えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

義経ギャラクシー

すべての始まりから、終わりを見よう

お芝居、としての感想は前回書いたので、今回はストーリーについて。もぐもぐから口を離して、書く。それは、私が書きたいから、書きたくて書きたくて、堪らないので、書く。

エストさんは、解釈が幾通りにもあるというかその仕掛けに気付いたかどうかで分かる話が変わる、みたいなところがあるので、
もしかしたら、観た方によっては何言ってんだこいつ、かもしれない。私の目を通して見たのはこれ、くらいで読んで頂けたら幸いです。
そして、もしこうじゃない?ってのがあったらご連絡ください。あなたの目を通した義経ギャラクシーの話も、したいと思う。

(前回のブログから引用)
物語は、義経と弁慶の、そして何より義経と頼朝のお話だ。
義経って結局どんな人だったの、ということを軸に彼自身が或いは彼を演じるある女優が、物語を紡ぐ男が、辿る。

銀河鉄道の夜は途中色んな駅、というか街並みを見る。銀河鉄道999では、色んな星を回る。なので、それにあやかって、順々に書こう。

 

・義仲と、巴御前

オラオラ度が増したふたり。
当て書きされるトクさんの脚本らしく、演じる役者が変わればキャラクターや表現が変わるし、となると初演と同じ役を演じていても当然、変化が生まれる。すごいね!お芝居って愛おしいね!!生きてる!
義仲の「お前らの描く天下に俺がいないのが気にくわない」の台詞が初演から好きで、そして今回、更になんだか切実な響きを孕んでるように思えてぐっときた。

なんか、あのふたりは可愛くて仕方ない。

可愛いからこそ、義仲の目指していたはずのものがどんどん変わっていってしまったことが切ない。どこで間違えたのか、どうしたら良かったのか。
オラオラのシーンもそうなんだけど、すごくこのふたりってピュアというか純粋で、だからこそ権力なんてものに目が眩んだのかな、とか。

つかこうへいシーンもすごく好きでした。ジャージ!笑

 

静御前義経

静御前ーー!!!!!!!!!
いやもう、絶対的ヒロインすぎるでしょう。
ずるい。ファンキーフォームも幻フォームもずるい。
弁慶のからかいも可愛いし、ムカつく!っていう義経もかわいい。もう全体的にかわいい。

宗さんのお芝居ってとてもチャーミングだなあ、と思う。チャーミングって言葉がこんなに似合う人がいるだろうか。
そして、野地さんのダンスはもう、やっぱり、すごい。熱量というか、こう、ガツンとした熱量というかしなやかな鞭みたいな強さがある。
それがまた、宗さんの静御前と相まって、めちゃくちゃいい。ふたり合わせてのダンスシーンは圧巻。

基本、ギャグとしての役割をふたりは担っていたんだと思うんですが、それでもやっぱり義経を慕う舞やラストの遺された女性たちのシーンではぐっとくる。ギャグじゃないんだよね、本当に、静は義経様のことが好きだったんだよね。

 

・きつね、たち

キツネ、こと佐藤忠信が愛おしい。
初演から愛おしい愛されキャラ担当、みたいなところがあったんだけど、竹内さんはまた、違った愛されキャラできたなあ、という印象。
ぴょんぴょん飛んでる渡辺さんの佐藤忠信に対して、竹内さんのはくるくる走り回ってるというか。
今回、改めて竹内さんのお芝居の可愛らしさと強さの同居した感じにめろめろになった。ちょうど、少年社中さんをお借りしてウワアアアアってしていたばかりだったので、それはもう、めろめろだ。

好きだったのは、名乗りのシーン。
いざという時は、俺の名前を名乗れと言われた佐藤忠信佐藤忠信、と名乗るシーン。
彼は義経様のことが大好きで、その忠臣である「佐藤忠信」が大好きだったんだな、とひたすらに泣いたシーン。その後、ギ ツネの話を知って、まさかもう一度泣くことになるとは思ってなかった。義経様のキツネだったんだね。


・奥州平泉と、平家の滅亡、もし、の話

コメディタッチなシーンが加わったことで、より明確に本当はあなたと共に行きたかった、という奥州の気持ちの切実さが増した。
無邪気なかどしょーさんのお芝居がそのまま義経がそこで過ごした穏やかで優しい時間を示すみたいで切ない。お兄ちゃんお兄ちゃん走り回るかどしょーさんはかわいい。
歴史物あるあるではあるけど、どこかひとつ、ボタンが掛け違えられればあったであろういくつかの未来についてこのパートではついつい思いを馳せてしまう。

