えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

UNFADEDで色褪せようもないことに直面した

12月30日にライブにいって、三重のファイナルがまだある!!!!って姉とふたり、震えながらチケットを取った。

UNFADEDの話だ。


※一部演奏した曲の話をしています。
ネタバレ注意お願いします。

 

今回のライブのコンセプトにだいぶやられた。
色褪せない、という意味のツアータイトルを何回も噛み締めた。
しかも、色褪せんじゃろ!という提示ではなくて、どうかな?色褪せないと思うんだけど、っていう、その柔らかな共有が。

そうして、流れていく音楽のあちこちに自分のこれまでの時間とかぶるものがあって、それはとどのつまり、彼らの音楽が一緒にいてくれた時間とイコールだった。

ポルノグラフィティの曲の歌詞について、ふとした瞬間によく考える。
最初からハッピーエンドのラブストーリーや、運命の人だ、と宣言した瞬間別の誰かを好きになることとか。
抜き出すと恋愛のことが多いな。
でも、なんか、色々。
それで、今回のライブは不意打ちで耳に飛び込んだフレーズにただひたすら、ああ、そっかあ、とぼんやり、呟き続けていた。そっかあ、そっかあ。
それは、いつか聴いた曲のひと部分で、忙しい日常の中で落としてきたいろんなものだった。


ポルノグラフィティと出会ったのは姉との相部屋で過ごした数年間の中でだ。それは熱心に聴き込むのとは程遠い、むしろ、日常のBGMからのストーリーだった。
だけど、カラオケという選択肢を遊びの中で得た時、真っ先に覚えたいと思ったのも、彼らの曲だった。言葉を覚える時に、親の言葉を真似るところから始めるみたいだ。


そんで、そんでですよ。
ライブのたび、そうやって彼らが当たり前としていてくれた時間を考えていたんだけど、去年。
因島のライブ、直前にシャトルバスに乗るその瞬間に、中止の知らせを受けた。
残念ながら、私は度々、何かしら大きな楽しみが直前になくなるということに関して妙な縁があって、ちょっとだけ慣れ始めてもいるんだけど、それでも、やっぱりショックが大きくて、っていうかそんなもん慣れてたまるかだな?!いや慣れてないです嫌ですアレのたんびに気持ちがぼろぼろ落っこちるから!嫌!

ちゃうねや、そんなん、ええんや。


そんで、12月末、行って、あーーー、ってなったのです。
彼らの音楽が聴ける特別と歌い続けてくれることについて、ひたすら考えてたんですけど。
それで、こうして、ブログを書いている理由なのですが

ライラが、さあ。
やばい曲なんだろうな、とは悟っていた。友人の言葉に、あーそれはなんというか、と思って実は何ならちょっと聴くのも歌詞検索も避けてた。
んだけど、もう、真っ向からライブではノックアウトされるわけですよ。

歩き疲れたら、ってさあ。
歩き疲れたらって歌詞、ずるくないですか。

歩き疲れたら帰っておいで 懐かしい唄など歌いましょう。
が、まさしく突き刺さりすぎてビックリした。

疲れたよ、歩いて歩いて歩いて、だから、疲れたよって、呆然としてしまったし
そこで昭仁さんがあんなに優しく力強く、歌いましょう、って歌ってくれるの、さあ。
まるで、ファンタジーの歌ってMPとか回復してくれる魔法じゃん、と立ち尽くしていた。
そんでもって、なんてこった、と思った。

歩き疲れたら、と
人生なんて途方も無い暇つぶし、だと言いながら
唄ってくれる彼らはそれでも、立ち止まっていいとは言わない。
華々しく死ぬことを夢と言いながら、唄ってくれるのだ。
唄ってくれてしまうのだ。歩き疲れただろうと労いながら、それでも、また歩く力をくれるだけなのだ。


常々、私は音楽をはじめとするエンタメに生かされてると口にしているけど、
なんか、ここで、ああ、生きなきゃじゃんか、と途方に暮れた。
それは、なんか、どうしようもなさとどうしようもないことを知る人のとてつもなく残酷な優しさだと思った。
そう思うと、果たして、そうして生かされることは幸せなのか。と、なんだか思ってしまう。
だってそうだよ、歌詞の中で歌われるとおり、明日があるからと慰められても土台しょうもない今日の続きなわけで。


そんなん、どうなんだろ、とやさぐれたくもなるのだけど。


そこんとこがエンタメというのがずるいところなんだけど、どうしようもないと言いながら笑わせられてるんだ、気が付いたら。
ああもう全く、しょうがない。どうやら生きるしかないらしい。
ならせめて、歩き疲れたらここにまた帰ってくるから、その時はどうかまた、優しい唄で迎えてほしいとほんの少し、ベソをかきつつ、私は思うのだ。