えす、えぬ、てぃ

お芝居の感想など

ニワトリ★スター→三十路女はロマンチックな夢を見るか?

たまには、変則的な感想の書き方を。
こないだツイッターで情熱の賞味期限は短いから、と聞いてたしかに書きたい感想が溜まる一方で、たぶん観た直後ほどの言葉をもって書けないから、とお蔵入りした感想がたくさんあるので、今日は書きやすい書き方で、書きたいように、感想を書く。


人の形を忘れがちなので、劇場や映画館に足を運ぶのだと思う。
ニワトリ★スター→三十路女はロマンチックな夢を見るか?をハシゴしたのでした。

どちらも、なんだか少しファンタジーでザラザラしててでもどこかボヤけてて痛くて、愛おしくて、心当たりがあって。たまたまなんだけど、このタイミングでこの組み合わせ順番で観たのあまりに出来すぎてんじゃねーのって笑ってしまう。

ニワトリ★スターの草太は幸せな子どもでだからわざと不幸になりたがるようなところがある、なんて思う。30半ばで半端なヤクの売人をしながらぶっ飛んだ楽人と二人暮らし。
途中、というか、オープニングからわりと痛い描写とか可哀想な描写が多くて、エログロというかエググロな連続で、あまりそういう描写が得意ではない私はウェエエってなりながら見ていた。ああこれ、結構覚悟して観なきゃだ、と思っていた。そのくせ妙に冷めてて、なんか、あー草太、と思った。

世の中なんか下らねえし、人なんて冷たいし、ヤクを売り捌いて頭吹っ飛ばして、アウトローに決めた気になって。

ゲラゲラ笑い合う草太と楽人にホッと一息つくたび、ああこれ、絶対かなしくなるんだなって覚悟してた。だって、きっと、幸せにはなりきれない。それは作中漂いまくる空気感で、悟っていた。
楽人が、すごくフラットでフラットなのにフラットだから哀しそうで。
結局酷い目を受けた女子高生を想像して傷付いて草太は吐いちゃう、吐けちゃう。真っ当な感覚をたぶん、彼は失わない。おはようとおやすみで、育ってるから。
でも、楽人はそうじゃなくてそうじゃないけど、でも、楽人は、吐いてぐったりしてる草太のそばで本当に心細そうで手も震えて怯えきってて。なんか、あれは、たぶん、彼が心の底から大事にしたい、守りたいって思ったもので、例えば彼自身幸せとかあったかいとかそういうものは知らなくても、感じることは出来んだよなあーと色んなシーンを見て思った。

楽人がねえ、本当に愛おしかったんですよ。

俺こんなんだしさって笑ってみせるけど、いや君自身、めっちゃ優しくて柔らかくて、誰もそれを大事にしてこなかったかもしれないけど、それはこれからもそうとは限らないし、大事にしてこなくても、君は大事にできるじゃん、みたいな。

草太はぎゃくにそういうのをたぶん見失って見失ったから放り出したくなって「東京」とか「売人」とか分かりやすい記号に頼りたくなったのかな。なんか、そういうことってあるじゃないですか。いっそ痛い方が楽、みたいな。痛いって知らないからそういうこと言えちゃうんだけど。

夜空を見るシーンと、電話のシーンが優しくて哀しくて、愛おしくて。

過剰な暴力シーンも、挟まるエピソードも、ぐちゃぐちゃになって死んでいくひとたちも
草太の楽人の名前を呼ぶ優しい声もオーバードーズした月海にお粥を食べさせる楽人の優しい表情も、ティーダの名前も
全部同じ世界で、なんか、あーそうだよね、そうなんですよね、って何度も噛み締めてた。
どうしようもなく、ロクでもないのに許せないものだってあるのに、幸せだって思って大事だって思えちゃう相手がいることは、なんてクソッタレな幸せなんだろう。


