えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

八王子ゾンビーズ

信じられるものは、たぶん人生でそう多くはないのだと思う。

八王子ゾンビーズを観てきました。

 


私は元々、たぶん応援上映というものに対して腰が重く(と、最近気付いた)応援上演パートがあります!と聞いた時におお、まじか、とちょっと及び腰になった。
初めてだし好きな人が主演やってるいい機会に見てみるのもいいのではって気持ちといやいやしかしって気持ちがせめぎ合い、ついでに八月の慌ただしさにやられて、ライビュすら、観るかどうか迷っていた。そんな、八王子ゾンビーズを観に行った。


ひとつには、フォロワーさんが初めて観るお芝居でこの舞台を選んで良かった、と言ってたからだ。


お芝居が好きだ。
好きなものはたくさんあるし、人生の全てにおいてお芝居を優先するわけでもないし、お芝居の代わりに他のものをとることもある。
だけど、お芝居が好きだ。
お芝居が好きなところが、自分の一等好きな部分だ。
だから、自分が観た観ていないに関わらず、なんなら、好き嫌いに関わらず、お芝居が愛されているのが嬉しい。
そして、フォロワーさんが楽しそうにしているのを見るのが好きだ(まあだからフォローしてるわけですし)
そんなふくふくのツイートを見て、なら、と迷いに迷い、一度は近所の映画館はチケット全て完売という事態に見舞われながらも、当日起きて諦められず、ギリギリ行ける距離の映画館で残席わずか、の表示を見た瞬間にチケットを取っていた。


見終わって思う。観れて良かった。


ダンスの夢を諦めた羽吹は自己啓発のつもりで新しい自分に出逢おうとダンスを捨て、寺に1ヶ月の体験修行に出る。そこで、ゾンビたちが痛めつけられるところ、そのゾンビたちが成仏したいということ、その為には満月の夜にダンスを月に捧げる必要があるということを知る。


で、羽吹くんがダンスをゾンビに教え始めるわけですよ、悪ふざけするゾンビにちゃんとやれよ!って怒りつつ。夜毎、ちょっとゾンビのことを好きになりつつ。
すげー、それが、楽しそうなの。
わちゃわちゃってしまくって台詞拾いにくかったり(アドリブだから、で役者間で止まっちゃってたのかも)うお、そのネタはネタとしてやるにはどうすっかね、ってのがあったり。全くもやっとしなかったか、と聞かれると、難しい。
のだけど、ゾンビーズが互いに楽しそうに笑うのを見るのは、そしてそうして一度は捨てたダンスを楽しそうに振り付け考えながらやる羽吹くんを見るのは、最高だった。


八王子ゾンビーズ、は彼らの生前のチームの名前だ。どうしようもないロクデナシで、人を傷付け、事故とはいえ、人の死に関わった彼らが、もう一度、誰かを笑顔にしたい真っ当に生きようと集まったチームの。
彼らはたぶん互いに互いを引っ張りながら、悪いことすんなよって見張りあいながら、ふらつきそうになる度、支え合いながら、生きてきたんだろうな、そんなことを、ダンスの練習中のシーンで思った。
正しく生きたいのは、一緒にいるその人たちを、不幸にしたくないからで。
だから、ダンスの練習もする。そうして、自分の大切な人たちがもう終わらない苦しみから解放されるなら。そんで、楽しくなっていく。


それを、見ていた羽吹くんの気持ちを考える。


羽吹くんはセンスあるよ、って言われて夢にしがみついて、そうして続けてきたのに続けることが、才能だって言い聞かせてきたのに、生まれ持っての華だからさ、結局なんて言われて、気が付けば人の悪口だけずーっと言うような人になってて。きっと、ダンスなんてこれっぽっちも楽しくなくなって、あの寺にきたんだろうけど。
振りを昼間の雑用中に考える彼は楽しそうで、じゃあそれぞれの身体に合う振りにしよう、っていう姿は格好良くて幸せそうで。
それって、全部、十数年、辞めたら負けだって思ってたからだよなあ。

 


羽吹くんは、ゾンビーズについて知る度、なんでって聞きにいくじゃないですか。それってどういうことなんですかって聞くじゃないですか。
私は、あれ、出来ないなあと思いました。
出来ないし、出来ないくせに、そうしてくれたらいいのにって思った。そうじゃないんだよ、って答えてる仁さんに、これはそうだけどでもその話にはもう少し続きがあってって話すゾンビーズたちに、ああそうなら良かったって思った。
聞いて、話して、それで納得いくときも悪いときも、たぶん、どちらもそれがあるとないとじゃ違うんじゃないかな。


住職の正義も間違いじゃなくて、許せっていうこともある意味で間違いじゃないですか。
考えてたんですよ、許せって言えるかどうか、言われたらどうか。
私も実際、死んじまえって思うし、死んでそれで許されたって思うなよって思うし。ゾンビーズは、ゾンビーズだから、許してやれって思ったわけじゃん。


そんな中で、届けって願うゾンビーズたちのダンスを見ていた。


かえでくんの話も書きたいんだけど、なんか、その許す許さないとか、悪とか悪じゃないとかのことを考えちゃう。
住職が、俺は変わらないし変えないっていう、あれは、一つの答えだったよね。
そして、そういう意味でも、仁さんの最後の羽吹くんへの言葉はまた違った響きになるのかもしれない。
ツイートから、引っ張ってきてしまうけど、


私が舞台が好きなのは、同じ台詞や段取りをなぞっても人が変われば日が変われば全く変わるからで、その舞台はその瞬間その人その場でしかできないからで、そーいう意味で、羽吹くんはじめ、あの八王子ゾンビーズは、あの瞬間にしかなかった。あーーーもう、ほんと、まじでありがとうございました。

 


ってことを、終演後、思って、というか途中からずっと思ってた。ねえそうでしょ、って生きた人間だからでしょって。

分かんない、答えはでない、もしかしたら数日したら変わるかも、変わっていいと思うし。

 


ダンスってそういう意味でなかなかに最強な表現だね、言葉にしない強さってのはもしかしたらあるのかもしれない。言葉にするとすぐ誤解が生まれるし、同じ単語を使っても絶妙なニュアンスがズレたりするし。

もっとも、ダンスだって受取手によるんだろうけど。隣の芝現象なんだろうけど。

 

 

 

そんな、うまくいくかよってこともそこそこ起こるじゃないですか、八王子ゾンビーズ
台本の甘さといって仕舞えばそうなのかもしんないけど、そんなに信じられるものが多くないとも思うので、なんか、そういうことくらい信じたいとおもった。私は、羽吹くんのダンスを信じたい。十数年しがみついたもんが意味がないわけあるかよって言葉を信じたい。
懸命なあの羽吹くんをかっけーって思った自分の気持ちを信じたい。
その瞬間を、生きるしかない舞台は、受け取る方だって、その瞬間しかないのかも。


私は、お芝居の中でなら悲しいことより楽しいことを信じたい。八王子ゾンビーズのあのダンスでそんなことを考えた。

 


ところで、今日はひときわ、お月様が光って見えますよ。