そして、物凄い武器を携え、そして本気のアンサンブルさんたちの殺陣フルコースの平家滅亡。壇ノ浦だもんね!豪華じゃないとね!!!
エストさんのこういうシーンが大好きです。理屈なしに、さいっこうに格好いい。
やっぱりすげえ殺陣を観れるの幸せだな。最高だったな。格好いいんだよーめっちゃくちゃ。そしてトクさんの殺陣はワクワクするんだよー。
便利棒同士の戦いだって心踊るのに、更に騎馬戦とか最終兵器見られたらもう、最高に決まってるじゃないですか。


義経という人と、ミエテルという男
ヒーローとしての、や、弁慶の1番の友としての義経という人もですが、ここでは父親としての義経を思う。
ミエテル、は初演当時もかなり衝撃的で思い入れの深いキャラクターだった。
飄々として、メタ要素満載の女によく似た男、見えてる見えてない。
その彼が、由比ヶ浜にて斬り捨てられた義経の子どもであり、彼が義経を旅へと誘う。

僕はただ、父さんと遊びたかっただけなのに!!!!!

初演の悲痛なかつあどけない声が耳に残っていて、ハギーさんが演じられると聞いた時驚いた。私の中のハギーさんは、龍騎やPMC野郎さんの独りぼっちのブルース・レッドフィールドのハギーさんで、どちらかというと闇の色が濃かったり大人の色気が武器な人な気がしていたからだ。
しかし、ミエテルは子ども、のキャラクターだと思う私はそれはもうドキドキした。どうなるんだ?と一番思っていた要素だと言っても過言ではない。

前半のミステリアスさ、雲を掴むようなあのオーラ!
あーーーーなるほどこういうミエテルさんか、と前半しみじみと見てたんだけど

後半。
子どもとしてのミエテル。
前述した僕はただ、の台詞よりも私が今回ああああ、となったのは、その表情だった。
義経の、最後の台詞。
それを聞くミエテルの表情。なんて、優しい表情をするんだ、と呻きたくなった。うそでしょ、とも思った。

義経は、少なくとも義経ギャラクシーにおいては自分の思うまま、感情のままに生きた男だった。好きな時に、好きな人と好きなことをした男だった。
ある意味で、父親という像からは遠いのかもしれない。
だけど、子どもであるミエテルはめちゃくちゃ優しい顔で、なんなら嬉しそうに義経の台詞を聞くんですよ。
何度も繰り返した彼ら、は、ミエテルも一緒だったのかな。そんなことないかな。もし、一緒だったらいいなあ。
思うような、ただ父さんと遊ぶ、の旅とは程遠くても、一緒に旅をできたなら、出来なくても、その姿を近くで観れて、だからあの表情なら、こんなに優しいことはないって思う。


・頼朝という人と、それを見ていた北条政子という女
さて、初演と変わって、というならば、私個人としては頼朝さんに思いがけずぶん殴られたような気持ちになったのが、1番の変化だった。
あの、Nゲージの断捨離シーン。リア充になるとはこういうことか、と叫ぶシーン。
頼朝さん、ずるくないですか。
冒頭も白鳥の湖で笑わせにきたと思いきや、リア充、の台詞だって一見すればギャグのはずなのに、実際、笑ってるお客さんも多かったのに。
当たりどころによっては致命傷まで持っていかれるような、あの、熱量。台詞に込められた感情。
込められた感情もなんだけど、そっから一歩先、の意味合いがしんどいんですよ、しんどかったんですよ。
だって、あの台詞とその感情だけなら、そういう気持ち、で、リア充として割り切ってってなりそうじゃん。
でもそうじゃなくて、そんなんあまりに幸せってものから遠いでしょ、そりゃ義経も兄さんは何がしたかったのって聞くよ。
ところで、でもそれを不幸と切り捨てるには北条政子の愛情が優しくてというか切実で、そこもなんともにくいところですね。

死んでしまえば、何もない。

あの台詞の切なさは、今回、残された人々の舞も相まってぶん殴られた気がします。
交互に読まれる平家物語雨ニモマケズの一節。
木偶の坊と呼ばれ、じゃないけど、それで良かったのにね、と思う。
天下を取らせたかったのも一緒に過ごす時間の為というか、長く幸せに生きてて欲しかったからか。
天下を引き継ぐのは、彼が生きた証をなるべく幸せな最高の形で示し続けたかったからか。
百点満点の幸せの、なんと難しいことかって思う。

 

