えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

続 八王子ゾンビーズを見て考えたこと

昨日感想書き上げて、それからアイスも食べてうだうだ考えてたんだけど思いが止まらず、書き殴ったので、蛇足的にアップする。忘れないために。

 

 


もういっかい、自分にとっての12年がなんだったのか見つめ直す時間だったんだな。

例えば、羽吹くんをこいつを助けたいって思うんです!って叫んだ下田さんのシーンが好きだ。羽吹くんが今まで踊ってきた自分の身体の動き能力と、動体視力を信じて刀を避けるっていうところが好きだ。
それに、あんなん見たら希望を斬る快感、とかどうでも良くなるというか、ああもうじゃあいいよ、になるよね。

平気じゃないだろっていう羽吹くんの台詞は肉体的痛みもだけど「悪いことをしたから何を言われてもいい」なんてことないのだ、というみたいだった。

かえでくんが、最期死ぬ場所を彼らの家にしたこと。あの笑顔で死んでいってしまう姿が焼き付いてて、薬やったんじゃねえだろうな?!って言われる瞬間怯えたように背けた目が切なくて、でも、仁くんたちだけが、俺を殴ってくれたんです、って笑う姿が切なかった。あそこに集まった彼らはみんなそういう人たちで、互いが互いだけを怒って真剣に見てきたんだろうなあ。
アンナチュラルで、犯罪者がどんな人間でどんな生い立ちかなんてどうでもいいって台詞があって、ほんとその通りで。どんな事情があろうが、その罪は許されない。どれだけ後悔しようが、償おうとしようが。だけど、人生は続いていってしまう。
そういうことを思うと、母さん、産んでくれたのにごめんなさいってかえでくんが言ったことが苦しかった。
せっかく産んでくれたのに、って。
道を間違えたくて間違えたわけじゃないし、彼がモデルという世界を受け入れたのもお母さんやゾンビーズたちにいいじゃんって言われたかったからだろうし。だけど、良く生きられなくて、ごめんなさいというのは、きっと、彼の本心だったんだろうな、というか。若くして死んでしまったことも、それまでの色んなことも、どれも嘘偽りないことでそんなことないよ、とは庇えなくて、でも、だけど、最後にありがとうって言ってくれて嬉しかった。
好きな人が100%良い人だってわけがないじゃないですか。そんなん、信じるにはちょっと危ういとだって思うよ。だけど、それ引っくるめて(それは無条件に肯定するということじゃなくて)その人を好きでいたい。
仁さんは決して生きることが良いことだとは言い切らなかったこと、でも、楽しまないとたしかに人生は勿体ないこと。
ゾンビーズ、と、死ぬ前から彼らは名付けていた。自分たちに。
あれは、死んだつもりで生き直そうとしていたのか。死んでしまった方がいいかもしれない自分たちだけど、生きようとしてたというか、生きることに縋り付いて、縋り付くだけの理由を探してたんじゃないか。そう思うのは、感傷的過ぎるだろうか。
生きることは良いことじゃなくて投げ出したいこともあって、死んだ方がいいよお前らなんて言われることもあって、だけど、死んでしまうには惜しい瞬間だって、たしかにあるかもしれないじゃないか。仁さんだって、かえでくんを救ったし、きっと、羽吹くんを救ってくれたじゃんか。
なんか、そういうことなんじゃないの。

そこに至るまでどう生きたかが顕著に問われた舞台だと思った。羽吹くんを観ながら。
諦めることを知ってる。
誰かと踊ることを知ってる、人によって踊りやすい踊りにくいがあること、一番合う振りがその人を輝かせること。
自分が散々苦しんできたことで、誰かを救えるというのは、なんて優しい物語だろう。

ゾンビーズが成仏できるかは、羽吹くんにとっても希望だったし、あのホームレスのおじちゃんにとっても希望だった。だって、彼らの死はあの市長の悪い部分でもあったわけだから。

良いとこもあれば、悪いとこもある。

希望を叩き斬りたい悪だから苦しんでおけって言う彼らこそ残忍に見えたけど、きっとたぶんそういうことでどちらにもそういう節はあって、悪いことは償ったから許される、ということもなくて。
行きすぎちゃダメなんだよな。
ホームレスが、羽吹くんにちゃんと自分の目でみろって冒頭言うけど、ほんと、何事もそうなのかもしれない。自分で見て、決めろ。ちゃんと見届けること。

ゾンビたちが痛みを避けないことにしたこと。
痛い、それが平気なわけじゃない、だけど、避けずに向き合えば道は拓けるかもしれない。
人生は死にたくなるくらいしんどいこともあるけど、生きてるだけでラッキー。
ゾンビーズたちのあの時間は、言わば、ラッキータイムじゃないですか。本来だったらあり得る訳がなかった時間。かえでくんとか特に。
そうして過ごす、物語だから成立する幸福な時間に彼らが何をするのか。

 

生きてるから、舞台が観れるんだな。そしたら、たしかに、生きてるだけでラッキー。

 

間違えても生きろ、とは優しくないメッセージだけど、でも、失ってしまった人々と含めて、手を伸ばし続ける格好良さも含めて、生きろって熱量のある舞台だった。
なんか、私がダンスってパフォーマンスかっけーって思う理由っていつもそこに行き着くんだけど、言葉じゃ追いつかないような熱量を表現するのがダンスだって、ずっと観てるだけだけど思ってる。体の底から湧き上がるのをめちゃくちゃな熱量に変換して、放出していく。
だから、最後のダンス、嬉しかったな。そんで、前を向き続ける羽吹くんが格好良かったなあ。
驚くほど直球なあの台詞に、出会えて良かった。