こんな酷い目に遭うよ、痛い思いをたくさんするよ、そう言われても、出逢いたい誰かの為に私たちが生まれてきたならなんかそれは、仕方ないな、なんて酷い愛おしい幸せなんだろうな。


なんてことを思いながら、三十路女はロマンチックな夢を見るか?を観たわけですよ。物凄い温度差覚悟ですよ。


あ、ベタだなーと最初に思って、でもああいう夢への嫌悪感というか気怠さとか、スキンシップと言う名のきっしょいセクハラとか、
なんか、そういうものがベタに、内包されまくってて。

映画を撮る彼に合わせてなのか、物凄く、こう、ガッツリ「お話」感がして

たまにガツンとうっわ、となる台詞が来るのにどっか遠くて、それは単純に共感が出来なかったからだった。
理解できないから、じゃなくて、なんか、うまく言えないんだけど。ヒロインに。
いや、分かるって何回も思ったんだけど、年齢も近いし。なんだけど、いやいやいや、でもその選択はしねえわ、って思ってて。あーこういうヒロインが一番苦手なんですよね、って思って。犯人がね、格好いいってのはめっちゃ分かるからね、余計にね。いやいやいやいやってね、なったね、そういう意味ではめちゃくちゃ共感してたのかもしれないね。

それを、こう、見事に、ひっくり返されだしたのがお風呂場での過去の自分と話すシーン。

観てる途中、だいたいお風呂のシーンの度にBUMPの才悩人応援歌、が頭の中に流れてたんだけど。隣人は立派、将来有望才能人、そんな奴がさ、がんばれってさ、ってやつ。
夢を見続けるのだって才能だ、と思うんだけど
そことは全く別の話として、好き、という感情を競っての劣等感、の描き方が、ああ、なんてこった、と思って。
好きなら好きでいいじゃん、と思いながら、彼女の言葉を借りれば誰か1人の幸せとか夢のために他の人が泣くみたいな、なんか、そういうこと、あるじゃん、ってここでものすごく思って。
好きなら好きでいいんですけどね、あ、この人私より好きじゃんなんかすいません、みたいなこと、思っちゃう時ってあるよね。でも、好きなのも本当だからそう思ったことが嫌で不快感が凄くて、それっきりバイバイしちゃうというか。

そう思うと、あの共犯の女性ふたりの設定のいい意味で悪意のある感じ、最高だな。あれ、主人公が切り離したいつかの自分の可能性なのかもな、それぞれ。それを「殺した」描写が入るの、とりようによっては、いくらでも深読みできるよな。

で、ここで上がったテンションは、ヒロインがしていく選択で、どんどん下がったんですよ。
え、まじで、そうしちゃう?え、ほんとに?え、え、うそでしょ、なんで?分かるけどなんで?
納得いかねーーーーーーーーわ!!!!!って、叫んで、え、これ実はぜーんぶ映画でしたってオチ?撮影でした、で締める?そうじゃなきゃ納得できないし、いやでもそうなったらすげえモヤモヤするーーーえーーーーーーーーって、叫んで、
で、ラスト、やられたーって笑ってしまった。
そうきたか、って気持ちのままエンドロールに突入した。


なんか、幸せになるっていうか、毎日ご機嫌に過ごすって、結局その人次第だし他人の目なんか知るかって感じだよね、自分で幸せかどうか決めなよって楽人と那奈に言われた気がした。勝手に分かりやすく不幸ヅラしてるより、そっちの方が百倍楽しいし、案外、おはようもおやすみもそんなに言えないから一回一回大事にしなよ、って。
夢の叶え方、なんてなん万通りもあるんだよな、と那奈に笑わされてしまったので、
ニワトリ星にいくその日まで、楽しくご機嫌に過ごそう。なんてことを人の形を取り戻した私は、思ったのでした。


サイテーなことは沢山あるけど、映画や劇場にサイコーが沢山あるように、たぶん、私の毎日にも、あるはずなので。