・演じられる彼らと演じる彼ら
柔らかさが増した気がする現在の祭りパートの義経と弁慶、を演じる大女優とそのファン。
荻窪さんのお芝居は柔らかくて、繋ぐようなイメージが強い。客席と舞台を繋ぐ、繋いで、連れて行ってくれる。
そこに、土田さんも加わったのでその印象が更に増した。
ひとつひとつのキーワードはぽつぽつと降ってきて、だけど大袈裟すぎず、沁み込んでいくみたいな。
あと、ラスト泣くので、尚更、彼らのあっけらかんとした語り口に晴れ晴れとした気持ちにしてもらうというか。
どっちでもいいか、って言い放つ荻窪さんも、それを見る土田さんもめちゃくちゃ素敵だった。さわやかな青みたいだった。

そして、そこに加わるリーさん演じる宮沢賢治風の男。

彼が今回再演されるにあたって、正確には義経ギャラクシーハイパーになるにあたって登場した理由を考える。
それは、ラストの諸説あり、の流れに加わった物語の受取手が、それにメッセージを加え発信することができる(少し記憶が曖昧なので私なりに噛み砕いた表現)という言葉を考える。
銀河鉄道の夜では、実際に起きた事件が旅の途中、出てくる。
そういう意味では、宮沢賢治はああした事件や事故を受け止め、メッセージを加えて発信したひとだ。

どうありたかったの、何がしたかったの、と聞いた義経の言葉を思い出す。
荻窪さんのどっちでもいっか、という言葉を思い出す。

宮沢賢治は、あの物語でこうあればいいな、を描きたかったのか。
義経ギャラクシーは、トクさんは、義経ギャラクシーでこうあればいいな、を描こうとしたのか。
なんて、つい、飛躍したことを考えたくなってしまう。
だけど、それだってありなんじゃないかな。ねえ、どうでしょう。

義経と弁慶

私は初演で弁慶は義経の執着に縛られてるんだと思ってた。
定家葛という能がある。
百人一首の選者でもある定家に愛された式子内親王が身分違いの恋に死後も悩まされ、霊となってしまったことにも焼かれるように苦しんだ彼女を成仏させる話。
なんか、私はてっきりそういう気持ちなのだと、初演を観ながら思っていた。
執着され、何度も何度も繰り返し、契りおきし、その執念を嬉しく思いながらも思うからこそ、その運命の輪を断ち切ろうとするラスト。
(そこで、友としてっていう弁慶が好きだ。部下ではないし、忠臣でもないんだよね、友として、なんだよね)

ところが、再演で、あれ、これ弁慶がループさせてるのか、と思い至ってハッとした。
んんんん、弁慶がループさせてるっていうとなんか語弊があるぞ。

メーテルで、魔女は、弁慶だったのか。

義経が死なない未来がほしくてだけどそのせいで何度も何度も繰り返し、義経を死なせてしまった弁慶の気持ちを思う。もうお前にはなにもあげるものはない、と叫んだ弁慶の姿が目に焼き付いてる。
そして、お前に殺されたい、と口にした義経の姿も。

お前に殺されたい、って台詞を聞いた時ああとうとう言ってしまった、と雷に打たれたような気持ちになった。初演にはない台詞だった。
死なない未来が欲しかったわけでも、死にたくなかったわけでも、天下が欲しかったわけでもない。
欲しくなかったわけでは、勿論ないけど。


どうしたいの?何がしたいの?と義経が頼朝に聞くシーンがある。どんな天下をとりたいのか、と続けて、兄さんは本当は何がしたいの?と。
なんか、それを聞いた義経がお前に殺されたい、と言ったのが、すごく、なんだか心に刺さってしまって。
互いがあまりに大切で一番で、だけど、義経と頼朝がそうなように、義経と弁慶も、ずっと一緒にはいけなくて。

泣きじゃくる義経を見る弁慶の静かな表情が印象的だ。
もう、たぶん、ふたりは運命なんだな。運命なんだか、宿命なんだか分からないけど、もうその袂は別てないんじゃないかな、というか、袂を分ける気なんてないでしょう。分けようと、少なくとも弁慶はその手を離そうと何度も踠いても結局その手を選んじゃうんだよね。それを静かに受け入れるような、弁慶の表情が好きでした。

動けないながらも弁慶、義経様を殺させていただきます、ってするんだけど。
もうあれ、ずるいよね。手を引いて走り出してしまうの、弁慶、ほんとずるいよね。ああザネリ!って私はあのシーンを見るたびに思います。ただここで銀河鉄道の話まで始めるといよいよ収集がつかないから、割愛するよ。
あそこで、動けてしまうのも、本当に義経の「ヒーローパワー」を思わせるな、と考えたけど、違うか、そんなんじゃないか、あれはただただ、義経と弁慶の人としての思いの力かな。そう思った方が、私は幸せだな。

 

諸説あり、と物語は受取手によって想いを添えられ、語り継がれるという話。

以上が、私にとっての義経ギャラクシーだ。私の想いを添えた、義経ギャラクシーという物語だ。あなたには、どんな物語に見えましたか。