した映画だった。生きていくしかないひとたちを、映していた。


特に、ご飯や仕事の描写の時間が多く丁寧で私は大好きだった。生きてる人たちの描写が好きだった。
特別美味しそうに映すんじゃなくて、彼らが食べてるもの、その為にしている生業をただただ描かれる時間は心地良かった。


徹は、大切なことを忘れている。忘れてしまっている。
ただ、忘却は罪ではない、と徹とお母さんが過ごした十二年間について考えながら思う。
生きていくしかない。
もしもその為に、忘れてしまったならそれは罪ではない。忘却は罪なんかじゃない。

生きていくことは別に派手な何かがあるわけでもなく、起きてご飯を食べて働き、誰かと話してまた眠って次の日を待つ。

僕に、会いたかったはそんなシンプルな映画だった。私にとっては。
大きく悲しむこともできず、滲むような寂しさと優しさの中で生きて生きて、生きていたら、誰かに会えたりする。
それは忘れてしまっても、なくなるわけじゃない。


ホラー、ということについて、観た直後いろんな人の感想を読んで考えた。ホラー。
何より、エゴ、という言葉が合うのだと私は思った。
エゴではある。めちゃくちゃエゴだ。
お母さんをはじめとする島の人たちはただただ、徹の幸せを願っていたんだと思う。他の何でもなく。徹が苦しまずに生きていって欲しかった、幸せになって欲しかった。
それを、悲劇的に描くでもなくただ生活の描写の中に織り交ぜたのはすごく好きだった。
それがもしかしたら徹には苦しかったかもしれない、と思う。もしかしたら、じゃないな。確実に。燃やされた文集について考えながらそう思う。嫌だったろうな。もしも、本当に忘却を許して彼の幸せを願うなら、いっそ島の外で生きる選択をあげても良かったんじゃね?とも、思うし。極端な話。
まあでも当然、それじゃダメなのだ。

徹にも、お母さんにも、島の人にも、私はああ生きてるなあ、人だなあ、と思う。
私はそれが好きだと思う。生きてる人のズルさとしてそういうのがあるだろうと思う。
めぐみちゃんのことを思うと酷いな、と思うけど。
でも、それを本当に酷いとするかは彼女が決めればいいことで、かつ、それは過去のめぐみちゃんではなく今のめぐみちゃんが判断することだ。そういう意味であの釣りのシーンが彼女の答えだろう。

松坂慶子さん演じるお母さんの台詞を、噛み締めてる。
ご飯を食べて笑って泣いて、そうして生きていく。
その中で、忘れてしまうこともあるのかもしれない。
だけど、消えるわけではない。消えたりはしない。そうして生きていく中で時折、目の前に現れてくれたりする、一歩近くに来てくれたりする。
そんな感覚に、生かされてる。

そんなことを、エンディングを聴きながら考えていた(あの曲めちゃくちゃ良いですね)